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第一章 オフィスの罠
愛人課の先輩がた
しおりを挟む「あんた、今度はなに、水沢さんとコソコソ話してるのよっ」
「いやあのー、コソコソって」
堂々と廊下の真ん中で話してましたけど、とか言ったら、火に油を注ぎそうなので、黙っていた。
彼女らは早足でこちらに来ながら言う。
「あんた、遠崎課長にもプロポーズしたんですって」
『も』って、なんだろう。
一人にしか言ってないけど。
水沢さんと話しただけで、もうプロポーズした扱いになっているのだろうか、と思った。
「あれは、えーと、勢いあまっちゃいまして。
課長にちょっと話したいことがあっただけなんですけど。
でもまあ、どちらかと言えば、遠崎課長の方が水沢さんよりは好みです」
と言うと、あんた、なにぬけぬけと言ってんの、という顔をされる。
「だから、どなたか、水沢さんがお好みな方がいらっしゃるんでしたら、ご協力いたしますけど」
と言うと、えっ、とこの中ではリーダー格らしい女が言った。
いまいち、話の流れについていけてないようだが、それでも少し赤くなる。
桜もそうだが、普段、厳しい人のこういう顔を見ると、親近感がわくというか。
可愛いと思ってしまう。
そんなこちらの表情に気づいたのか。
「なに笑ってんのよ、あんた」
と女は威嚇してくる。
「……ほんとにあんたは訳がわからない」
と呟きながらも、ちょっと考え、
「でも、水沢さんと親しいのなら、今度、呑み会、セッティングしないさいよ」
と言い出した。
周りにお付きのもののように従っている女たちが、ええっ、という顔で、彼女を見る。
「オッケーしてもらえるかどうかはわかりませんが、やってみます。
でも、水沢さんとは、えーと……灰原さんの方が親しいんじゃないんですか?」
「あんた、私の名前、覚えてなかったわね」
そっとネームプレートを見たつもりだったのだが、バレバレのようだった。
灰原はちょっと困った顔で言う。
「水沢さんは誰にでも優しくてフレンドリーだけど。
なんていうか。
個人的に近づこうとすると、さっとかわされるっていうか」
そりゃ、愛人課の美女たちと、うかつに付き合って、妙な噂でも流れたら、仕事と出世に響くからでは、と思っていた。
まだ若いが、将来を嘱望されている克己は、いずれ、秘書室長になるのではないかと噂されていた。
ただ、克己がずっと秘書でいたいのかどうかはわからないのだが。
「わかりました。
声かけてみます。
私は水沢さん、なんとも思ってないので、なんでも言えますよー」
「そりゃあ、あんたは、あの遠崎課長にプロポーズできるくらいだもんね」
同期だが、担当が違うので、まだ、あまり話したことのない清水という女がそう言った。
新入社員全体の研修中では、彼女は違う子たちといたようだし。
同じ部署で同期というのは、張り合ったりして、なかなか関係性が難しいと桜がもらしていたことがある。
私は誰とも張り合うつもりもないので、関係ないが、と未咲は思っていた。
「遠崎課長、声かけにくいですか?」
と清水に問うと、清水は、
「なんで私にまで敬語よ」
と顔をしかめたあとで、
「かけにくいわよ。
広瀬専務級にかけにくいわよ」
と言い出す。
まあ、それはわかる気がするな、と思った。
「近寄りがたいって言うか。
チャラついたところないしね。
誰かと付き合ってたとか言うのも聞かないし」
と誰かが言うと、
「でも、ほら、あの人と親しくなかった?
同期の――」
「ああ」
と周りが相槌を打ちかけたところで、灰原が咳払いしてそれを止める。
「同期の誰ですか?」
あえて、そこで続きをうながしてみたが、灰原は、
「もういなくなった人よ」
と流してきた。
いなくなった人、ね。
今、彼女らが言った相手がおねえちゃんかどうかは知らないが。
もし、そうだとしたら、周りも夏目さんとおねえちゃんのことは怪しいと思っていたわけだ、と思う。
「はい、おしゃべりはそこまでよ。
みんな、持ち場に戻って」
灰原の仕切りで、はーい、と彼女らは、つまらなさそうに声を上げた。
どさくさ紛れに、失礼します、と頭を下げていこうとすると、灰原に首根っこをつかまれる。
「な、なんですか」
灰原は顔を近づけ、
「あんたは、さっき言われたことをよく熟考して、行動に移しなさい」
と言う。
「りょ、了解です。
あの、灰原さん」
「なによ」
「めちゃくちゃいい匂いがしますね、灰原さん」
これぞ、大人の女、という香りがした。
莫迦ね、と灰原は赤くなり、手を離した。
こんな美人が間近で、こんないい香りを漂わせていたら、水沢さんでも、くらりと来そうだけど、と思ったあとで。
……こういう人には遠崎課長に、あまり近づいて欲しくないな、とちょっと思ってしまった。
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