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地獄の釜の底 リターンズ

逃げてくださいっ

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 じょ、女王様が鞭を持って現れたのかと思った……と牢の中の鈴は固まる。

 いや、特になにも持ってはいなかったのだが、現れただけで、既に、そのような雰囲気だった。

 まだ紺のドレスを着たままの泉美だ。

 腕を組み、こちらを見て言う。

「どうして起こしてくれなかったの、鈴さん。
 遅れたから、もう行かないことにしたわ」

 どうやら、憤慨しておられるようだ。

「はあ、すみません」
と鈴は鉄の格子をつかんで言う。

 ……なにぶんにも、このような状態なもので。

「征が貴女を此処へ閉じ込めたの?」
と窺うように、こちらを見たあとで泉美は訊いてくる。

「はあ。
 まあ、そんな感じで」

 はっきりお宅の息子さんです、と言うのも悪い気がして、ぼんやり曖昧に言ったのだが、

「そうなの?
 貴女、なんてことしてくれたの」
と叱られる。

「うちの息子が犯罪者になるじゃないの」

 はあ、すみません……と鉄格子をつかんだまま謝りながら、やっぱり、此処んちに嫁に来るの、やだな~と思っていた。

 だが、とりあえず、この家の人間が来てくれたので、今、一番気になっていたことを訊いてみる。

「あのー、此処は一体……」

 牢の真新しさを不気味に思っていたので、そう訊くと、泉美は、

「ああ。
 此処はね、アラブの知り合いがね。

 話のついでに、なにかのケモノをくれたのよね」
と語り出す。

「それを入れとくために作ったんだけど。

 あとで、ワシントン条約がどうとか言って、連れて帰っちゃったのよ。

 まあ、助かったわ。

 一晩中、なにやら、うなり声が聞こえてたから。

 一応、地下への扉は防音のために厚くしたんだけどね」

 なんだったんですか、そのケモノ……。

 ちょっと怖いよ、と鈴は、今、居るはずのないケモノの気配に怯えるように、何度も振り返る。

「それにしても、貴女も往生際悪いわね。
 もう征と結婚したんだから、観念なさいよ」
とちょっとめんどくさそうに泉美は言ってきた。

「いや~、まあ、そうですね~」
と鈴は、ふたたび、曖昧に言葉を濁す。

 征の母親である泉美に向かって、お宅の息子さんと結婚するの、嫌です、とは言いづらいからだ。

「でもあのー、お義母様はいいんですか? 私のような嫁で」
と違う切り口で攻めてみた。

 というか、実際、疑問だったからだ。

 いいのか? この嫁で。

「一度逃げ出したような嫁でいいんですか?」
と言ってみたが、泉美は、

「いいんじゃないの?
 征が気に入ってるんなら」
と言う。

「それで静かに仕事してくれて、貴女が跡継ぎ産んでくれるのなら、それでいいわ」

「私の心が征さんになくても?」

「いいんじゃない?」

 他人事のように。

 というか、体裁だけ整っていればいいという感じの泉美の言葉に、鈴が叫ぶ。

「いや、駄目ですよっ。
 征さんには、もっといい人がっ。

 征さんを一番に愛してくれる人が居ると思いますっ。

 ちゃんと考えてあげてくださいっ。

 ……などと私が言える立場ではないんですが……」
と鈴は、そこで鉄格子に額をぶつけ、小さくなる。

 いや、本当にすみません、と思っていたからだ。

 確かに、連れ出したのは尊さんかもしれないけど。

 私の心が征さんにないのは、私の責任だ、と鈴は思っていた。

 だが、泉美は、
「……私の夫の心も私の許にはないけど、別に不満はないわ」
と言い出す。

「あの人は昔から、姉さんにベタ惚れで。
 でも、実際結婚してみたら、うまくいかなかったのよ。

 ほら、姉さん、ああいう人だから」

 どういう人なんですか……。

「だからね。

 同じ顔の私だけど、中身は姉さんとは違うから、上手くやれるんじゃないの、みたいな感じで誘惑したのよ」

 そ、そうなんですか……。

「でも、あの人は、やっぱり、私じゃ違ったな、と思ってる。
 だからって、今更、プライドの高い姉さんのところには戻れないし。

 姉妹を行ったり来たりじゃ、さすがに外聞が悪いじゃない」

 いや、最初から悪いと思いますが、と泉美の告白に固まりながらも、鈴は思う。

「でも、いいの――。
 私たちはこれでいいのよ」

 そう覚悟を決めたような顔で言う泉美に、これは自分が口を出せることではないな、と思い、鈴は黙った。

「あら、誰か来たわ、征かしら」

 扉が開く音と、地下に響く靴音に泉美は振り返ったが、数志だった。

 軽く泉美に頭を下げた数志は、鈴に向かい、言ってきた。

「尊さんなら、来ませんよ。
 上手く、二階に追っ払ったから」

「え~っ」
と落胆の声をあげた鈴は、

 数志さん、やっぱり、敵なんですか~っ?
という思いを込めて、鉄格子を両手でつかむと、すがるように数志を見る。

 すると、数志は、びくりとした顔をし、

「……そ、そんな捨てられた犬みたいな目で見ても、助けませんよっ」
と早口に言い出した。

 すると、二人のやりとりを眺めていた泉美が、

「――まあ、じゃあ、ごゆっくり」
と言って、あっさり去ろうとした。

 や、やっぱり、助けてはくださらないんですね、と思いながら、地下牢の前でも優雅に歩いていくその後ろ姿を見ていると、数志が、泉美に、
「窪田さんは一階ですよ」
と教えていた。

「あら、そうなの」

 振り返った泉美は、あんな大きな息子が居るとは思えないその美貌で、ふふふ、と笑う。

 く……窪田さん、逃げてください……と思いながら、鉄格子の中から、階段を上がっていく泉美の靴音を聞いていた。



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