不眠症の上司と―― 千夜一夜の物語

菱沼あゆ

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上司の秘密

やっぱり、帰ります

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 亮太から警告は受けたものの、結局、那智は、そのまま、毎晩、遥人を寝かしつけていた。

「で? 今夜は、なにを語ってくれるんだ?
 この出来損ないのシェヘラザードは」

 膝の上に寝ている遥人が言う。

 今日は、遥人の部屋のソファで寝ていた。

 テレビからは、那智がつけたお笑い番組が流れている。

「えー。
 いい加減、ネタ尽きてきたんですけどね。

 ああでも、ネタが尽きたとか言ったら、殺されるんですよね、シェヘラザードって」

「ネタが尽きたとか、そんな軽い話だったか? アラビアンナイト」

「えー、じゃあ、さっきのお笑いのネタを」
とテレビの方をうかがいながら言うと、違うだろ、とそこにあったスポーツ雑誌ではたかれる。

「いたた……」

 そう頭を押さえたとき、スマホの呼び出し音が聞こえた。

 目を閉じかけていた遥人が立ち上がる。

 遥人はダイニングテーブルの上に投げていたそれを見ていたが、何故か、すぐには出なかった。

「もしもし」
と言いながら、キッチンの方に歩いて行ってしまう。

 なんだろう。
 そんな遥人の様子を見ていると、無性に落ち着かない気分になる。

「ちょっと行けるかどうかわからないから、また連絡する」

 目を閉じると、少し甲高い女の声が聞こえた気がした。

 まあ、思い込みによる幻聴かもな、と思いながら、でも、かけてきた相手は、梨花で間違いないだろうと思っていた。

 スマホを切って、こちらに戻ってきた遥人に言う。

「行かないんですか?」

 遥人は珍しく困った顔をした。

「……また浮気されちゃいますよ」

 少しだけ笑い、そっと囁くように言ってみた。

 遥人は部屋の時計を見上げ、
「もう寝ようと思ってたのにな。
 まったく気まぐれだから」
と溜息をつく。

「じゃあ、お前、泊まって帰れ」

「嫌ですよ。
 なんで私がひとりで此処で寝なきゃいけないんですか」

 遥人がいないのに、遥人の部屋でひとりで寝るなんて、そんな寂しい話もない。

「帰ります」
と那智は言ったが、遥人は何故か、

「いや、ここにいろ」
と強硬に言う。

「なんでですか」

「夜も遅いから、危ないだろう」
「タクシーででも帰りますよ」

「朝には戻るから、ここにいてくれ」

 そう懇願してくる遥人に、
「……そろそろ殴ってもいいですか?」
と那智は言った。

 さすがにそれはない、と思ったのだ。

 今から、他の女と会ってくるから、朝まで待ってろなんて。

 いや、腹を立てられるような立場にないのはわかっている。

 私はただ、頼まれて、専務を寝かしつけてるだけなのだから――。

 だが、なんだか泣きそうだった。

 その顔を遥人に見せないように俯き、涙を落とすまいと頑張っていると、ふいに遥人の手が頬に触れた。

 顔を近づけてきた遥人だが、そこでやめる。

 手を離し、
「確かに、俺にお前を引き止める権利はない」
と言った。

「なんで、ここにいろなんて言うんですか」

 そんな遥人を恨みがましく見てそう言うと、彼は困ったような顔をする。

「ちゃんと言ってくれたら、いてもいいです」

 なんだかわからないが、ちょっと可哀想な感じがしてきて、そう言ってしまった。

 いや、まあ、可哀想なのは私なんだが……。

「……ここにいないと、何処かに行くかもしれないじゃないか」

「は?」

「いや、いい。
 わかった。

 送ってってやるから帰れ」

 遥人はそれ以上、続きを言いたくないようで、照れたように早口にしゃべる。

 可愛い……。

 普段は見られないそんな表情を見て、つい、そう思ってしまった。

 だが、よく考えたら、可愛いと思うような場面ではない。

 確かに、照れながら、他の男のところに行かないでくれと言ってはいるのだが。

 自分は、これから別の女のところに行くという――。

 専務を好きとかじゃないけどっ。

 ……本当にそういうんじゃないけどっ。

 那智は、すっくと立ち上がる。

「わかりました。
 やっぱり、帰ります。

 送ってってくださいっ」

 そう那智が言ったとき、遥人のスマホが鳴った。

 梨花のようだ。

 黙って、それを見つめている。

「早く出たらどうですか?
 なにもしゃべったりしませんから」

 遥人は少し申し訳なさそうな顔をして、電話に出た。

「え……?
 来る!?」

 梨花の話を聞いていた遥人がらしくもなく、声を上げた。

 来る?
 何処に?

「来てるって、何処に?」

 もしかして、ここにっ!?

 話しながら遥人が、窓辺に行き、下を見ようとして戻ってくる。

 どうも下でもないようだった。

 ま、まずい……。

「ああいや、もう出かけようと思って支度してたから」

 下りると遥人は言ったようだったが、その瞬間、チャイムが鳴った。

 まずいーっ。

 梨花は待てない性格なのか、チャイムを連打し始める。

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