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終わらない百物語を――
百物語が終わるとき
しおりを挟む「誰だったんだ?」
掠れた声で、そう問うてきたのは嵩人だった。
「……誰だと思う?」
彩乃は揺れる炎の向こう居る嵩人を見た。
襖に映る嵩人の影も、嵩人とは別の生き物であるかのように、炎に揺れ、蠢いている。
「最初は俺の母親かと思った」
その言葉に峻が嵩人を見る。
ちづるを恨む着物の女。
それが嵩人の母である意味を峻はわかっているだろう。
何故、彩乃が嵩人に近づかなくなったのか。
何故、嵩人が彩乃と距離を置くようになったのか。
弁護士として、多くの親族の者に関わった峻ならば、様々な噂話が耳に入っていることだろうから。
落ち着かない感じに揺れる蝋燭の灯りの中、嵩人はその表情を曇らせる。
「だが、その女は夫も孫もと言ったんだろう?
じゃあ、うちの母親じゃないな」
「菊江様か?」
と峻が言った。
菊江は今は亡き荘吉の妻だ。
いや、と嵩人は眉をひそめて言う。
「孫というのが俺だとしても。
夫というのは荘吉ジイさんなんだろう?
ちづるさんとジジイは、ただの喧嘩仲間だったと聞いている」
「そうね。
荘吉おじいさまは関係ないわ。
あの人はただお母さんと私を哀れんで、かばってくれているだけの人」
彩乃はポケットから赤い手鏡を取り出した。
「あの百物語の最後、私は蝋燭に照らされた刀身にあの人の顔を見た。
その顔はずいぶんと若かったけれど、誰だかすぐにわかったわ。
あれからずっと、鏡に映る私の顔の横に、あの人の顔が見えるから」
彩乃は顔の左半分に手をやる。
「だから私は化粧をしないの。
鏡を見たくないから――」
そうして、膝の上に置いていたその手鏡を持ち上げた。
「あら?」
「どうした?」
「映ってないわ」
大婆様が居ない、と彩乃は言った。
彩乃があのとき見たのは、荘吉の母、ナツだったのだ。
「大婆様?
どういうことだ。
その霊が大婆様だとするなら、夫と言うのは、大爺様だよな。
あの頃にはもうかなりのお年だったはずだが」
でも、と嵩人は表情を曇らせる。
「そうか。
孫とは俺の父親のことだな。
……そこだけは合っている」
「いいえ、全部合ってるわ」
と言って、彩乃は、ふっ、と蝋燭の火を吹き消した。
「行きましょう。
私の側からナツ様が消えてるの。
私に呪いをかけるのを忘れるほど、執着があるモノのところに、きっとナツ様は居る」
「何処だ、そこは」
と立ち上がった彩乃について来ながら、嵩人が訊く。
「決まってるじゃない。
ナツ様が、私の母を恨んだ原因……」
彩乃が玄関まで行くと、左手の廊下の前に融が居た。
無言でこちらを見る。
まだ納戸からはカリカリと音が聞こえていた。
聡の居るトイレの前に、花魁のような派手な朱の着物を着た女が立っていた。
ナツだ。
恐ろしい気配が押し寄せてくる。
この扉の向こうから――。
聡は息を詰め、雰囲気の変わってしまった屋敷の動向を感じようとしていた。
霊はたくさん居るが、いつも何処か穏やかな空気に包まれていたこの雨屋敷の中が、今は何故か緊迫している。
おかしい。
屋敷を守るあの気配を感じない。
あの気配。
優しい声で、自分を何度もこの扉の向こうに誘おうとしてくれた。
『此処から出たら?
こんな辛気臭いとこに居て、なんになるの?』
切って捨てるような口調だが、その奥にある優しさが嬉しくて。
ずっとその声を聞いていたくて。
あの人は――
最後になんて言っていたろうか。
『もう行ってっ。
いっそのこと、此処から消えてっ』
「……ちづるさん」
思わずその名を呼んだとき、背後に気配を感じた。
いつの間にか薄く開いていた窓に、一瞬、彩乃の姿を期待したが。
そこに居たのは、何か恐ろしい怨念の塊だった。
姿は見えないのに、目だけがこちらを覗いている。
「……ひぃっ」
思わず頭を抱え、聡は、しゃがみ込んだ。
血走り、上から見下すように自分を見る目。
恐ろしい。
恐ろしい。
恐ろしい。
自分はもう『あれ』を見たくない。
そのとき、目を閉じているのに、何故か、その目が笑うのが見えた。
『……ちづるさん?
お前にその名を呼ぶ資格があるのか?
お前が――』
お前がちづるを殺したくせに――。
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