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悪魔の城に行きました

女というのは、影のある男に弱いもの

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 そこそこ上等な部屋に悪魔は通されていた。

 洗濯された清潔なシーツの上に横になる。

 自分が普段眠っているのは、何十年も前に洗濯したシーツだし、今や、血でパリパリになっている。

 ああ、いい匂いだ。

 くつろげる……と悪魔は目を閉じる。

 だが、それで眠りに落ちることは出来なかった。

 なんせ、二十年以上眠っていたのだ。

 まったく眠くない。

 それに、眠りの封印が解けている間は、大抵、眠れない。

 眠るとまた何十年と起きれなされそうで怖いというのもあるが――。

 今は違う意味でも怖いな、と悪魔は腹に刺さっている剣を見る。

 ……寝返りが打てん。

 同じ体勢で寝ているのも疲れるな、と思っていると、誰かが、

 コッ……

とノックしかけてやめた。

「起きてますか?」
と扉の向こうから、そっと囁く未悠のものらしき声がする。

 万が一、眠っていたら悪いと思って、そうしたのだろう。

「未悠か、入れ」
と言うと、薄くドアを開けた未悠は、こちらではなく、周囲を気にしてから、滑り込んでくる。

「どうした、未悠。
 夜伽よとぎの相手をしに参ったのか」

「今、昼です。
 いや、そうじゃなくて――」
と言いかけた未悠に、

「そういえば、怪我は大丈夫か」
と訊くと、

「ああ、もうなんだか怒涛の展開で忘れてました」
と未悠は笑う。

「見せてみよ」
と言うと、未悠は、

「ほら、もう血も固まってますよー」
と軽くドレスの裾をめくって見せる。

 婦女子としてどうなんだ……と思ったが、未悠は特に気にしている様子もなかった。

 生きているのか死んでいるのかわからない自分など、男としてカウントしていないのだろう、と思う。





「王子、王子、王子」

 アドルフが戦に出ている父王の代わりに、執務室で仕事をしていると、シリオが書状を手にやってきた。

 なにか急ぎの書状かと思いきや、手にしているそれはなんの関係もなかったようで、小声で、
「未悠が悪魔の部屋に忍んでいきましたよ」
と言ってくる。

 ……見てたんなら、止めろよ、と思っていると、
「王子。
 まずいですよ」
とシリオは言い出した。

「女ってのは、影のある男に弱いもの。
 気をつけた方がいいですよ」

 だから、止めろよ、と思いながら、落ち着かない気持ちになるが。

 シリオは所詮、他人事、じゃあ、失礼します、と言って、ラドミールたちに礼をし、さっさと出て行ってしまった。

 しかし、あの男に影があるか?

 あの男に関わった者の人生に、あいつが影を落としているだけのような気が……。

 あいつより、俺の方がよっぽど影があると思うぞ、未悠。

 あいつのせいでな、と恨みがましく思いながら、壁を見る。

 執務室には、歴代の王の肖像画がかけられていた。

 この中に、あのタモンとかいう悪魔の兄も居るのだろうな、と思いながら、それを眺める。




 傷を見せろと言われ、未悠が擦りむいて血の滲んだ膝を出すと、それを眺めていた悪魔は、少し迷ったあとで、手のひらの中で玉をもてあそぶような動きをした。

 未悠の膝にその手を近づける。

 ぽうっと温かくなる感じがあった。

 見ると、怪我した部分に薄皮が張っている。

「えっ? 魔法、使えるんじゃないですかっ」
と未悠が言うと、

「魔法というか、気のようなものだな」

 普通の人間でも似たようなことは出来る、と悪魔は言った。

「昔から言うだろ。
 母親の手で子どものお腹を触ると痛いのが治るとか」

 あれと同じだよ、と淡々と語る悪魔の横顔を未悠は見ていた。

 母親という単語を出したとき、少し寂しそうに見えた。

 そうか。
 目を覚ましても、この人の身内はもう誰も居ないんだ。

 アドルフ王子が我が子でない限り――。

「長く生きていれば、普通の人間でも、これくらいのことは出来るようになる」

 訊きに来たんだろ? と悪魔は言った。

「アドルフが私の子かどうか。
 お前は、もともとそれを確かめに塔に来たんだろうから」

「……おっしゃる通りです」
と未悠はかしこまる。

 悪魔はなにもない白い壁を見ながら言ってきた。

「アドルフが私の子かどうか、神でもなければわからない。
 そう言ったが。

 あの王子の母親がユーリアだと言うのなら、心当たりはなくもない」

「な……なくもないんですか」

「エリザベートの前ではちょっと言えなかったのだが」
と目を合わせず悪魔が言うので、

「そうですね。
 エリザベート様は、貴方のことを今となっては、ただの若造だと言っていましたが。

 貴方のその一言で美しい思い出をけがされることは嫌うでしょうね」
とうっかり言ってしまったが。

 悪魔は、ただの若造か……と呟き、ちょっと笑う。

 いっそ、気が楽になったというように。

「しかし、美しい思い出などなにもないだろう。

 未悠よ、まだ若いな。
 恋とは、穢れなき思い出をつむぎ出すようなものではない」

「それはわかってますよ。
 私の場合、美しくない思い出ばかりがいっぱいですから」
と未悠は目を伏せる。

 だが、そうだな。

 すべてが嫌な記憶かと問われると、そうでもないような。

 手頃な居酒屋で社長と二人で呑んで、しょうもない話で笑い合いながら、夜の街を歩いて帰ったことを思い出す。

 いつか、エリザベートと王妃様のように、昔の恋を懐かしい思い出だと笑い飛ばせる日が私にも来るのだろうか?

 ……まあ、シリオどころか、ヤンに言わせても、自分の社長に対する思いは、恋ではないようなのだが。

「でも……気になったんですよね」
と悪魔の方を見ながら、心の中では見てはいない未悠は呟く。

「初めて会ったときから、社長のあの顔が――」



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