64 / 70
蘇りの書
礼拝堂
しおりを挟む荘厳な曲が鼓膜を震わせ、秋彦は意識を取り戻した。
荘厳な――
いや、旋律自体は意外に単純なようだが、それが響きのあるこの音色を一層引き立てていた。
……パイプオルガン?
どこか寂しく、それでいて、どこかに救いのある音だった。
秋彦は目を開けた。
ステンドグラスから降りそそぐ夕暮れの光を受け、少女がパイプオルガンを弾いていた。
先程の少女だ。
美しい光景だな、とぼんやり思う。
さっきまで、自分に銃を突きつけていたとは思えない。
この世の穢れからは遥か遠い場所にあるようだ。
それにしても、自分はどれくらい寝ていたのだろう。
夜だったはずなのに。
それに、建物も朽ちている。
子供の頃聞いたおとぎ話の中の登場人物のように、自分は何百年も眠っていたとでもいうのだろうか。
そう思い、笑ってしまう。
何故、自分が笑ったのか、そのときはわからなかった。
ふいに少女が曲の途中で手を止め、こちらを見た。
「気がつきました?」
「……お前は?」
「私は真生。如月真生」
少女は立ち上がり、そう名乗る。
秋彦は笑った。
「お前が名前だけ聞く高坂の愛人か」
幻かと思ってた、と軽口を叩く。
「あいつも寂しい奴だからな」
真生は苦笑いしたあとで言ってきた。
「私、このところ、男の死体を引きずってばかりなんですけど――」
「待て。
俺は死んでないぞ」
自分をここまで引きずってきたのは真生だろうと思いながらそう言うと、真生は、
「でも、津田先生。
あなたは今から死ぬんですよ」
と言う。
自分を先生と呼び、敬語で話しかけてはくるが、腕を組み、自分を見下ろす真生の瞳は、どこか高坂にも似て見えた。
あの常に上から他人を見下ろしている男に。
だが、真生はそこで少し表情を曇らせ、言ってくる。
「先生、先生は高坂さんの看病をしたせいで、お母様が亡くなられたと思ってるのかもしれませんが……」
自分に少しの同情を見せたようだった。
だが、秋彦はそんな真生を鼻で笑う。
「お前の言いたいことはわかっている。
お袋が死んだのは、自分が高坂に病原体を注入しようとして失敗したからだと言いたいんだろ?
だから、高坂を恨むなと。
だが、そんなことは知っている」
俺も医者だからな、と秋彦は言った。
「最初の患者から高坂の発症までの時間の空き方、その病状と母親の死亡した日付を見れば、想像がつく。
だが、そこまでさせた高坂とその母親が悪い」
そう嘲笑っても、真生は一度自分に見せた憐憫の情を消さなかった。
「……先生はずっとそうして、お母様の呪縛に縛られてきたんですね」
でも、大丈夫、と真生はそこでようやく微笑んだ。
「先生は、今から私が殺してあげます」
ステンドグラスから差し込む光がオルガンの巨大なパイプに反射し、真生を照らしていた。
美しい女だ。
そして、不思議に甘美な響きだ。
殺すとこの女は言っているのに、自分は動けないまま、夕暮れの光の中のこの少女を見つめている。
真生は再び、椅子に座り、先程の曲を奏で始めた。
時折、高坂の部屋から聴こえていた曲だとようやく気づく。
古い楽譜をめくりながら弾いていた真生だったが、途中から、それを放棄したように、目を閉じ、弾き始めた。
曲調が変わったようだ。
その音色に礼拝堂の古いステンドグラスが振動する。
0
お気に入りに追加
58
あなたにおすすめの小説
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
大好きなあなたを忘れる方法
山田ランチ
恋愛
あらすじ
王子と婚約関係にある侯爵令嬢のメリベルは、訳あってずっと秘密の婚約者のままにされていた。学園へ入学してすぐ、メリベルの魔廻が(魔術を使う為の魔素を貯めておく器官)が限界を向かえようとしている事に気が付いた大魔術師は、魔廻を小さくする事を提案する。その方法は、魔素が好むという悲しい記憶を失くしていくものだった。悲しい記憶を引っ張り出しては消していくという日々を過ごすうち、徐々に王子との記憶を失くしていくメリベル。そんな中、魔廻を奪う謎の者達に大魔術師とメリベルが襲われてしまう。
魔廻を奪おうとする者達は何者なのか。王子との婚約が隠されている訳と、重大な秘密を抱える大魔術師の正体が、メリベルの記憶に導かれ、やがて世界の始まりへと繋がっていく。
登場人物
・メリベル・アークトュラス 17歳、アークトゥラス侯爵の一人娘。ジャスパーの婚約者。
・ジャスパー・オリオン 17歳、第一王子。メリベルの婚約者。
・イーライ 学園の園芸員。
クレイシー・クレリック 17歳、クレリック侯爵の一人娘。
・リーヴァイ・ブルーマー 18歳、ブルーマー子爵家の嫡男でジャスパーの側近。
・アイザック・スチュアート 17歳、スチュアート侯爵の嫡男でジャスパーの側近。
・ノア・ワード 18歳、ワード騎士団長の息子でジャスパーの従騎士。
・シア・ガイザー 17歳、ガイザー男爵の娘でメリベルの友人。
・マイロ 17歳、メリベルの友人。
魔素→世界に漂っている物質。触れれば精神を侵され、生き物は主に凶暴化し魔獣となる。
魔廻→体内にある魔廻(まかい)と呼ばれる器官、魔素を取り込み貯める事が出来る。魔術師はこの器官がある事が必須。
ソル神とルナ神→太陽と月の男女神が魔素で満ちた混沌の大地に現れ、世界を二つに分けて浄化した。ソル神は昼間を、ルナ神は夜を受け持った。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。

お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話
甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。
王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。
その時、王子の元に一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。
王子は絶望感に苛まれ後悔をする。
銀木犀の香る寝屋であなたと
はぎわら歓
恋愛
木材屋を営む商家の娘、珠子はある夜、父親がどこかへ忍んでいくのに気づく。あとをつけると小さな小屋があり、少年が出てきた。父親はこの少年の母親と逢引をしているらしい。珠子は寂し気な少年、一樹と親しくなり、大人たちの逢瀬の時間を二人で過ごすことにした。
一樹の母と珠子の父は結婚し、二人の子供たちは兄妹となる。数年後、珠子は男爵家に嫁入りが決まり、一樹は教職に就く。
男爵家では跡継ぎが出来ない珠子に代わり、妾のキヨをいれることにした。キヨは男の子を産む。
しかし男爵家は斜陽、戦争へと時代は突入していく。
重複投稿
許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください>
私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる