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ゼロどころか、マイナスからの出発
なんでも叶う魔法の呪文
しおりを挟む次の日の昼、大吾が訪ねてきた。
会議の帰りだとかで、きちんとスーツを着ていてた。
不思議なものだな、とあかりは思う。
最初の頃は、よく似てると思ってたのに。
最近、ちっとも似て見えない、と思いながら、
「なにお飲みになりますか?」
と訊くと、
「アイスコーヒー」
と言ったあとで、大吾は、
「そういえば、この店で金払ったことないな」
と言う。
……いや、だから、ここ、カフェでも喫茶店でもないんですけど。
「来斗とカンナの件だが、難航しそうだぞ」
「でしょうね」
と言いながら、アイスコーヒーを淹れ、大吾に出す。
「そこでだ。
お前、俺と結婚しないか」
「え?」
なにが何処で、どう、それでだったんですか、今――
とあかりは思う。
「来斗たちと同時に、俺たちも結婚すると言って、親を撹乱する」
なんの技ですか、それは……。
「そして、こっちが上手くいったら、来斗は兄嫁の弟。
なんとなく、家の格的に問題なくなる感じがしないか」
「あの、来斗たちで手こずるのなら、長男の結婚の方がもっと手こずると思うんですよね」
「まあ、それはさておき」
さておくんだ……と思うあかりの手を大吾は握ってくる。
「過去にこだわるより、新しい未来に向かった方が建設的だと思わないか?
最近、思うんだ。
俺はたぶん、
寿々花さんに連れられていってお前に会ったあの日、
『お前は誰だ』と言ったあの瞬間に、お前に一目惚れしてたんじゃないかって」
いや、それ、私のトラウマなんですけど……。
「俺は過去の青葉を超えてみせる。
あかり――
俺と結婚してくれ」
そのとき、あかりは気がついた。
そういえば、青葉さん、日向も作ったし、お父さんには、私を幸せにするっと言ったけど。
こんなにハッキリ、プロポーズしてくれてないな、と。
いや、そんな暇もなかったのだが……。
ということは、これが人生、初プロポーズなのか。
いや、だからって受けたりはしないのだが。
大吾はあかりの手を強く握り言う。
「心配するな。
俺は過去のお前たちの愛に打ち勝つっ」
打ち勝たないでください……。
でも、お前たちの愛か。
口に出してそう言われると、短い間だったけど、愛があったんだなーと改めて思う。
そして、すごく遠くに封じ込めていた青葉さんの笑顔が、今はすぐそこにあることを実感する。
私、なんだかんだ頑ななことを言いながらも。
もしかして、今、幸せなのだろうかな……?
とこのとき、ちょっと思った。
夜、いつものようにせっせと青葉が通ってきた。
だが、思い詰めたような顔で店内をウロウロしている。
……ウロウロしているわりには、こだわりのランプはちっとも見てくれないのですね、
と少し寂しく思いながら、あかりは、
「なにか飲まれますか?」
と訊いた。
「アイスコーヒー」
と言ったあとで、青葉は振り向き、
「そういえば、この店で金払ったことないな」
と言う。
いや、双子か……。
顔だけじゃなく、発想まで似てるのか?
と思いながら、ガラガラとカウンター下の小さな冷凍庫から氷をグラスに落としていると、
「その、動物園とか行かないか?
休みの日」
という声が聞こえてきた。
「日向とですか?」
「……ああ、そうだな。
日向もいると嬉しいな。
でも……
いや、うーん」
と青葉は悩み出してしまった。
なんだかわからないが、笑ってしまう。
「じゃあ、何人かで行きましょうか」
青葉は、えっ? と喜んだあとで、また、えっ? と驚いたように言った。
「何人かで!?」
と訊き返してくる。
「だって、木南さんは日向の相手に慣れてません。
走り出した日向、止まらないですよ。
突然、なに始めるのかわからないので、常に見張りが必要だし。
数人で行った方が」
と言うと、なるほどな……と言う。
「真希絵さんたちにもお願いして大丈夫か?」
「はい、たぶん。
あ、でも、夜の動物園の方がいいって言うかもしれませんけどね。
昼間暑いんで」
と笑ったとき、来斗からメッセージが入ってきた。
「あ、来斗からですね」
とスマホを手に取り、開けてみた。
『ごめん、ねーちゃん。
俺、ほんとに呪文を唱えるかも』
「どうかしたのか?」
と沈黙したあかりに、青葉が訊いてくる。
「ああいえ、なんでもないです。
……楽しみですね、動物園」
とあかりは笑った。
なんでも叶う魔法の呪文。
今まで唱えなかったのは、唱えた途端、なにか恐ろしいことが起こる気がしていたからだ。
なんでも叶う未来と引き換えに。
肝心なことは叶わない未来がやってくるのではないかと――。
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