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ちちんぷいぷい

フィンランドの夢を見た

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 タクシーで来た滋子と日向を車に乗せたあと、あかりが助手席に乗る前に、青葉が別荘を振り返り言う。

「……よかった。
 俺の死体、埋め放題にならなくて」

「大丈夫です。
 埋め放題になんてなりませんよ」

「あかり……」

「青葉さんの死体はひとつですから」

 いや、そういう問題ではない、という顔で見られる。

「……そんなことより、手を離してください」

「いやだ」

「離さないと、乗れないじゃないですか」

「いやだ。
 離したら、また何処かとんでもないところに行きそうだから」

「いや、記憶をなくしたり、消えたりするのは、大抵の場合、あなたですよっ」
とあかりは言った。
 

 滋子と日向を真希絵の許に送ったあと、青葉が言った。

「これから何処で暮らす?」

「え?」

「だって、うちの親ももう折れてるし。
 お前も向こうに残らず、俺のところに帰ってきてくれたし。

 もう親子三人で暮らしてもいいんじゃないのか?」

 ほら、と青葉がちょっと笑って言う。

「日向の下の子も作らないといけないし。
 ……なんだ、俺が以前の記憶を取り戻してないことが気になるのか?」

 いえ、そういうわけではないですよ。

 いきなり一緒に暮らそうとか言われて、照れて戸惑ってるだけですよ……とあかりが思ったとき、青葉が言った。

「いや、……なんか思い出してきたぞ」

「え?」

「俺のスマホは事故のときに失われてしまったが。
 確か、あの中には、半目のお前の写真がいっぱいあった……」

 何故、それをっ、とあかりは驚く。

 ほんとうにいきなり記憶が戻ったのだろうか。

「そういえば、いつだっか、メールを送ったあと、スマホを耳に当てていた。
 電話をかけたつもりだったのか……?」

「それ、この間、あったことですよね……?」

 やっぱり思い出してないんじゃないですか、と言うあかりに、しみじみと青葉が言う。

「いや、過去も現在も未来も、お前のやることに大差ない気がしてな」

 大丈夫だ、どんなお前でも愛してる――
と手を握ってくるので、

 いや、ハンドルから手を離さないでくださいよ、と思いながら、あかりは言った。

「……滋子さん、ずっと言ってましたけどね。
 甘味処の相席には気をつけてって。

 私の場合は、『運転の危ない人には気をつけて』でしたね。
 あと、『しょっちゅう記憶なくす人にも気をつけて』」

「いや、だから、どの事故も俺のせいじゃないからなーっ」
と青葉は叫んでいた。
 

 フィンランドの夢を見た。

 オーロラを見に行く前、青葉が双眼鏡を買ってくれて、嶺太郎に借りていたあかりの家から空を見上げた。

 あの頃の青葉さんも……

 今の青葉さんも、記憶があってもなくても、青葉さんだな……。

 そんなことを思い出しながら、目を覚ますと、そこは青葉の部屋で。

 昔のように先に目を覚ました青葉が自分の顔を見ていた。

 たまには、私の方が先に起きて、青葉さんを眺めてみたいなと思っていたけど。

 一週間しか一緒にいなかったので、そんな機会はなかったな……とあかりは、

「いや、お前、たぶん、この先もずっと、俺より後まで、ぐーかぐーか、寝てそうだぞ」
と言われそうなことを思う。

 そのとき、
「思い出したよ」
と、そっとあかりの頬に触れ、青葉が言った。

「なにをですか?」

「フィンランドの記憶」

「また……」

 また適当なこと言うつもりですね、と言おうとしたが、青葉は、

「いや、今度はたぶん、本当だ」
と言う。

「オーロラを見に行く前、お前に双眼鏡を買ってやって、フィンランドの夜空を見せた。

 そしたら、お前は言ったんだ。

『青葉さん、すごいですね。
 フィンランドの月って、二つになったりするんですね』
と。

 お前は何故、フィンランドの月は二つに見えたりするのか、一生懸命、可愛く考察していたが。

 ……あれ、お前の双眼鏡の持ち方に問題があっただけだからな」

「お、おかしいと思ってたんですよっ。
 じゃあ、言ってくださいよっ」
とあかりが切れると、

「お、やっぱり、ほんとの記憶だったか」
と青葉は笑う。

「じゃあ、早くこうすればよかったな」
と言って、青葉は、あかりの額にキスしてきた。

「昔のように、こんなにもお前の近くに来れたから、思い出せたのかもしれないな」

「……あんまり思い出されても困ります」

「なんでだ?」

「記憶を取り戻したせいで、また忘れられたら困るので」

 だが、青葉は笑って言う。

「いいじゃないか。
 忘れても、きっと、また好きになる。

 俺の愛は深いぞ。
 お前がもう勘弁してくださいと言っても逃さないからな。

 ……昨日、お前のおばあさんに惚れ直した陽平さんのように」

 そう言い、青葉は、そっとキスしてきた。
 

 青葉が内装を変えた店内で、青葉が語る。

「また、思い出したんだ、フィンランドの記憶。

 いつだったか、あかりが寝言で、

「このあと、すぐっ!」
 って叫んで。

 俺は、このあと、なにがはじまるのかと、しばらく起きて待ってたよ」

 あかり、と青葉があかりの手を取る。

「俺は、こうして、ひとつずつ、お前との記憶を取り戻していくんだろうな」

 だが、そんな青葉に大吾が言う。

「いや、必要か? その記憶」

 大吾の親が言う通り、あてにならなかった大吾は、カイロの大学に招かれ、向こうに行くことになった。

「あかり、俺が戻ってくる頃には、お前も青葉に飽きているだろうから。
 そのときには、俺に乗り換えろ」

「……お前、どうせ、休みには戻ってくるんだろ」
と言う青葉に大吾が言う。

「半年くらいしたら、戻ってくる。
 そのときには、青葉に飽きているだろうから……」

 いや、早すぎ、と苦笑いするあかりの後ろで、来斗とカンナが笑い、カウンターでは、孔子と穂月が揉めていた。

「あんた、筋肉描くの下手ね。
 あの人を見て描きなさいよ」
と穂月が大吾を指差す。

「あの人を見て描いたわよっ。
 大学のブログで半裸だったからっ」

 ……いや、大吾さん、何故、大学のブログで半裸?

 なにかの調査風景だろうか……、と思いながら、あかりはみんなに言った。

「そういえば、今日、ビックリな発表があるんですよっ」

 その言葉に、みんなが振り向く。

 あかりは手を打ち、言った。

「なんとっ。
 いよいよ、自販機が店の前に設置されるんですっ」

「いやっ、籍入れたことを言えよっ」

 お前の喜びの順位がわからねえよっ、と青葉が叫ぶ。

「籍を入れたからには、いよいよ、私も姑ね」
と寿々花が張り切り、

 ……いや、前から相当な姑でしたよ、
とあかりと真希絵と幾夫は苦笑いした。

「いらっしゃいませ~。
 うらないカフェです~」
と日向は店の隅で、あのおじいさん人形と穂月の子どもたちと遊んでいる。

「はい、ケーキセットですね~。
 アイスかさくらんぼか選べますか?」

「店員が訊いてどうする……」
と青葉が言って、みんなが笑った――。


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