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第一の殺人
県警の谷本ですっ
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融おじさまは犯人が屋上に上がっていったのを見てないのか。
まあ、犯人なんてものが居るのなら、の話だけど、と思いながら、彩乃は東側の階段を上がろうとして気づいた。
いつもの霊がなにも言わないことに。
階段の途中で足を止め、姿の見えない霊に向かい、訊いてみる。
「……言わないの?」
だが、なんの返事もなかった。
「人が落ちたから満足なの?
それとも、実は本当に人が落ちたからショックなの?」
いつもの階段の霊は、それでも何も言わなかった。
まさか、この霊も成仏したんじゃ――。
さっき、仏間を覗いてみたら、ついに人をとり殺して満足したのか、仏間の霊は消えていた。
悪霊とは言え、居なくなるとちょっと淋しいな、と思ったとき、微かな声が聞こえてきた。
「……落ちるぞ」
いや、全然、覇気がないんですけど……。
「言いたくないのなら、別に言わなくていいのよ、別に」
「いや、ちょっと自分が落ちたときのことを思い出して……」
と階段の霊は言う。
それでブルーになってたのか。
しばらく、そっとしとこうと思い、行こうとしたが、ふと足を止め、振り返った。
「ねえ、さっき、山村のおじさまが落ちる前、誰か此処を上がっていった?」
と訊いてみる。
「いや」
「じゃあ、おじさまが落ちたあと、誰か此処を下りていった?」
「いや」
屋上の物干し場に出るには、さっきの階段か、この階段を通るしかない。
「密室だわ」
と呟くと、
「好きだな、お前、そういうの」
と言ったあとで、
「私が犯人なら、物干し場から、山村が落ちたのとは反対側に飛び下りるな」
と階段から落ちて死んだ霊が言う。
いや、貴方は無理でしょう、と思いながらも、彩乃は言った。
「ありがとう。
一応、確かめてみる」
と。
物干し場は今は警察が調べているので入れない。
何処かになにかを伝えに行く途中なのか、急いで下りてきた警官を捕まえて訊いてみたら、達夫の煙草は屋上にあったそうだ。
煙草の箱も、吸い終わった煙草の入った携帯灰皿も。
彩乃は階段の霊の話を思い出しながら、死体が落ちていたのとは反対側にある中庭に行く。
飛び下りて逃げたねえ……。
まあ、確かに死ぬ程の高さではないか。
山村のおじさまは、たまたま石に後頭部を打ち付けたから亡くなってしまわれたけど、と思いながら、彩乃は物干し場のある屋上を見上げた。
山村は仰向けに倒れていた。
だが、だからと言って、誰かに突き飛ばされたとは断定しづらい。
後ろ向きに飛び降りることもあるだろうし。
ただの事故かもしれない。
まあ、別に手すりが腐ってたとかでもないし。
事故はちょっと無理があるような気も……と思いながら、視線を屋上から下に向けたとき、それが目に入った。
目の前にある紫陽花の影に佇む女はもう成仏しかけている薄い霊で、なにも語りそうにはなかったが。
その向こうに、腕を組んで、洋間の中を見ている若い女が居た。
「玲子さん」
と彩乃は驚いて、声をかける。
首藤玲子は元この雨屋敷の住人だったのだが。
今は仕事の関係で、ドイツに居る。
向こうの研究所で働いているようだった。
詳しい話はしないし、訊かないので、よくわからないのだが。科学捜査なんかもやる研究所らしい。
「さっきから、そこ居ました?」
後ろでひとつに束ねている栗色の長い髪を揺らし、玲子は、
「居たけど?」
とそれがなに? というように小首を傾げて言ってきた。
「山村のおじさまが落ちてきたときは?」
「ああ、あのときも居たわ。
ちょっと考えごとをしていたから」
と古いガラスのはまった戸の方を見ながら玲子は言う。
あの騒動の最中、玲子はずっと此処に居たらしい。
学者っぽい人はやっぱり変わってるな、と、
「いや、お前にだけは言われたくないだろう」
と嵩人たちが言ってきそうなことを彩乃は思っていた。
「こっち側に誰か飛び下りてきたとかありました?」
えっ? 飛び下りる? と玲子は屋上を二度見する。
「そんな酔狂な人間は見なかったわ。
第一、落ちてきたら、この辺の地面が乱れてるはずでしょ」
と蔓延る紫陽花や、その下の雑草を指差し、言ってくる。
玲子らしい冷静さだ。
「そりゃそうですよね」
ありがとうございました、と言って、彩乃はその場を後にした。
屋敷の中に入ると、玄関から真っ直ぐ伸びた広い廊下に立つ。
屋敷が広すぎて、昼の光も此処までは入り込んでこないので、この廊下はいつも暗い。
古いがよく磨かれた床を眺めながら、頭の中で事件を整理していると、融が鼻歌を歌いながらやってきた。
落ち着きのない融は、この中央の廊下と交差している細い廊下をいつも端から端まで行ったり来たりしている。
あれなら、どっちの階段から犯人が下りてきてもわかるわよね、と彩乃は思った。
二階に上がる階段は融が往復している廊下の東西にあるのだ。
そのとき、彩乃の耳に、それが聞こえてきた。
カリカリカリカリ……となにかを引っ掻くような音。
玄関西側の聡のトイレ近くに納戸があるのだが、その中からそれは聞こえてくる。
またか……と彩乃は思った。
子どもの頃から何度も、彩乃は、この音は聞いていた。
そっと納戸に近づいてみる。
だが、そのとき、グーッと低い音がした。
玄関の呼び鈴だ。
壊れかけて、おかしな音がしているが、使えないわけでもないので、そのままだ。
「信子さん、香奈さん」
といつも頼りにしているこの屋敷の下働きの女たちを呼んでみたが、みな忙しいようで返事がない。
訪ねてくる客の応対とか苦手なんだが。
仕方ない、出てみるか、と彩乃は玄関に向かった。
はい、とすりガラスのはまった大きなガラス扉を開けると、
「あっ、あの、警察ですっ。
県警の谷本と申しますっ、こんにちはっ」
とスーツ姿の若い男が早口に言ってくる。
何処かのアイドルか、という感じの、偉く可愛らしい顔をしていた。
まあ、犯人なんてものが居るのなら、の話だけど、と思いながら、彩乃は東側の階段を上がろうとして気づいた。
いつもの霊がなにも言わないことに。
階段の途中で足を止め、姿の見えない霊に向かい、訊いてみる。
「……言わないの?」
だが、なんの返事もなかった。
「人が落ちたから満足なの?
それとも、実は本当に人が落ちたからショックなの?」
いつもの階段の霊は、それでも何も言わなかった。
まさか、この霊も成仏したんじゃ――。
さっき、仏間を覗いてみたら、ついに人をとり殺して満足したのか、仏間の霊は消えていた。
悪霊とは言え、居なくなるとちょっと淋しいな、と思ったとき、微かな声が聞こえてきた。
「……落ちるぞ」
いや、全然、覇気がないんですけど……。
「言いたくないのなら、別に言わなくていいのよ、別に」
「いや、ちょっと自分が落ちたときのことを思い出して……」
と階段の霊は言う。
それでブルーになってたのか。
しばらく、そっとしとこうと思い、行こうとしたが、ふと足を止め、振り返った。
「ねえ、さっき、山村のおじさまが落ちる前、誰か此処を上がっていった?」
と訊いてみる。
「いや」
「じゃあ、おじさまが落ちたあと、誰か此処を下りていった?」
「いや」
屋上の物干し場に出るには、さっきの階段か、この階段を通るしかない。
「密室だわ」
と呟くと、
「好きだな、お前、そういうの」
と言ったあとで、
「私が犯人なら、物干し場から、山村が落ちたのとは反対側に飛び下りるな」
と階段から落ちて死んだ霊が言う。
いや、貴方は無理でしょう、と思いながらも、彩乃は言った。
「ありがとう。
一応、確かめてみる」
と。
物干し場は今は警察が調べているので入れない。
何処かになにかを伝えに行く途中なのか、急いで下りてきた警官を捕まえて訊いてみたら、達夫の煙草は屋上にあったそうだ。
煙草の箱も、吸い終わった煙草の入った携帯灰皿も。
彩乃は階段の霊の話を思い出しながら、死体が落ちていたのとは反対側にある中庭に行く。
飛び下りて逃げたねえ……。
まあ、確かに死ぬ程の高さではないか。
山村のおじさまは、たまたま石に後頭部を打ち付けたから亡くなってしまわれたけど、と思いながら、彩乃は物干し場のある屋上を見上げた。
山村は仰向けに倒れていた。
だが、だからと言って、誰かに突き飛ばされたとは断定しづらい。
後ろ向きに飛び降りることもあるだろうし。
ただの事故かもしれない。
まあ、別に手すりが腐ってたとかでもないし。
事故はちょっと無理があるような気も……と思いながら、視線を屋上から下に向けたとき、それが目に入った。
目の前にある紫陽花の影に佇む女はもう成仏しかけている薄い霊で、なにも語りそうにはなかったが。
その向こうに、腕を組んで、洋間の中を見ている若い女が居た。
「玲子さん」
と彩乃は驚いて、声をかける。
首藤玲子は元この雨屋敷の住人だったのだが。
今は仕事の関係で、ドイツに居る。
向こうの研究所で働いているようだった。
詳しい話はしないし、訊かないので、よくわからないのだが。科学捜査なんかもやる研究所らしい。
「さっきから、そこ居ました?」
後ろでひとつに束ねている栗色の長い髪を揺らし、玲子は、
「居たけど?」
とそれがなに? というように小首を傾げて言ってきた。
「山村のおじさまが落ちてきたときは?」
「ああ、あのときも居たわ。
ちょっと考えごとをしていたから」
と古いガラスのはまった戸の方を見ながら玲子は言う。
あの騒動の最中、玲子はずっと此処に居たらしい。
学者っぽい人はやっぱり変わってるな、と、
「いや、お前にだけは言われたくないだろう」
と嵩人たちが言ってきそうなことを彩乃は思っていた。
「こっち側に誰か飛び下りてきたとかありました?」
えっ? 飛び下りる? と玲子は屋上を二度見する。
「そんな酔狂な人間は見なかったわ。
第一、落ちてきたら、この辺の地面が乱れてるはずでしょ」
と蔓延る紫陽花や、その下の雑草を指差し、言ってくる。
玲子らしい冷静さだ。
「そりゃそうですよね」
ありがとうございました、と言って、彩乃はその場を後にした。
屋敷の中に入ると、玄関から真っ直ぐ伸びた広い廊下に立つ。
屋敷が広すぎて、昼の光も此処までは入り込んでこないので、この廊下はいつも暗い。
古いがよく磨かれた床を眺めながら、頭の中で事件を整理していると、融が鼻歌を歌いながらやってきた。
落ち着きのない融は、この中央の廊下と交差している細い廊下をいつも端から端まで行ったり来たりしている。
あれなら、どっちの階段から犯人が下りてきてもわかるわよね、と彩乃は思った。
二階に上がる階段は融が往復している廊下の東西にあるのだ。
そのとき、彩乃の耳に、それが聞こえてきた。
カリカリカリカリ……となにかを引っ掻くような音。
玄関西側の聡のトイレ近くに納戸があるのだが、その中からそれは聞こえてくる。
またか……と彩乃は思った。
子どもの頃から何度も、彩乃は、この音は聞いていた。
そっと納戸に近づいてみる。
だが、そのとき、グーッと低い音がした。
玄関の呼び鈴だ。
壊れかけて、おかしな音がしているが、使えないわけでもないので、そのままだ。
「信子さん、香奈さん」
といつも頼りにしているこの屋敷の下働きの女たちを呼んでみたが、みな忙しいようで返事がない。
訪ねてくる客の応対とか苦手なんだが。
仕方ない、出てみるか、と彩乃は玄関に向かった。
はい、とすりガラスのはまった大きなガラス扉を開けると、
「あっ、あの、警察ですっ。
県警の谷本と申しますっ、こんにちはっ」
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