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あやしいものを見ています

柱の陰からこちらを見ているスナイパーの人が気になってしょうがない

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「結婚したらね。
 風邪をひいても、妊娠したのかと言われるのよ、芽以ちゃん」

 実家に行くと、水澄みすみが素敵な笑顔で、そう言ってきた。

 なにかいろいろ思うところありそうな笑顔だ、と芽以は思う。

 外から、近所の人と話している母親の笑い声が聞こえてくる。

 うーむ。
 実家のお母さんの話かもしれないが、うちの親もなにか言ってそうだな、とその大きな笑い声を聞きながら思った。

 すみません、水澄さん……と思いながら、芽以は実家を後にした。
 


 夜の営業も終わり、戸締りもして、さて、寝るか、と芽以が部屋に戻ろうとしたとき、逸人がやってきた。

「もう寝るのか?」
と廊下で訊いてくる。

「はい、なんか疲れちゃったので」

 おやすみなさい、と深々と頭を下げると、
「おやすみ」
と言った逸人はいつものように抱き締めてこようとしたが、何故か、手を引いた。

 ――ん?
と思い、見上げた芽以から距離を取った逸人は、少し迷ったあとで、芽以にあまり近づかないようにして、そっと額にキスしてくる。

「……おやすみ」

 そのまま去ろうとしたようだが、廊下の端まで行った逸人は、ぴたりと止まり、また、戻ってきた。

 芽以の両手を握ると、あのそらしたくなるくらい真っ直ぐな瞳で、芽以を見つめ、もう一度、
「……おやすみ」
と言ってくる。

「お、おやすみなさい……」
と芽以が言うと、今度こそ、去っていった。

 ……なんなのですか、逸人さん、と思いながら、階段を下りていく逸人を見送っていたのだが。

 次の日も、その次の日も逸人はそんな調子だった。



「倦怠期でしょうか」

 お昼の営業が終わってもまだ店に居た日向子と静に芽以は思わず、相談してしまう。

 相談してまともな答えが返ってくる相手ではないとわかっているのに、してしまったところからいっても、かなり動揺しているらしい、と自分でも思いながら。

「いやいや。
 それ、妊娠してるかもしれない芽以ちゃんを気づかってでしょ」
と静は言ってくれるが、日向子は、

「でも、そういう妙な遠慮から、夫婦の距離が開いてくるかもしれないわよね」
と相変わらず、遠慮会釈なく言ってくる。

 恨みがましく見上げた芽以に、
「あら、私も近々結婚を控えた身として、自分も心配だからそう言ったのよ」
と日向子は言うが。

 ……日向子さん。
 圭太と結婚する気、まだ、あったんですか、と芽以は思ってしまった。

 此処のところ、静とばかり店に来ている気がしたからだ。

 まあ、そもそも、この店に、日向子と圭太がそろって来たことなどないのだが。

「ところで、あんた、病院には行ってみたの?」

「行ってません」
と言うと、

「なんでよ」
と日向子に言われる。

「恐ろしくて――。
 だって、もう名前も決まってるんですよ。

 お義母さんによると、まだ居るかどうかもわからない、このお腹の子は、逸人さんによく似た色白で綺麗な顔立ちの女の子で、名前はアンジュだそうです」

「あ~、ほんとにそんな感じに生まれてきそう」
と腕組みして呟く日向子の横で、静が笑い、

「じゃあ、男なら厨子王ずしおう?」
と言ってくる。

 いや、その安寿あんじゅじゃないと思います……。

「そういえば、あんた、田舎へ引きこもる話はどうなったのよ?」
と日向子が訊いてくる。

 いや、日向子さん。
 田舎の人全員が、街から引きこもっているわけではないと思うんですが……。

 まあ、街中で生まれ育ち、街の暮らしを愛している日向子からすれば、わざわざ田舎に行って住もうということ自体が信じられないのだろうが。

「山の生活もいいかな~とは思うんですけどね」

 だが、そういう芽以の頭の中にも、暖炉であぶったチーズと焼きたてのパンくらいしか思い浮かんではいなかった。

 芽以も所詮、街で暮らしたことしかない人間。

 山での生活といって、思いつくのは、そのくらいのものだった。

「そうだね。
 山もいいよね~。

 僕もいずれ、山にアトリエとか構えたいんだよね~。

 まあ、そのためには一発当てなきゃだけど」

 そう言う静に日向子が言う。

「あら、お坊っちゃんなんでしょ。
 親の金で造ってもらいなさいよ」

「お坊っちゃんじゃないよ。
 そして、僕は君とは違うよ。

 一応、自立しなきゃとは思ってるからね」

 ……笑顔でまた、痛いところを。

 日向子だったら、あっさり親の金で山に別荘の一軒も立ててもらいそうだからだろう。

 日向子と静のバトルが始まったので、芽以はそっと立ち去ろうとした。

 まあ、バトルというか、一方的に日向子が怒鳴っていて、静は笑って聞いているだけなのだが。

 だが、よく聞いていたら、時折、今みたいに、ドスッと日向子の胸に刺さるようなことを静は言っている。

 でも、よく一緒に居るんだよな~。

 パッと見、女王様なんだけど。
 実は、ドMなのだろうか、日向子さん……。

 そして、さっきからずっと柱の陰からこちらを見ているスナイパーの人が気になってしょうがないんだが。

 妊娠しているのか、どうなのか。
 二、三日うちには、はっきりさせねばな、と芽以もまた、スナイパーを窺いながら、思っていた。


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