禁断のプロポーズ

菱沼あゆ

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第一章 オフィスの罠

お前のせいだ

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「お前のせいだ」

 はいっ? と未咲は歯ブラシを手に振り返った。

 朝の洗面所で、いきなり夏目が毒づいてきたからだ。

「夢の中で、ばあさんがずっと、ゴムまりみたいに跳ねてた……」

 そう不機嫌に言う夏目に、ははは、と苦笑いしたとき、
「やあやあ、おはよう」
と朝っぱらから、爽やかに克己が現れた。

「ごめんねー。
 昨夜は泊まっちゃって。

 ごめんねついでに、スーツ貸してよ、夏目」

「あれっ?
 水沢さん、課長のスーツで大丈夫ですか?」
と言って、

「それって、どういう意味で?」
と訊き返される。

「いや、水沢さんって、ちょっと華奢きゃしゃそうって言うか」

「そりゃ、顔が細いからそう見えるだけじゃない?

 そんなに体格変わらないよね」
と克己は確かめるように、夏目の腕を叩いてみせる。

 夏目は克己の全身を見、
「そうですね。
 顔のない死体として入れ替わったら、わからないくらいには」
と言った。

「でも、水沢さん、色白だから」
と未咲が言うと、

「じゃ、焼死体で」
と言う。

「……朝からロクでもないね、この家の会話は」

 そう言ったあとで、克己はいきなり未咲の腕を引き、抱き寄せた。

「ほらー、抱かれた感触が変わらないでしょ」

 だが、すぐに夏目に引き剥がされる。

「い、いや、課長とそんなことしたことないですから」
と言うと、余計なことを言うな、という目で夏目に睨まれた。

 克己は、自分と夏目の間になにもないことを知っているので、別にいいような気もするのだが。

 案の定、克己はなにも気にする風にもなく、笑顔で、
「お世話になったお礼に、僕が朝ご飯作ってあげようか?」
と言い出した。

「えっ、悪いですっ。
 そんな」

「いやいや、別に悪くないよ。
 冷蔵庫の中のもの、好きに使っていい?」

 そう訊いてくる克己に、
「それは構いませんが」
と夏目が、少し申し訳なさそうに答える。

「気にしないで。
 料理好きなんだ。

 和食じゃなくていいかな?」

「はいっ」

「じゃ、支度してなよ。

 大丈夫。
 一服盛ったりしないから」

 爽やかに笑ってみせる克己に、未咲は、
「……そうわざわざ言われると、逆に不安になるんですけどね」
と呟いた。

 

 いつも自分たちが使っているのと同じ材料のはずなのに、克己の作ってくれた朝食は、不思議にハワイ風な感じだった。

 ハワイというか、グァムというか。

 南の島風?

 見た目に、とても鮮やかだ。

 スパイシーで少し甘い。

 まあ、海外に行ったこともなければ、パスポートもとったことない人間なので、本当にそれが南の島風なのかは知らないが。

 ともかく、
「美味しいですっ」
と未咲が言うと、克己は嬉しそうに頭を撫でてくれた。

 夏目がそれを横目に見ている。

「ねえ、未咲ちゃんは料理はどうなの?」

 そう問うてくる克己に、
「えっ。
 えーと、普通です」
と答えると、

不味まずくはないです」
と夏目が微妙に訂正してきた。

 どういう意味だ? と睨むと、夏目は他所を向く。

「さてと。
 僕、もう行った方がいいんで、お先に。

 じゃ、夏目、服はクリーニングして返すから」

「いえ、そのまま返してくださって結構です」

 そう言いながら、夏目が見送りに立ち上がる。

 秘書の出勤時間は、少し早い。

 そう決まっているわけではなく、みんながそうしているので、なんとなくだ。

 本当は自分も出た方がいいのではないかと時計を見て思ったが。

 克己は一緒に出社するような事態を避けるために、先に出るのかもと思い、遠慮した。

 玄関先で、二人で克己を見送ると、
「なんだか新婚夫婦の新居に遊びに来て、見送られてるみたいだね。
 じゃあ、ありがとう」
と手を挙げ、行ってしまう。

 すりガラスの戸が閉まり、スーツを着た克己の影が、遠ざかっていく。

 通りに出て曲がったらしく、そのぼんやりとした人影が見えなくなったので、自分も支度しに行こうと思ったとき、夏目に強く腕をつかまれた。

「なっ、なんなんですかっ」
と身を引くと、少しこちらの顔を見たあとで、

「いや、別に」
と手を離して、行ってしまう。

 ……本当によくわからない人だ、と思いながら、その後ろ姿を見送った。


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