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というわけで、結婚してくださいっ!

社宅に来ました

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 案の定、社宅の駐車場にロールスロイスは止められなかった。

 かなり線からはみ出していたので、
「文句言われそうだな。
 まあ、すぐ会社に持っていくから」
と言ったあとで、尊は、

「嫌だな、転勤早々、こんな車で乗り付けてくる奴……」
と自分で呟いていた。

 社宅はまだ新しい三階建ての建物で、尊の部屋は三階の右から二番目だった。

 鍵を持っていた尊がドアを開けると、鈴は、わあ、と声を上げる。

「広いじゃないですか。
 日当たりもいいし」

「……いや、まあ、お前のうちとかと比べたら、相当狭いが」

 そう申し訳なさそうに尊は言うが、窓を開けると、いい風が入ってきて、気持ちがいい。

「尊さん、職場に顔を出されるんですよね?
 私、お掃除しときますっ。

 ……あ、ご迷惑でなければですが」
と鈴が言うと、

「いや、いい。
 ちょっと横になっとけ」
と尊は言ったあとで、ちょっと困った顔をする。

 実際、鈴も困っていた。

 尊との関係がはっきりしないまま、勢いでついて来てしまったので、何処までなにをしていいのかわからないのだ。

 尊の婚約者だとか、妻だとか。

 そういう立場の人間だったら、部屋に風を通して、掃除して、荷物を運び込む算段をして、隣近所にご挨拶をして、とやることはたくさんあるのだろうが。

 今の自分は実に宙ぶらりんな立場なので、あんまりいろいろやっても尊の迷惑になるのではないかと思って、動けない。

 実は、さっき、駐車場で、社宅の奥さんらしき人と出会ったのだ。

 遠かったので、二人で会釈するにとどまったのだが。

 あれがもし、近かったら? と鈴は思う。

 尊さんは、よろしくお願いします、と言えるけど、私は、此処でよろしくできるかわからないので、頭を下げることくらいしかできない。

 ……今、ちゃんとご近所さんに挨拶するために、尊さんの婚約者になりたいと思ってしまいましたよ。

 本末転倒です、と反省する鈴の前で、尊は困った感じのまま、突っ立っている。

 がらんとした、なにもない日当たりのいい部屋。

 尊はかなり迷ってから、口を開いた。

「俺は、お前にこんなことを言う資格はないと思う。

 復讐のために、お前を無理やり式場から連れ出した男だから。

 でも、考えてみれば、征に復讐したいと思ったのは、お前と居た征がらしくもなく楽しそうなのが、なんだか許せなかったからで。

 もしかしたら、俺はあのときから、お前が気になっていたのかもしれない。

 だから……

 あんな始まり方だったけど――」
と言った尊に、鈴は少し笑った。

 そういえば、

「ところで、お前は誰だ」

 から始まったんだったな、と思い出したからだ。

「俺はたぶん、最初からお前が気になっていたんだと思うし。

 ……お前と居たこの数日が、人生で一番楽しくて、忘れがたいものだったと思う。

 それは花嫁を略奪するとかいう非日常の空間に居たからじゃなくて。

 なんだろう。

 お前と車で走り続けたり、サービスエリアに寄ったり、道の駅に寄ったり。

 温泉に入ったり。

 ソフトクリーム食べたり。

 ……上手く言えないけど、そういう普通の休日的な部分が楽しかったっていうか。

 例えば、どんなに仕事で疲れても、たまの休みに、お前とこうして過ごせる日々が送れるのなら、充実した人生が送れそうっていうか。

 すまん。

 全然、上手く言えてないな」
と言った尊は、

「プレゼン的に言ってみようか」
と会議用のレーザーポインターでも持っているような仕草で言い出した。

 自分の得意分野に引っ張りこもうとする尊に、
「いえ、いいです」
と鈴は苦笑して断る。

 今から、グラフとか作るからちょっと待て、とか言われても困るしな、と思いながらも、その尊らしい感じに笑ってしまった。

「鈴」
と言った尊は、鈴の前にひざまずく。

 何処に隠していたのか、その手には真っ白な小さな箱があった。

「これから先どうなるのかもわからない立場だけど。

 でも、どんなことをしても、俺はお前との暮らしだけは守るから。

 だから、

 ……俺と結婚してくれ、鈴」
と言って、尊は、その箱を開ける。

 白い箱の中の白い指輪ケースの中には、立派なダイヤの指輪があった。

 尊が選んだとも思えないくらいスタンダードで大きい。

「すまん……。

 実は、さっき、武田が持たせてくれたんだ。

 とりあえず、仮に。

 仮にこれで」
と申し訳なさそうに言いながら、指輪を取り出している。

 尊は鈴の手を取り、指輪をはめてくれようとしたのだが、鈴は自分から尊に抱きつき、その名を呼んだ。

「尊さんっ」

 うわっ。
 なんだなんだっ? と尊はよろめきかけ、指輪を取り落としかけたが、鈴のことは、ちゃんと抱きとめてくれた。

「私っ、ほとんど会わないまま、征さんと結婚することになってっ。

 もうそのまま、私の人生は決まったと思って。

 こんな風に、好きな人から、プロポーズされる未来なんて、もう私にはないんだと思って、諦めてましたっ。

 ……なんでしょう。

 私も、上手く言えませんけど。

 でもあの、その……」
と自分の気持ちを表す、いい言葉を思いつかずに困った鈴は、とりあえず、気持ちを込めて、尊の目を見つめて言ってみた。

「――というわけで、結婚してくださいっ」

「……なにが、というわけでだ」
と苦笑した尊だったが、そのまま、鈴に口づけてくる。

 わー……と鈴は思っていた。

 これがキスというものかと。

 今まで誰とも付き合ったこともないし。

 式でも、誓いのキスの前に、尊に連れ出されたので、これが鈴のファーストキスだった。

 だが、尊は、
「……するんじゃなかったな」
と言い出す。

「え? 征さんになにもしないと約束したからですか?」
と尊に言うと、

「いや、待て。
 こんなの、契約外だろ。

 あいつの言うところの、なにかしたうちに入るか。

 そうじゃなくて……

 もう出社しないといけないのに、行きたくなくなったなと思って」
と照れたように尊は言う。

 だが、そのとき、鍵をかけていなかった玄関のところから声がした。

「大丈夫だよ。
 どうせ、鈴は、今すぐ連れて帰るから」

 玄関先に、父、晴一郎とぽすが居た。

 ぽすは、晴一郎の肩に乗っている。

「さあ、鈴。
 気が済んだか?」
と晴一郎は言う。

「お義父さん」
と鈴と晴一郎の間に入った尊が呼ぶと、

「いやあ、まだ、お義父さんと呼んでは駄目だろう」
と晴一郎は厳しいことを言う。

「私はまだ、君を婿と認めたわけじゃないぞ。

 君は人を押しのけてまで前に出ようとしない。

 今回のことだって、君が強く主張していたら、君についた者も多くいただろうに。

 根回しが上手くて強引な征くんに、すべてを譲るようにして、君は身を引いた。

 君の会社の古参の社員たちからしてみれば、この人は上に立つ気がないんだな、と思えてしまうんだよ。

 金や地位がすべてじゃないが。

 こんな男で、妻や子を守れるのかな、と思ってしまうんだ。

 尊くん、やさしいだけじゃ、世の中渡っていくのは難しいよ。

 ましてや、君のような立場の人間は。

 ……私は、君の本気を見てみたいんだ」

「お父さんっ」
と鈴が尊の後ろから言った。

「わ、私は、人を突き飛ばして前に出ない尊さんが好きですっ。

 尊さんがこの先、更に何処かに追いやられたり、落ちぶれたりしてもっ――」

 いや、そんなに落ちぶれる予定はない、という顔で尊は鈴を見ていたが。

 鈴は、自分の覚悟を尊に聞いてもらうためにも続けた。

「それでも、私は尊さんが好きですっ。

 一生、尊さんについていって、尊さんを支えますっ。

 お父さんっ」
と言ったとき、ぽすが父の肩から飛び降り、ちょろちょろっと走って鈴の許に来ようとした。

 鈴は父に近寄り、ぽすを抱き上げる。

「その言葉に嘘はないな、鈴」
と言った晴一郎は、

「私はお前の本気が知りたかったんだよ」
と言ってきた。

「尊くんが、どんなに頑張っても、仕事で上手くいかないこともあるだろう。

 清白の跡継ぎの座を奪還できるかもわからないし。

 そうすることが、尊くんとお前のためになるのかもわからない。

 お前たちの未来は、本当に見えてこないが。

 でも……

 どんなことになっても、お前がそれで幸せだと思っててくれれば、私たちはそれでいいんだよ。

 親なんて、そんなものだ」
と言ったあとで、晴一郎は言い訳がましく言ってくる。

「くれぐれも言っておくが、私は鈴に幸せになって欲しくて、征くんとの話を進めたんだからな」

 尊くん、と晴一郎は尊に呼びかけ、

「娘を頼みます」
と頭を下げた。

 お父さん……と涙ぐみながら、鈴は思っていた。

 ぽす……。

 今は、頭に乗らないでやって……。

 娘を送り出す覚悟を決め、頭を下げた父の頭に、ぽすは飛びつき、よじよじと登っていた。

「で、まあ、それはそれとして。
 一度、家には帰ってもらうぞ。

 一回、此処に来て、気が済んだろう」
と晴一郎は言う。

「日曜日、お前の結婚式があるそうだ」

「えっ?」

「征くんから連絡があった。

 まあ、結婚式とはいっても、窪田くんのホテルの模擬結婚式を兼ねて行われるみたいだけどな。

『お前の』結婚式だ。

 お前が決めなさい。

 征くんもそれを望んでる――」

 そう晴一郎は言った。



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