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第一章 オフィスの罠
水沢克己
しおりを挟むお茶出ししたあと、専務のお使いに出た未咲が大欠伸をしながら、廊下を歩いていると、克己が声をかけてきた。
「おはよう。
ずいぶん会社に慣れてきたようだね。
堂にいったダレ方だ」
と笑う。
「なんですか、それ」
と未咲は赤くなった。
「そういや、夏目とは、あれからどうなった?」
「えっ。
どうって?」
「キューピットやってあげたの、忘れたの?」
そういえば、克己が夏目との連絡係をしてくれたんだった、と思い出す。
「あの節はありがとうございました。
課長と一緒にお食事に行きました」
「それで?」
「それでって、それだけですよ」
なにそれ、つまらない、と克己は言うが、此処で、彼が言うところの、つまる話をするわけにもいかない。
「順調にお付き合いは進んでるわけ?」
「いや、どうですか。
この間まで、ほとんど会ったことも話したこともなかったんですから。
よくわからないです」
実際、一緒に暮らしてみても、まだどんな人なのか、よくわからない、と未咲は思っていた。
「わからないって言えば、僕は君がわからないねえ」
そんなことを克己は言い出す。
「最初はただ可愛い子だなって思ってたんだけど。
やっぱり、なんだか得体が知れないよね」
と笑顔だ。
「最初に得体が知れないはよく言われるんですけど。
あとからって言うのは、初めてですね」
「そもそも君は何者なの?
愛人課のお嬢さん」
そういう言い方を克己はしてきた。
「……なんでですか?」
「得体の知れない相手に種明かしはできないよ。
話してくれれば、協力はできるかもしれないけどね」
協力ねえ。
だが、自分が追求しようとしている真実が、克己にとってまずいものなら、逆に隠蔽されてしまうかもしれない、と思っていた。
「考えときます」
「そういう言い方をするってことは、やっぱり、なにかあるわけ?」
「カマかけたんですか?
なにもないですよ」
「じゃ、君のこと、調べてもいい?」
「……死にますよ」
「そんな重大な秘密があるわけ?」
「いや、それが。
重大なのかそうじゃないのかわからないから、困ってるんです」
「だから、ほら、話してみなよ。
夏目だけじゃなくて、僕にもさ」
その言葉に克己を見ると、
「なにかあって、夏目に近づいたんだろ。
わかるよ。
君はずっと入社したときから、夏目を目で追ってる。
恋をしてる目じゃなかったね」
と言った。
水沢さんは、いつもただヘラヘラしているように見えるが、それは擬態なのか。
それとも、言い方は悪いが、チャラくさく、派手な外見のせいなのか。
やっぱり、この人、油断ならない、と思いながら未咲は言った。
「水沢さんが信用できるとわかったら、話します」
「僕ほど信用できる人間は居ないよ」
と克己は大仰に言ってみせるが、いやいやいや、貴方が最も信用できない感じなんですけど、と思う。
だが、克己は、姉のこともよく知っているだろう。
なんとか、自然に聞き出せないものか、とは思っていた。
そこで、克己が、あ、と声を上げた。
「平山桜はきっと君の秘密を知ってるんだよね。
あれだけ急速に親しくなったのは、秘密の共有がそこにあるからだ。
じゃあ、まず、平山を落として、話を聞き出すってのは、どうかな?」
と陽気に克己は言うが。
「無理だと思います」
「平山は広瀬専務が好きだから?
大丈夫。
みんな知ってるよ。
ま、わかってないのは、専務くらいかな」
「あー、気づかなさそうですよねー」
と言うと、克己はこちらを見て笑った。
「なんですか?」
「いや、別に。
君みたいな鈍そうなのに、そう言われて、専務もさぞ、不名誉だろうと思っただけだよ」
「鈍いってなんでわかるんですか?」
「普通、女の子なら、僕が君が夏目を見てたって言ったところで。
あら、この人、なんでそんな私をずっと見てたのかしらって思わないかな?」
そう言いながら、未咲の胸まである髪の先に触れてくる。
「思いません」
「なんで?」
「水沢さんは、そうやって、一人一人を監視してるんだと思います」
「へえ。
どうして?」
「水沢さんが、『優秀で切れ者』だからじゃないんですか?」
「棒読みだね」
と言う克己は、何処か面白がってる風だった。
「確かに。
新人を一人ずつチェックするのも僕の仕事。
でもさ、君が特に目を惹いたのは確かだよ。
美人だからじゃない。
……その顔だからね」
じゃあ、とこちらがなにか言うのを塞ぐように、克己は手を挙げて行ってしまう。
やはり、油断ならない。
だが、油断ならない部分をわざと見せてくれると言うことは、少しは腹を割って話す気があると言うことなのか。
そんなことを考えていた未咲は、
「新人っ」
といきなり、背後から呼びつけられて、はいっ、と反射で返事をする。
いつの間にか、長い廊下の後方に、先輩秘書たちが居た。
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