というわけで、結婚してください!

菱沼あゆ

文字の大きさ
上 下
15 / 77
略奪されました

はい、ヘルメット

しおりを挟む
 

 尊がフロントに着いたとき、窪田の姿はなかった。

 若い女性スタッフが帳簿を広げ、忙しげに確認作業をしている。

 オープンセレモニーの招待状のようだった。

「窪田は?」
と訊くと、顔を上げた彼女が教えてくれる。

「あ、清白すずしろ様。
 支配人はレストランです。

 そこをまっすぐ行かれて、左です」
と彼女は目の前の廊下を指差したあとで、

「お気をつけてー」
と見送ってくれた。

 なにがお気をつけてなんだろうな、と思いながら行くと、レストランはまだ工事中だった。

 図面を見ながら、窪田は業者らしき男と話している。

 邪魔しちゃ悪いかな、と思い、尊は入り口に立ったまま、高い天井での作業を物珍しく眺めていた。

 すると、窪田が気づいてこちらに来る。

「どうかされましたか?」

「ああ、ちょっと話があって」
と言うと、

「はい、ヘルメット」
と渡された。

 物珍しく見ていたことに気づいていたのだろう。

「……どうも」
とそれを被り、一緒に中に入った。

「このホテルは、もうほぼ完成していると聞いていたんだが」
と絶賛工事中のレストランの中を見回し、言うと、窪田は笑って言った。

「ちょっと造り変えています。
 私の好きにしていいと会長が言われたので」

 相変わらず、太っ腹だな、と尊は会長である、いつも豪快な祖父を思い浮かべる。

 あの祖父に比べたら、やり手と言われる父も、ずいぶんと小物に思える、と尊は思っていた。

 女の問題でゴタつくところも――。

 同じ顔の女と浮気して、なにが楽しかったんだろうな……。

 しかも、性格はどちらも難ありありだぞ、と思いながら、天井を見上げる。

 高い足場が組まれた作業風景を見ながら、
「大聖堂の天井画の修復作業みたいだな」
と言うと、

「金はいくらかかってもいいそうですよ。
 納得のいくものにできるのなら」
と窪田は言う。

「道楽だな」

「そうでもないですよ。
 二年以内に、会長のおっしゃる売上目標を超えられなかったら、私はきっとクビです」
と言ったあとで、窪田は尊に顔を近づけ、

「大抜擢のあと、クビです。
 最悪ですよ!」
と訴えてくる。

「ですので、そのような事態にならないよう。
 尊様と鈴様も、ぜひ、お友達にご宣伝ください」
と言って、窪田は手を握ってきた。

「わ、わかったわかった……」

 幾ら男前とは言え、男に熱く手を握られるのは不気味なので、なんとか手を抜こうとしながら、尊は頷く。

 窪田には、屋敷に居た頃から、ずいぶん世話になっている。

 そして、今も――。

 自分にできることがあるのなら、してやらねばな、と思っていた。

 だが――。

『尊様と鈴様も、ぜひ、お友達にご宣伝ください』

 その一言が引っかかる。

 なにかまるで、鈴と自分が、これからも共に居るかのようだ。

 そんなことあるだろうか? と尊は思う。

 俺たちが一緒に居る未来なんてない。

 鈴は、そのうち、征の許に返してやるつもりだし。

 そもそも、招待客の前で、鈴を連れて逃げたことで、目的のほとんどは達成できている。

 ……なのに、なんで俺はまだ、鈴を連れ歩いているんだろうな?

 そう思ったとき、式場から見知らぬ男に略奪されたというのに、鼻歌まじりにジェットバス に入って、20センチのフライパンがどうのこうのと言っている鈴を思い出し、吹き出してしまった。

「楽しそうで、なによりです」

 修復作業を見上げていた窪田が、チラとこちらを見て言ってくる。

 こいつは、本当はなにもかもわかってるんだろうな、と思っていた。

 自分も鈴の名前を隠したりはしなかったし。

 だが、窪田が逃亡の手助けをしたと思われてはまずいので、自分の口からはなにも語らなかったのだ。

 窪田は天井を見たまま言ってくる。

「私、実は、ずっと歯がゆく思っておりました。
 尊様が反抗なさらないので。

 家を出されたときも、本社を出されたときも――」

 でも、と窪田はこちらを振り向き、言ってくる。

「一番、すごいとこで、ぶちかましてくれましたよねえ。
 温厚な人を怒らせると怖いってことのことですよね」

 いや、別に俺は温厚じゃないが……。

 まあ、征と比べれば、温厚か? と思う。

 征のように、非情に切り捨てることができないので、次期社長には相応しくない、と父には思われたようなんだが。

 そんなことを考えていた尊と、まだ呑気に風呂に入っている鈴が、窪田が言った言葉の本当の意味を知るのは、もう少し先のことだった。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

あなたが居なくなった後

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの専業主婦。 まだ生後1か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。 朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。 乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。 会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願う宏樹。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……。

王命での結婚がうまくいかなかったので公妾になりました。

しゃーりん
恋愛
婚約解消したばかりのルクレツィアに王命での結婚が舞い込んだ。 相手は10歳年上の公爵ユーグンド。 昔の恋人を探し求める公爵は有名で、国王陛下が公爵家の跡継ぎを危惧して王命を出したのだ。 しかし、公爵はルクレツィアと結婚しても興味の欠片も示さなかった。 それどころか、子供は養子をとる。邪魔をしなければ自由だと言う。 実家の跡継ぎも必要なルクレツィアは子供を産みたかった。 国王陛下に王命の取り消しをお願いすると三年後になると言われた。 無駄な三年を過ごしたくないルクレツィアは国王陛下に提案された公妾になって子供を産み、三年後に離婚するという計画に乗ったお話です。  

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

処理中です...