禁断のプロポーズ

菱沼あゆ

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第一章 オフィスの罠

お前には興味はないが、夏目にはある

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 雨の中、私は傘をさして、そこに途方にくれて立っていた。

 そこがどんな場所かも知らないで。

「お前、幾らだ」
と眼鏡をかけたその男は言った。
 
 

「失礼します」

 頼まれた用事が終わり、書類を手に戻ってきた未咲はノックして、専務の部屋に入る。

 一課の秘書の佐々木は今は居ないようだった。

「専務。
 お使い終わりました」

「お使いってなんだ。
 幼稚園児か」
と言いながら、智久は書類の入ったクリアファイルを受け取ると、眼鏡を外してデスクに置いた。

 未咲がそれをじっと見ているのに気づき、なんだ? と言う。

「いえ、最初に会ったときも、眼鏡かけてましたよね。

 かけたり外したりしてるけど、老眼ですか?」

「……殺そうか」

 思ったままを口に出すのは、そろそろやめた方がいいらしい、と未咲は思った。

 智久は溜息をつき言う。

「老眼なら、外でかけて歩いてるわけないだろうが」

「そうですよね。
 失礼しますっ」
とまた怒られる前に、逃げ去ろうとしたが、

「未咲」
と呼び止められる。

「はいっ。
 なんでしょう、専務っ」

 だから、その体育会系のノリをやめろと言ってるだろうが、という目で智久は見ていた。

「社内や秘書室で、なにかおかしな動きはないか」

「特にはないですねえ」

「なにかあったら、逐一、俺に報告しろ。
 さもなくば、二千万返せ」

「わかってますよー。
 なんだか町の消費者金融で借りた方がマシだった気がしてきました」

「そいつらよりは、俺の方が親切だぞ」

「はあ。
 まあ、親切ですよね、確かに。

 失礼ですが、普段は、そんなに親切な方には見えないんですが、どうして、あのときは、私にいろいろと教えてくださったんですか?」
と言うと、

「たまたま気が向いたんだ。
 そして、暇だったんだ」
と言う。

 ああ、そうですか、としか言いようがない答えだ。

「そうですか。
 で、なんで、二千万だったんですか?」

「余ってたからだ、ちょうど」

「は?」

「ちょうど、端数の二千万を何処に移そうかと思ってたところだったから」

 ……二千万が端数というのが、意味不明なんですが。

「このまま此処に居て、貴方の話を聞いていたら、頭がおかしくなりそうなので、失礼します」

 未咲は丁寧に頭を下げ、行こうとした。

 その背に向かい、智久が問うてきた。

「お前、ほんとに夏目と結婚する気か」

「まだわかりませんけど」

「まあ、それも面白いけどな」
と智久は笑う。

 人の結婚を面白いとか、相変わらずだな~と渋い顔をしていると、智久はふいに思いついたように言った。

「夏目でうまく話が決まらなかったら、俺と結婚してみるか」

「また暇なんですか」
と言うと、そうだ、と言う。

「遠慮しときますよ。
 いろんな人に刺されそうだから。

 これ以上、秘書室で肩身狭くなりたくないですから」

「夏目と結婚しても、狭くなるんじゃないか?」

「そうかもしれないですけど、あなたとするほどじゃないですよ」

「俺と結婚して、そのまま秘書室に勤めるとかあるか」

「暇だからって、私になんか興味もないのに、結婚したら後悔しますよ」

「確かに、お前には興味はないが、夏目にはある。

 ……いや、そういう意味でじゃない」

 こちらの表情を読んで、智久は言った。

「夏目は、案外、お前に本気なんじゃないか?
 その顔だしな」
とまた意味深なことを言い出した。

 追求しても、たいして答えてくれないくせにな、と未咲は、不満げに小首を傾げて見せる。

 だが、構わず、智久は笑って言った。

「お前を奪ってやったら、面白いかもな」

「相変わらず、私の意志、お構いなしですね。

 そんなことなさらなくても、専務が課長を目の敵にする必要などないと思いますけどね」

 わざと二人を役職名で呼び、帰ろうとした。

 ちょうどガラス越しに、佐々木が戻ってくるのが見え、これ幸いと入れ違いに未咲は出て行った。



 頭を下げて出て行った未咲を佐々木が振り返り、見ていた。

 専務室の中にある廊下を通り、外の廊下に出て行ったらしい未咲がぱたん、と扉を閉める音がした。

 それを聞いてから、佐々木がこちらを見る。

「志貴島がなにか失礼でも?」

「いやあ、別に」
と智久は笑う。

 夏目と結婚か。

 出来るといいな、未咲――。
 
 未咲がいつも、なにか企んでそう、という笑顔を見せたが、今は、そう罵ってくれる彼女はここには居なかった。
 
 

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