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それ、事件じゃないんですかっ!?

あなたは確かに名探偵です

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 振り向くと、副市長のイケメン秘書が立っていた。

 副市長が、すみませんでしたと言って帰っていったとき、一緒に帰っていったはずなのに。

「私の指には指輪があって、藍子さんの指にはない。
 まあ、仕事のとき邪魔だからしないということも考えられるので、話しかけて確認したんでしょう」

 藍子というのが、あの女の先生の名前のようだった。

「藍子さんはよく見てなかったんですよね、あのとき。
 ほとんど貴方の方に背を向けていたから」

 そうイケメン秘書は呟くように言う。

 どうやら、彼らの不倫現場、というか、二人で居るところを桂が偶然、見てしまっていたようなのだ。

 もちろん、そのときには、何処の誰だか知らないので、不倫かどうかも桂にはわからなかったのだろうが。

 向こうは、桂に見られたことをハッキリ覚えていたようだ。

 そして、こちらがハッキリ覚えているのだから、向こうもハッキリ覚えているに違いない、と思ってしまったのだろう。

 桂の方はただ単に、

 なんでこの女性が先生って、見ただけで思うんだろうな、とぼんやり思いながら通っただけのようなのだが……。

 不用意にその目立つ顔でウロウロしないでくださいよ、先生~と夏巳は思っていた。

「先生。
 先生は、ご自分のことを名探偵ではないとおっしゃってましたけど。

 貴方は、確かに名探偵ですよ」

 そう言い、イケメン秘書は笑う。

「たくさんの犠牲者が出たあとで、推理を始める物語の中の探偵より、貴方の方が、よほど名探偵です」

 その言葉に、夏巳は、桂が思ったより大きな事件を防いでいたことに気づいた。

 たぶん、この秘書は、これから犯罪を犯そうとしていたのだ。

 不倫が原因で、妻を殺すか。

 愛人を殺すか――。

 だが、いきなり探偵が介入してきてしまったことで、気がそがれたようだった。

「副市長、すっかりしょげてますよ。
 いつもは気のいいおじさんなんですけどね。

 今回の話、広まったら、今の地位も危うくなるかもしれませんしね」

 ……みんなの前でしゃべっちゃいましたもんね。
 先生突き落としたこと。

 ただその原因があまりにもしょうもなかったので、どうなるかはわからないが。

「あの姿見てたら、犯罪で失うものって、やっぱり大きいなって。
 そんな当たり前のこと思って――。

 さっき戻ってきて、テント片付けるの手伝ったんです」

 そう言う秘書の人のスーツはそういえば、少し埃で汚れていた。

「副市長にはみんなに口止めしてきますって言って出てきたんですけど。
 止められるわけもないですしね。

 どうしようかなーと思ってたら、ちょっと手伝ってくれってその辺でテント抱えてた人に言われて。

 手伝いながら、小さな子どもと一緒に片付けてる家族とか眺めてたら、ちょっと目が覚めたっていうか。

 仕事のストレス解消に、非日常性を求めて、不倫にはまったんですけどね。

 こう、ぐいと日常に引き戻されたっていうか。

 日常の中にあるささやかな幸せに気づいたって言うか」

 人気のなくなってきた夕暮れのグラウンドを見ながら、秘書の男は、そうポツリポツリと語る。

「彼女見てると、なんか落ち着いたんですよね~。
 懐かしい感じがして。

 なんでかなと思ってたんですが。
 よく考えたら、先生だったからなんですよね。

 外で会うとき、彼女が、たまにジャージにポロシャツをインしてるのが飾り気なくて好きだったんですけど。

 ああ、スカートでも砂で汚れたスニーカー履いてたりするとことか。

 でも、此処来てみたら、そんな女の先生、いっぱい居ますしね」

 ああ、と桂と夏巳は手を打った。

 そうか。
 そういう服装で先生ってわかるんだ、と気がついたからだ。

 当たり前すぎて、気づかなかった。
 夏巳たち学生はいつも見てるので、その格好に違和感もないし。

「……殺さずに妻とやり直してみます」

 グラウンドを見たまま、秘書はそう宣言した。

 いや、本当に?
 そんなことで?
と思ったが、人の感情って、意外とそういう些細なことで方向性が変わったりするのかもしれないなとも思った。



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