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疾走する幽霊

真実の欠片

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「実は僕は詳しいことはよく知らないんです」

 そう言ったあとで、菜切は深鈴を見、
「あっ、今、さもありなんって顔しましたねっ」
と言う。

「別に僕が信用できないから、紗江さんが話さなかったってわけじゃないんですよ。
 僕が敢えて聞かなかったんです」

 そう菜切は弁解を始めた。

「此処に閉じ込められていたのは、古田支配人です。
 僕が見たときには、紗江さんに仏像で殴られて、意識を失っていました」

「お前は、なんで、その現場に居合わせたんだ?」

「実は、あの日の夜、お客さんに有名店のお菓子をいただいて、紗江さんに差し上げようと訪ねていったんです。

 そしたら、従業員の部屋がある辺りの廊下で紗江さんに出会って。

 紗江さんは鼻唄を歌いながら、血まみれの仏像の頭を片手で鷲掴みにして、歩いていました。

 あの日、びしょ濡れで僕の車に乗ってきたときと同じ目をしていたので、まずいと思って、そっと話しかけました」

 薄暗い廊下、赤い絨毯の敷かれたそこを血まみれの仏像の頭を掴んで、引きずる女。

 怖くて、話しかけるのを躊躇してしまいそうな場面だ。

 例え、気になっている女でも。

 深鈴だったら……と晴比古は彼女を見る。

 ま、なにやら違和感がないから、普通に話しかけるかな、と思った。

『どうした、深鈴』
とか言って。

 笑顔で答えてきそうで、それはそれで怖い、と晴比古はリアルに想像して、戦慄する。

 視線を感じたらしい深鈴がこちらを向いた。

 頭の中を読まれているわけはないのだが、なんとなく、怒られそうで視線をそらしてしまった。

「正気に返った紗江さんは、とりあえず、古田支配人を立ち入り禁止の鍾乳洞に閉じ込めると言い出しました。

 えーって思ったんですけどね」
と言う菜切に、えーって思ったとかいうような呑気な状況じゃない気がするんだが、と思ったが、まあ、いきなり、事件のただなかに放り込まれても、人はそんな風になってしまうのかもしれないな、とも思った。

「放っておいたら、死んじゃうんじゃないの? とか。

 すぐに気がついて、怒って紗江さんを襲いに来たり、警察に駆け込んだりするんじゃないの? とか思ったんですけどね。

 でも、紗江さんは、眠らせておくことが出来ると言い出して。

 此処へ来るまでは、看護師をしていたそうなので、その知識はあると言っていました。

 紗江さんは支配人の糖尿病のことも知っていて、利用できると」

「低血糖昏睡のことか?」

「でもあれ、放置してたら死ぬらしいですね。
 それで恐ろしくて、間で見に行ってたんですけど」

「低血糖昏睡で放置していたのなら、もうかなり危険な状態になっていたはずだが」
と言うと、

「そんなことはないようでした。
 だから、紗江さんはあんな風に言っていたけど、本当は、そういう手段は使わずに、普通に眠らせていたんだと思います」
と言う菜切は何処か寂しそうだった。

 紗江に支配人を殺して欲しいと思っていたわけではないだろうが。

「仏像を盗んだのも僕じゃありません」

 そう菜切は白状する。

「盗んだのが誰なのかはわからないけど、紗江さんが関わっているようで、困っていたので、つい……」

 そうか、と晴比古は呟く。

 これだけ献身的に尽くしている菜切のことを紗江はどう思っているんだろうな、と思った。

 たぶん、感謝はしているのだろうが。

 さっき、紗江が支配人を低血糖昏睡にしなかったようだと言ったときの菜切の表情が、すべてを物語っているように思えた。

 志貴が言う。

「消えた支配人の部屋をみんなで捜索に行ったとき、持田さんは、支配人は、此処で殺されたんじゃないかと騒いでいましたね。

 真実から遠ざけるために、そんなことを言ってたんでしょうかね」

「支配人が殴られたのは、持田さんの部屋です」
と菜切はそこだけ嫌そうに語る。

 持田と支配人の関係を察してのことだろう。

「でも、幸い、殴られた支配人の血は飛び散るほどではありませんでした。

 持田さんは、支配人は部屋に居たとき、なんらかの事件に巻き込まれたことにしようと言いました。

 持田さんは、綺麗にした使用済みのインスリンのペンを持ち出してきました。

 それに、支配人の血を逆流させて抜き、畳に落としたんです。

 だから、皆さんが不自然に感じていたような血の落ち方になったんです」

「じゃあ、お前、露天風呂で、俊哉が、角材で殴られたようには見えなかったって言ったとき、ハラハラしただろ」
と言うと、

「いつ角材で殴られたことになったーって思いました」
と菜切は苦笑いして言う。

 そして、
「道理で真っ直ぐに落ちてたはずですね。
 もうちょっと振り回せばよかったのに」
と刑事から、ありがたいアドバイスをいただいていた。

「持田さんも僕も動転してましたから。

 でも、なんていうか。
 無表情にペンから血を滴り落としている持田さんには、普段と違った、ぞくっと来るような影があって、

 ……綺麗だったんです」

 その場面を思い起こしたように、うっとりと語る。

 ……こいつ、やっぱり、志貴と同じ人種だな、と晴比古は思った。

 深鈴を見て、赤くなってたわけだ。

「でも、支配人が死んでたら、菜切さん、殺人事件の共犯者っすよね」

 何の気なしにと言った感じで、俊哉が言い出す。

 ひっ、と菜切が息を呑んだ。

 たぶん、菜切は然程深い考えもなく、持田に同情して協力したんだろうに。

 その時点で、支配人が死んでいれば、また違っていたのだろうが。

「殺人事件の共犯って、懲役何年くらいっすかね?

 持田さんに良く思われたくて手を貸しただけの菜切さんに同情の余地ってありますかね?

 持田さんは訳ありげなので、情状酌量の余地はあるかもしれないっすけどね」

 特に悪意もなく、ミステリーマニアの祖母を持つ俊哉は、つらつらと語ってくる。

 そして、明るく言ってきた。

「大丈夫っす。
 支配人はきっと生きてますよ。

 それから、じいちゃんの知り合いのいい弁護士を紹介しますよ。

 殺人は無理っすけど、大抵のことはなかったことに……」

 笑顔で恐ろしいことを言い出す俊哉を、
「もういいから……」
と晴比古が止めた頃、救急車とパトカーが到着した。


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