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金の王子か、銀の王子か

おそらく、今夜が最後の夜

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 結局、鈴たちは、そこから、そう走らないで行ける宿に泊まることにした。

 ふぐのフルコースの食べられる宿にだ。

 本当に食べたかったんだな……と思いながら、鈴は露天風呂付きの離れで、美味しくふぐをいただいていた。

 昨日のビジネスホテルから一転、豪華な宿だが。

 まあ、どっちも好きだな、と思いながら、鈴はふぐさしを食べる。

「あー、さっき、ほんとはあんまり、ふくって言わないらしいとか言ってすみませんでしたー。

 ふくですよ、ふく。

 口に入れるだけで、幸せいっぱいです」

 夏なのに、クーラーのきいた部屋で、ぐつぐつと鍋の煮える音を聞いているのも贅沢だ。

 よく冷えた冷酒もいろいろ選べるし。

「あー、もう最高ですっ」
と思わず叫んだ鈴を見て、

「……なら、よかった」
と冷酒のグラスを手にした尊が伏し目がちに笑う。

 どきりとしていた。

 なんで、そんな顔するんですか。

 嫌な予感がしてしまうではないですか。

 なにか最後の晩餐的な雰囲気がしてきましたよ……。

 尊がちゃんと博多に赴任するつもりなら、おそらく、今夜が最後の夜だ。

 尊は明日、鈴を実家か、征の許に返して、それで終わりにするつもりなのではないか。

 そして、自分は博多で仕事をしながら、清白すずしろの跡継ぎである征から下されるであろう裁きを待つつもりなのだ。

「……なんで私を連れて逃げたんですか」

 給仕してくれていた仲居さんが居なくなるのを待って、鈴は言った。

「こんなところで放り出すくらいなら、なんで私を連れて逃げたんですかっ。

 半端なことしないでくださいっ。

 なにかも自分から奪った征さんを恨んで、跡継ぎの花嫁を誘拐したんでしょっ?

 清白を転覆させるくらいのこと、したらどうですかっ?」

 おいおい、という顔を尊がする。

「こんなの嫌です。
 このまま帰るなんて嫌です」

 さっきまで、聞くだけで和んでいた鍋の音にもなにも和まない、と思いながら、うつむいた鈴は、お醤油で少し汚れた箸袋を見つめる。

 ちょうどそこにあったからだ。

 鈴は、ホテルの名前の書かれたその袋を見つめたまま、顔を上げなかった。

 あんまり長く見つめていたので、一生、この箸袋も、汚れ具合も忘れられなくなりそうだなと思いながら。

 やがて、尊が口を開いた。

「俺はお前になにもしていない。
 お前は連れ去られただけだし。

 このまま、征の許に帰れば――」

「帰りませんっ」

「征との結婚は、愛のない結婚じゃなかった。
 お前、戻ってもいいと思ってるんじゃないのか?」

「愛なんてありませんっ。

 私の愛は、そこにはありませんっ」

 私の愛は……

 愛はどこにっ!?
と昔の青春ドラマのタイトルのようなことを思ってしまう。

 そのとき、また鈴のスマホが鳴った。

 はっ、と畳の上に置いていたスマホを見た鈴の頭の中では、何故か、ぽすがスマホを手にしていて、おうちに帰りたい、と泣いていた。

 いや……今居るのが、ぽすの家なんだが……。

「も、もしもしっ?」
と出ると、いきなり、陽気な声が聞こえてくる。

「あ、すずーっ?
 あんた、駆け落ちしたんだってーっ?」

 誰だ、こいつは、と思ったら、大学のときの友人だった。

「しかも、バスで駆け落ちしたんだって?」

 はははは、と友人、朋花ともかは笑っている。

「いや、それがさ。
 ほら、サークルで一緒だった佐々木!

 合コン好きの。

 あいつが見たんだってー。
 あんたがウェディングドレス着て、すごいイケメンと手をつないで、バスから降りてくるの。

 新しい彼女と人気のカレー屋に行くとこだったそうよ。

 私が、もし、行ったら、感想聞かせてって言ってたの思い出したらしくて、それでかけてきてくれたんだけど。

 そのとき、あんたの話が出たのよ」

 我々の駆け落ちは……

 いや、駆け落ちじゃないんだが。

 人気のカレー屋に行った話のついでに語られる程度のものなんだな、と思ったとき、

「そこ美味しかったんだって。

 今度行くー?
 ああ、どっか遠くに逃げてんだっけ?」
と言われる。

「……そんなに遠くじゃない」
と言うと、あら、そうなの、じゃあ、今度行こうよと言ってくる。

 そのカレー屋にか……。

 どんな会話だ、と思っていると、
「ねえ。
 式場から逃げ出すなんて。

 あんた、その人のこと好きなの?」
と朋花は訊いてきた。

 ちょっとどきりとしたのだが――。

「……ねえ、待って。
 なんか食べてない? 朋花。

 さっきから、なにか硬いものをかじってる音がするんだけど」

 さっきから、カサカサパリパリ電話の向こうから聞こえてくるのだ。

 お煎餅かなにか食べながら、かけているようだ。

「まあ、いいじゃん」
と言ったあとで、朋花は、

「ねえ、あんた、そのまま、ずっと逃げてるつもりなの?」
と鈴に言ってきた。

「カレー屋さんに行けないじゃない。
 一度、旦那になる予定だった人と話し合ってみなさいよ」
と言う朋花に、

 あれ?
 もしかしたら、ほんとは心配してかけてきてくれたのかな、と思う。

 そういえば、駆け落ちしたと思っているのに、その人のこと好きなの? っておかしいし。

 なにか事情を小耳に挟んだうえで、かけて来てくれたのかもな、と思った。

 ……それに、そういえば、朋花は、今のご主人に告白するとき、なかなか言い出せなくて、ずっと飴噛んで、ご主人を睨んでたって言ってたっけ。

「……すごい形相だった。
 断ったら、られると思った……」

 って、あとでご主人が言ってたけど。

 緊張したら、硬いものが噛みたくなるとか言ってたっけ、と思っていると、

「そうじゃないなら、海外に行きなさいよー」
と唐突に、朋花が言い出した。

「なんでよ……」
と言うと、

「みんな、都合が悪くなったら、海外に行くじゃないの。
 ドラマなら」

「……九州なら行こうと思ってるけどね」
と言うと、

「まあ、それも一種の海外よね」
と言ってくる。

「あのー、朋花の海外の定義ってなに?」
と訊くと、

「海の向こう」
と言う。

 うーむ。
 では、四国も北海道も佐渡ヶ島も海外か、と思っていると、

「まあ、お幸せに。

 やだ、みーが起きちゃった。
 じゃあねー」
と言い出す。

 朋花の家の猫の名前は、みーだが、後ろで泣いているのが、どうにも猫には思えなくて、訊いてみると、

「やあね。
 うちの美里みさとよ。
 じゃあねー」
と言って、朋花は電話を切った。

 猫も、あかんぼうも一緒なのか……。

 ざっくりだな、と思いながら、少し感謝し、電話を切った。

 尊がこちらを見ている。

 朋花の言葉が耳に蘇った。

『あんた、その人のこと好きなの?』

 朋花は、私が今まで誰も好きになったことがないのを知っている――。

 好きとか、よくわからないなーと思いながら、鈴は尊を見つめていた。

 でも、この人が明日、じゃあ、さよならって居なくなったら嫌だと思う。

 ……そもそも、なんで、私、この人について来ちゃったんだろうな。

 ああ、そうだ。

『来いっ』
と言って、いきなり私の手をつかんできたこの人の手が、妙に温かくて。

 綺麗で荘厳だけど、望んでそこに立っていたわけではないせいか、寒々しく感じていたあの教会の中で――。

「いきなり、ふっと自宅のこたつに戻れたような気がしたんですよね」
と言うと、尊が、

「待て。
 今、何処から、こたつの話が出てきた……」
と言ってくる。

 話がつながっているのは、私の頭の中だけだったようだ、と思いながらも、鈴は言う。

「教会で尊さんに手をつながれたときの話です。

 あの非日常の空間の中で、こたつみたいに、あったかい尊さんの手に手をつながれて。

 いきなり日常が降ってきたみたいに感じたっていうか」

「いや、お前……。
 いきなり、式場から連れ出される方が非日常だろうよ」

 そう尊は言ってくるが。

 夫となるはずの征は、式当日でも、よそよそしく。

 征と自分との間には、永遠に埋まらない距離があるように感じていた。

 なのに、突然、現れた尊とは、手をつないだだけで、一足飛びに距離が縮まった気がした。

 それが相性というものなのかもしれないが――。

 二人で並んでバスに乗ったときも、側に居て、まったく違和感を覚えず。

 式場からさらわれるという異常事態なのに、一緒に居て、不思議と落ち着いた。

 この人のことを好きなのかはわからないが……。

 少なくとも、明日でさよならにはなりたくはない、と思った鈴は自分でも上手く言い表せない気持ちをなんとか言葉にしようとする。

「尊さん、私の前から居なくならないでください。

 貴方が居なくなったら、私……。

 ……私、一生、ひとりで、ぽすの背を撫でていそうな気がします」

 ああ、やっぱり上手く言えなかったな、と鈴は言った瞬間、後悔していたのだが、尊は、

「……鈴」
と驚いたような声を上げる。

 そんな尊の顔を見ようとしたとき、
「あのう……」
と遠慮がちな声がした。

 えっ? と振り向くと、部屋の隅に、いつの間にやら、数志が正座している。

「実は、さっきから居たんですけどね。
 全然気づかれないので。

 今、存在を知ってもらわなければ、なんだかまずい展開になりそうだ、と思いまして」
と数志は申し訳なさそうに言ってくる。

「征様と鈴様のお父様は、今、酒を酌み交わしておいでです。
 尊様、早く戻ってきて、立場をはっきりさませんと、どんどんまずい事態になりそうですよ。

 尊様のお母様も屋敷にお戻りになるようですしね」

「……なにしに帰ってきたんだ」

「あのー、尊さんのお母様は、離婚されているのでは?」
と鈴が言うと、尊は苦い顔をし、

「離婚したんだが、一応、まだ、あの屋敷の中に部屋を持っている。
 この間まで、息子の俺が居たから、というのもあるんだろうが。

 それ以前に、よくわからない二人なんだよな」
と呟いている。

「尊さんのお父様とお母様ですか?」

 尊よりは、征に似た雰囲気の尊の父を思い出しながら、鈴は言ったが、
「いや……、あの姉妹だ。
 俺の母親と、征の母親だ」
と言った尊は、

「お前もあいつらには関わるなよ」
と忠告してくる。

 まあ、極力関わり合いになりたくない感じなのだが、そういうわけにもいかない立場だしな、と思っていると、数志は、

「私、ちゃんとご忠告申し上げましたからね。
 では、あとは、ごゆっくり」
と言って去ろうとする。

「待て」
と尊が呼び止めた。

「お前、誰に頼まれて動いてる?」

 確かに。

 今、この場に居るのを本人は気まずいと思っていたようなのに、踏みとどまっていた。

 誰かに忠告してくるよう、頼まれた感じだ。

「尊様のお父様ですよ」

 尊は渋い顔をし、
「単にあの二人を持て余して、俺に一旦、戻れって言ってるんだけなんじゃないのか?」
と言うと、数志は、

「まあ、そうかもしれませんね」
と認めた。

「ああそう。
 フィアット、持ってきておきましたよ。

 ホテルの車をずっと借りてるの、気がかりだったんでしょう?

 私が窪田さんに返しておきます。
 ちょっと窪田さんに用もありますしね。

 では」
と言って、数志は消えた。

「……今更、では、とか言われて、消えられてもな」
となんだかわからないが、尊は呟いている――。


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