7 / 12
あやしいものを見ています
柱の陰からこちらを見ているスナイパーの人が気になってしょうがない
しおりを挟む「結婚したらね。
風邪をひいても、妊娠したのかと言われるのよ、芽以ちゃん」
実家に行くと、水澄が素敵な笑顔で、そう言ってきた。
なにかいろいろ思うところありそうな笑顔だ、と芽以は思う。
外から、近所の人と話している母親の笑い声が聞こえてくる。
うーむ。
実家のお母さんの話かもしれないが、うちの親もなにか言ってそうだな、とその大きな笑い声を聞きながら思った。
すみません、水澄さん……と思いながら、芽以は実家を後にした。
夜の営業も終わり、戸締りもして、さて、寝るか、と芽以が部屋に戻ろうとしたとき、逸人がやってきた。
「もう寝るのか?」
と廊下で訊いてくる。
「はい、なんか疲れちゃったので」
おやすみなさい、と深々と頭を下げると、
「おやすみ」
と言った逸人はいつものように抱き締めてこようとしたが、何故か、手を引いた。
――ん?
と思い、見上げた芽以から距離を取った逸人は、少し迷ったあとで、芽以にあまり近づかないようにして、そっと額にキスしてくる。
「……おやすみ」
そのまま去ろうとしたようだが、廊下の端まで行った逸人は、ぴたりと止まり、また、戻ってきた。
芽以の両手を握ると、あのそらしたくなるくらい真っ直ぐな瞳で、芽以を見つめ、もう一度、
「……おやすみ」
と言ってくる。
「お、おやすみなさい……」
と芽以が言うと、今度こそ、去っていった。
……なんなのですか、逸人さん、と思いながら、階段を下りていく逸人を見送っていたのだが。
次の日も、その次の日も逸人はそんな調子だった。
「倦怠期でしょうか」
お昼の営業が終わってもまだ店に居た日向子と静に芽以は思わず、相談してしまう。
相談してまともな答えが返ってくる相手ではないとわかっているのに、してしまったところからいっても、かなり動揺しているらしい、と自分でも思いながら。
「いやいや。
それ、妊娠してるかもしれない芽以ちゃんを気づかってでしょ」
と静は言ってくれるが、日向子は、
「でも、そういう妙な遠慮から、夫婦の距離が開いてくるかもしれないわよね」
と相変わらず、遠慮会釈なく言ってくる。
恨みがましく見上げた芽以に、
「あら、私も近々結婚を控えた身として、自分も心配だからそう言ったのよ」
と日向子は言うが。
……日向子さん。
圭太と結婚する気、まだ、あったんですか、と芽以は思ってしまった。
此処のところ、静とばかり店に来ている気がしたからだ。
まあ、そもそも、この店に、日向子と圭太がそろって来たことなどないのだが。
「ところで、あんた、病院には行ってみたの?」
「行ってません」
と言うと、
「なんでよ」
と日向子に言われる。
「恐ろしくて――。
だって、もう名前も決まってるんですよ。
お義母さんによると、まだ居るかどうかもわからない、このお腹の子は、逸人さんによく似た色白で綺麗な顔立ちの女の子で、名前はアンジュだそうです」
「あ~、ほんとにそんな感じに生まれてきそう」
と腕組みして呟く日向子の横で、静が笑い、
「じゃあ、男なら厨子王?」
と言ってくる。
いや、その安寿じゃないと思います……。
「そういえば、あんた、田舎へ引きこもる話はどうなったのよ?」
と日向子が訊いてくる。
いや、日向子さん。
田舎の人全員が、街から引きこもっているわけではないと思うんですが……。
まあ、街中で生まれ育ち、街の暮らしを愛している日向子からすれば、わざわざ田舎に行って住もうということ自体が信じられないのだろうが。
「山の生活もいいかな~とは思うんですけどね」
だが、そういう芽以の頭の中にも、暖炉であぶったチーズと焼きたてのパンくらいしか思い浮かんではいなかった。
芽以も所詮、街で暮らしたことしかない人間。
山での生活といって、思いつくのは、そのくらいのものだった。
「そうだね。
山もいいよね~。
僕もいずれ、山にアトリエとか構えたいんだよね~。
まあ、そのためには一発当てなきゃだけど」
そう言う静に日向子が言う。
「あら、お坊っちゃんなんでしょ。
親の金で造ってもらいなさいよ」
「お坊っちゃんじゃないよ。
そして、僕は君とは違うよ。
一応、自立しなきゃとは思ってるからね」
……笑顔でまた、痛いところを。
日向子だったら、あっさり親の金で山に別荘の一軒も立ててもらいそうだからだろう。
日向子と静のバトルが始まったので、芽以はそっと立ち去ろうとした。
まあ、バトルというか、一方的に日向子が怒鳴っていて、静は笑って聞いているだけなのだが。
だが、よく聞いていたら、時折、今みたいに、ドスッと日向子の胸に刺さるようなことを静は言っている。
でも、よく一緒に居るんだよな~。
パッと見、女王様なんだけど。
実は、ドMなのだろうか、日向子さん……。
そして、さっきからずっと柱の陰からこちらを見ているスナイパーの人が気になってしょうがないんだが。
妊娠しているのか、どうなのか。
二、三日うちには、はっきりさせねばな、と芽以もまた、スナイパーを窺いながら、思っていた。
1
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説
あまりさんののっぴきならない事情
菱沼あゆ
キャラ文芸
強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。
充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。
「何故、こんなところに居る? 南条あまり」
「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」
「それ、俺だろ」
そーですね……。
カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。
大正ロマン恋物語 ~将校様とサトリな私のお試し婚~
菱沼あゆ
キャラ文芸
華族の三条家の跡取り息子、三条行正と見合い結婚することになった咲子。
だが、軍人の行正は、整いすぎた美形な上に、あまりしゃべらない。
蝋人形みたいだ……と見合いの席で怯える咲子だったが。
実は、咲子には、人の心を読めるチカラがあって――。
パクチーの王様 ~俺の弟と結婚しろと突然言われて、苦手なパクチー専門店で働いています~
菱沼あゆ
キャラ文芸
クリスマスイブの夜。
幼なじみの圭太に告白された直後にフラれるという奇異な体験をした芽以(めい)。
「家の都合で、お前とは結婚できなくなった。
だから、お前、俺の弟と結婚しろ」
え?
すみません。
もう一度言ってください。
圭太は今まで待たせた詫びに、自分の弟、逸人(はやと)と結婚しろと言う。
いや、全然待ってなかったんですけど……。
しかも、圭太以上にMr.パーフェクトな逸人は、突然、会社を辞め、パクチー専門店を開いているという。
ま、待ってくださいっ。
私、パクチーも貴方の弟さんも苦手なんですけどーっ。
人違いラブレターに慣れていたので今回の手紙もスルーしたら、片思いしていた男の子に告白されました。この手紙が、間違いじゃないって本当ですか?
石河 翠
恋愛
クラス内に「ワタナベ」がふたりいるため、「可愛いほうのワタナベさん」宛のラブレターをしょっちゅう受け取ってしまう「そうじゃないほうのワタナベさん」こと主人公の「わたし」。
ある日「わたし」は下駄箱で、万年筆で丁寧に宛名を書いたラブレターを見つける。またかとがっかりした「わたし」は、その手紙をもうひとりの「ワタナベ」の下駄箱へ入れる。
ところが、その話を聞いた隣のクラスのサイトウくんは、「わたし」が驚くほど動揺してしまう。 実はその手紙は本当に彼女宛だったことが判明する。そしてその手紙を書いた「地味なほうのサイトウくん」にも大きな秘密があって……。
「真面目」以外にとりえがないと思っている「わたし」と、そんな彼女を見守るサイトウくんの少女マンガのような恋のおはなし。
小説家になろう及びエブリスタにも投稿しています。
扉絵は汐の音さまに描いていただきました。
アーコレードへようこそ
松穂
ライト文芸
洋食レストラン『アーコレード(Accolade)』慧徳学園前店のひよっこ店長、水奈瀬葵。
楽しいスタッフや温かいお客様に囲まれて毎日大忙し。
やっと軌道に乗り始めたこの時期、突然のマネージャー交代?
異名サイボーグの新任上司とは?
葵の抱える過去の傷とは?
変化する日常と動き出す人間模様。
二人の間にめでたく恋情は芽生えるのか?
どこか懐かしくて最高に美味しい洋食料理とご一緒に、一読いかがですか。
※ 完結いたしました。ありがとうございました。
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる