お好み焼き屋さんのおとなりさん

菱沼あゆ

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おまけ

俺とお前だけの秘密

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「それで、タツノオトシゴを改札の機械に押し付けてる人がいてですね」

「なんだって?」

 このアパートに住まないにしても、マンションの方を買うのは確実なので、ちょっと付近を散歩してみるか、と錦は朝のランニングに出ようとした。

 すると、隣のドアが開き、先ほどの不思議な会話が聞こえてきたのだ。

 なんだって? と訊き返した男と同じくらい自分も話のつづきが気になったが。

 隣の住人はこちらに気づき、話をやめてしまった。

「あっ、こんにちおはようございます」

 途中でまだ朝だと気づいたのか、そんな挨拶をしてきたのは、可愛らしい顔をしたモデル体型の女の人だった。

 その横にいるのは、長身のイケメン。

 二人とも品が良く、錦は思わず、
 ここの住人は、確かに、『リバーヒルズガーデン』な感じだっ、と思った。

「隣の住人いるじゃないか」

「ほんとですね。
 私も知りませんでした」
と話す二人に、錦は慌てて、

「あっ、すみませんっ。
 違うんですっ」
と説明をする。

 

「そうなんですか。
 宮澤さん、親切ですね」
と話を聞いた砂月は言った。

「それ、宮澤さんなのか?」

 錦は担当スタッフの名前まで言っていなかった。

「にゃん太郎と遊んでたのなら、宮澤さんでしょう。
 運命の相手らしいですから」

「なんだ、運命の相手って」

「そう言ってましたよ、この間。
 にゃん太郎が運命の相手だって。

 ……なに罪悪感にまみれたような顔してるんです?」

「いや……でも、俺が砂月を譲るとかできないし……」
と呟いているのが聞こえてきた。

 なにゆえ、今、私は譲られようとしているのでしょう。

 こんなラブラブな朝を迎えているのに。

 男の友情怖い、と砂月は思っていた。

「あっ、でも、すみません。
 お隣さんいたとは知らなくて。

 今朝、すごいいびきで」

 そう言うと、錦は何故か微笑ましげにこちらを見る。

「素敵な彼女さんですね」
と錦は高秀に言った。

 いびきが素敵なのだろうか……?

「彼氏さんのいびきにキレずに、代わりに謝ってくれるだなんて」

「いえ、あれは私のいびきです。
 すみません」

 錦はなにを言われたのかわからないようだった。

 今、そこにたたずんでいる砂月といびきの間に、なんの関係性も見出せなかったらしい。

 だが、高秀は不快そうな顔をする。

「なんでお前のいびきの話をするんだ。
 ……俺とお前だけの秘密にしたかったのに」

「いや、友だちとかもみんな知ってますから」
 そんな話をしている間、錦は苦笑いしていた。

「いいなあ、僕も彼女が欲しくなりました。
 ところで、あの。

 ちょっとお訊きしたいんですが」

「はい。
 なんでも訊いてください。

 この辺りのことなら。

 ……いや、よくは知らないんですけど、まだ」
と言って、じゃあ、なんで言った? という目で高秀に見られる。

「あの、タツノオトシゴ、なんなんですか……?」

「は?」
 


「タツノオトシゴに交通系ICカードが入ってて。
 むにゅっと改札で押し付けられてるの、見たんですよ」

「日本語をしゃべれ」
と言ったのは、錦ではなく、高秀だった。

「えーと……。

 ああ、タツノオトシゴのぬいぐるみに交通系ICカードが入ってるらしく。
 むにゅっと改札機に押し付けられてるの見てんですよ」

「ああ、たまにいますね。
 ぬいぐるみみたいなICカード入れ持ってる人」

「タツノオトシゴのぬいぐるみってあるのか……」
とそれぞれが呟いている。
 


「最初は素敵な香りだなって、思ってたのよ」

 そんな風に嘉子は語り出した。

「ほんのり香るの、あの人の側にいると。
 匂いまで素敵な人なのねって思ってたんだけど」

 嘉子は、そこでなにかのカラクリ人形のように渋い顔をして言う。

「イラッと来てるときにその匂いを嗅ぐと、香りにまで、イラッと来るのよ。
 こんなときまで、いい香りさせてんじゃないわよって」

 例の素敵なお医者様の話らしい。

「そうなんですか……」

 いい香りだとは思うんだ?
 新手のツンデレかな?
と思いながら、砂月は、もくもく肉を食べていた。

 海辺の素敵なレストラン。

 夜風と砂が吹きつけてくる。

 ……今日はちょっと風が強かったようだ。

「美味しい?」
と嘉子が訊いてくる。

「はいっ。
 美味しいですね、ここっ」

 嘉子は上目遣いにこちらを見、
「今、高秀さんと今度来ようっとって思ったでしょ?」
と言う。

 ……超能力かな。

 はあ、と溜息をつき、
「いいわねえ、ラブラブで。
 私はあなたたちのせいで、悩みがつきないっていうのに」
と嘉子は言い出した。

 もしや、嘉子先生、まだ高秀先生がお好きだとかっ!?

 そんなっ。
 こんな直接胃袋を……

 あ、歯科医なんだっけ?

 直接親知らずをつかんで抜いてくれそうな人。

 本気になられたら、高秀先生も恋に落ちるに決まってるっ、
と砂月は暴走する。

「今はまだ抜かなくて大丈夫ですよ」
と歯医者で言われて以来、

『今はまだ』が引っかかって、常に心の中の何割かを歯医者と親知らずが占めているからだ。

「決めかねてるのよ、砂月の結婚式で着るドレス。
 赤のがよかったのに、砂月、赤着るんでしょ?

 となると、あの店の黄色いの。
 でもちょっと、丈が短かったな~。

 いつも行く店の奥にあった薄紫のもよかったのに。
 薄紫も着るんでしょ?

 ねえ、赤か、薄紫かどっちかやめない?」

「……私、色かぶっても気にしませんよ」

 平和な悩みでよかった、と砂月が思ったとき、嘉子のスマホに着信した。

「やだ、もうっ。
 なんで今、電話してくるのっ。

 ここでこの間食事したとき、ちょっと喧嘩しかけたから、砂月の愉快な話で嫌な記憶を塗り替えようと思ったのに」

 文句を言いながら、ちょっと嬉しそうだ。

 もしもし、と言いながら、立ち上がり、テラスを海側に向かって歩いて行ってしまう。

 嘉子の向こうに対岸の夜景が見えて綺麗だった。

 明るく光を灯した大きな船が止まっているのも見える。

 電話を切った嘉子は笑って、こちらを振り向いた。

 だが、目が合った瞬間、笑顔をこらえ、なんとか小難しい顔を作ろうとするので、笑ってしまった。

「なに笑ってるのよっ」
「いえ……」

「さ、食べたら、さっさと帰るわよ」

 このあとの予定ができたようだ。

「そうだ。
 まだあんたの愉快な話を聞いてないわ。
 今すぐしなさいよ」

「……無茶言わないでくださいよ」
と言いながら、砂月は残ってたワインを呑んだ。
 


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