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ゼロどころか、マイナスからの出発
そんなある日の午後――
しおりを挟む「あのー、私の怪しい占いの結果ですので、お気になさらずに。
また気分転換にお店にいらしてください。
ありがとうございました」
とあかりは店の前で深々と頭を下げる。
「いえ、こらちこそ、ありがとうございました。
子どもを怒鳴るんじゃなく叫んだの、久しぶり。
なんかスッキリしました。
また来ます」
と穂月は微笑み去っていった。
ほんとうに感じのいい人だな、と思っていたのだが――。
それから、穂月はちょくちょく訪ねてくるようになった。
たまに気を使ってお店のものも買ってくれたりして、申し訳ないな、と思っていたのだが。
「なに言ってるの。
私はほんとうに気に入ったものしか買わないから大丈夫」
と穂月は胸を叩く。
姉御肌で頼りになるし、なんていい人だ、と思っていたある日の午後――。
「あー、疲れた。
あかりー、なんか飲ませてよー。
それか筋肉の人呼んで、筋肉の人」
と飲み物と大吾を要求しつつ、孔子がやってきた。
孔子は穂月を見て、はっ、とし。
穂月も孔子を見て、はっ、と身構えた。
「あっ、バイト先で私をいじめてた奴っ」
「あっ、孔子っ」
「お知り合いだったんですか。
不思議な縁ですね」
と穂月に言うあかりに、孔子が、
「なに言ってんのよ、あんたっ。
私が昔、漫画に行き詰まって、気分転換にバイトしてたとき、私に嫌がらせしてた奴がこいつよっ」
と叫んだ。
あ~。
そんな話聞いたな~とあかりは思い出す。
「ちょっと聞いてよっ」
と言って、よく孔子が電話をかけてきていた。
……二、三時間。
「あのときの方ですか」
とあかりが言うと、穂月は、うっ、と気まずそうな顔する。
「すっかり穏やかになられて。
……人って、変わるものなんですね」
「なに言ってんの、あかりっ。
こいつの性根が変わるわけないじゃないっ」
と叫びながら、孔子はスツールに腰を下ろした。
「アイスコー……
なにこの、支払いは、スマイルでって」
と新しいメニューの紙を見て、孔子が言う。
「いや、子どもたちがメニュー書きたいって言うから、書いてもらったの」
「すみません。
いつもみんなで押しかけて」
とあかりにぺこぺこ頭を下げる穂月を見て、孔子が、ええっ? という顔をする。
穂月は、そんな孔子を見て、ちっ、と舌打ちをした。
「なによ。
あの頃は私も追い詰められてたのよ。
あの店、意地悪な先輩ばっかりでさ」
「まあ、それはわかるけど……」
「……そして、今また、追い詰められつつあるわ、子育てに」
じっとカウンターを見て穂月は呟く。
「お、落ち着いてください、穂月さんっ。
あのっ、占いでもしましょうか?」
「なに? 占い?」
じゃあ、私がしてやるわよ、と孔子は言う。
「私の方が当たるわよ。
あかり、昔、あんたを占ってやったじゃない。
高校のとき。
『面倒ごとを起こす男ばかりが寄ってくる』
今思えば、当たってたわよね」
そうだろうか。
青葉さんたちが聞いたら、
「いやいや、面倒ごとを起こしてるのは、お前の方」
とか言ってきそうなんだが……とあかりは思う。
穂月がチラと孔子を見て言う。
「あんた、そんなことやってないで、漫画描きなさいよ」
孔子はそんなに漫画を描いている話を人にはしないのだが。
彼女にはしていたようだ。
「……描いてない」
「なんでよ。
面白かったのに。
あんたは気に入らないけど。
あんたの漫画は好きよ」
続けなさいよ、と穂月は言う。
「それ、よく言ってたけど。
漫画に集中させて、私にバイトをやめさせたかったからでは?」
「それもある」
……あるんだ、とあかりは苦笑いした。
「でも、面白かった。
子供も読めるようになったら、読ませたいから描きなさいよ」
じゃあ、と穂月はアイスコーヒーのお礼にと、スマイルではなく、近所の美味しいお菓子屋さんのクッキーを置いて去って行った。
孔子は振り返りもしない。
カランコロン……と扉が閉まるのを見ながら、あかりは呟く。
「なんだろう。
あんまり目も合わせないし、スパイ同士の緊張感あるやりとりみたいだった」
「なんなの、その例え。
ほら、笑うから、アイスコーヒー
……と紙と鉛筆」
「え?」
「今、ナイスなアイディア浮かんだ。
穂月をモデルに悪役描いてやる」
孔子の漫画に出てくる悪役は、いつも何処か、なんとなく、やさしい。
前と違う穂月の面を見たから、いい感じに登場させられそうな気がしたのかもしれない。
孔子が帰ったあと、あかりは店の前を掃きながら、暑さでちょっと歪んだ道の先を眺める。
あーあ。
もう来ないかもな……穂月さん。
せっかくお友達になれたのに――。
翌日の夕方、また子どもたちが攻めてきた。
どうやら、あのおじいさん人形を拝むと、テストで100点がとれるという都市伝説ができたらしい。
……増えてる、子どもたちが、とあかりが店内に溢れ返る小学生を見ながら思ったとき、カランコロンと扉が開いた。
穂月が下の子を連れて現れる。
「やだーっ。
もう、またこの子ったら。
すみません、あかりさん」
……超、いつも通りに来たな、
と思ったあとで、ちょっと笑うと、穂月も、ふふふ、と普段の人が良さそうな顔で笑った。
まあ、かつて孔子が見てた穂月さんも、今、私が見てる穂月さんも、どっちも本物の穂月さんなんだろうな、と思う。
その後、孔子と穂月があかりの店で、漫画の展開について、しばしば揉めるようになった。
「うるさいわねっ。
なんで、あんたが望むように展開しないといけないのよっ。
あんた、編集っ!?」
「そっちの方が夢があるって言ってんのよっ。
こっちは疲れてんのよ。
そんな暗い話読みたくないわよっ。
夜寝ない子どもの子育てで荒んだ、主婦生活っ。
あんたの漫画で癒しなさいよっ」
「いいやっ、やっぱり、これで行くわっ。
私、必ず、あんたを納得させる漫画を描いてみせるからっ」
いや、編集さんじゃなくて……?
孔子はなんだかんだ言いながら、前より真面目にネームを描いているようだった。
なんか揉めてるけど。
穂月さんと再会したことは、孔子にとってはよかったのかな?
と思いながら、スマイルももらわないのに、あかりは、せっせと二人にアイスコーヒーを淹れ続けた。
そして、そんなある日――
青葉は大吾と揉めていた。
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