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理由が必要か?
余裕の微笑みって、どんなんだーっ!?
しおりを挟むどうしよう。
思い出してしまった……と壁際に立ち、陽太の方を見ながら、深月は固まっていた。
さっき、鼻先で陽太の匂いを嗅いだとき、思い出したのだ。
あの晩、陽太との間に、なにもなかったということを。
おじさんたちに習いながら、どんどん、と大地を踏みしめるように力強く舞う陽太を見ながら、深月は思う。
支社長はまだ思い出していないのだろうか。
思い出してないんだろうな……。
思い出したら、私に関わる必要はないと気づいて、離れてしまうはずだから。
……まずいな。
いやいや、なにもまずくはないか。
これで支社長も正気にかえってくれるはず。
『あの晩、なにもなかったみたいですよ』
そう言えば。
やがて、鬼の舞がそれなり形になってきた陽太は、今度は、清春と二人で舞い始める。
こちらは面をつけない舞だ。
手伝いという名目で、清春を見に来たとかいう、よその地区の女子高生が、自分のおばあちゃんに訊いているのが聞こえてきた。
「ねえねえ、清ちゃんと一緒に舞ってる、あの人誰?」
興味津々、陽太のことを訊いているようだった。
そんな女子高生の話し声を聞きながら、深月は休憩中の陽太のところまで行った。
やっぱり、あの晩、なにもなかったと陽太に教えるべきだと思ったからだ。
なにかあったと思っているからこそ、悪いと思って、今まで大事にしてくれていたわけだし。
「あの」
と呼びかけると、ホールの隅に座り、おばちゃんにもらったペットボトルのお茶を飲んでいた陽太が深月を見上げた。
前髪が濡れて見えるほど汗を掻いているのも。
仕事中はちょっと怖いと思ってしまうその目つきも。
何故だか今は、格好よく見える。
まずい……。
こんな人が顔をさらして舞ったら、みんな夢中になってしまうではないか。
いや、なにがまずいのかわからないが、と思いながら、深月は覚悟を決める。
陽太に真実を教えるために。
「あの」
と言った自分を見つめる陽太の視線にどきりとしながらも、深月は言った。
「あの、その舞、お面つける舞に変更できませんか?」
「なんでだ……?」
「……なんででしょうね」
そう呟き合って、見つめ合う。
稽古が終わり、深月は陽太と二人で帰っていた。
清春も一緒に出ようとしたのだが。
いよいよ近くなった本番当日の祭事の打ち合わせで、おじさんたちに呼び止められたので居なかった。
「杵崎さんはもう帰られたんですか?」
と深月が訊くと、
「いや、なんかノリさんに呼ばれてたから、捨ててきた」
と陽太は言う。
……いいのか、それ、と思ったあとで、沈黙する。
記憶を取り戻したことを言い出せないことが気にかかっているせいか、上手く会話が進まない。
そのとき、近くのマンションから万理が出てきた。
こちらを見て、
「今日はもう上がり~?
お疲れ~」
と言ってくる。
万理は手に、大きなインスタントコーヒーの瓶を持っていた。
それを見ながら、
「お疲れ様です。
また戻るんですか?」
と深月が問うと、
「うん。
旦那、まだ帰ってないから。
ひとりで家に居ても寂しいじゃん。
松村さんがコーヒーはインスタントの方が好きとか言ってたから、持ってって淹れてあげようかと思って」
と万理は言う。
「戻って手伝いましょうか?」
と言ったのだが、
「いいわよ。
もう帰りなさいよ。
明日も仕事でしょ」
と言われる。
ときどき嫌味も言われるけど、なんだかんだで面倒見のいい人だな、と思っていると、万理は、深月の自転車を押して歩いている陽太を見、
「やあねえ。
高校生のデートみたいね。
お疲れっ」
と言って、さっさと行ってしまった。
……どういう意味なんだろうな。
高校生のデートみたいでいいわね?
高校生のデートみたいね。
大人なのに、なにやってんの?
どっちなんですか、万理さんっ、と深月は思っていたが。
その言葉に、もっと苦悩している男が横にいた。
今日はゆっくり食事をしすぎて、自転車を家に戻しに行く暇がなかったので、陽太が自転車を押して歩いていたのだが。
今、高校生のようなカップル、と言われたことを陽太は気にしていた。
そうだな。
二人きりで夜道を歩いているのに、なにをするでもなく、自転車を押しながら家まで送って終わりとか。
既に関係を持った男女のすることではないな。
……まずい。
なにかしなければっ、と陽太は焦る。
せめて手くらい握るべきか。
そう思った陽太は自転車を右手で押しながら、左手で深月の手の位置を探り、握ってみた。
細いのに柔らかな深月の指にどきりとしながらも、平然としているフリをする。
動揺を隠すために、ぎゅっと強く握ってみた。
ひい、と深月は固まっていた。
いきなり陽太が手を握ってきたからだ。
だが、耐えねば、と思う。
手を握られたくらいで動揺していたら、支社長に感づかれてしまうかもしれないと思ったからだ。
あの晩、なにもなかったことを。
たぶん、此処は、大人らしい、余裕の微笑みを見せるべきところだ。
大人らしい……
余裕の微笑みって、どんなんだーっ!?
と深月は心の中で絶叫する。
なんとかぎこちない微笑みを押し上げながらも、深月は思っていた。
ああっ。
考えすぎて、目眩がしてきたっ、と。
このままだと、おかしな言動をしてしまいそうだ!
家にっ。
早く家に帰りつかなければ、窒息死してしまうっ、と深月は焦る。
息はちゃんとしているはずなのに、妙に息苦しく。
いつもなら頬に当たる冷たい夜風が気になるのに、今は、熱くて大きな陽太の手にばかり神経が行ってしまう。
家っ。
家っ。
……家ーっ!
とまるで長い旅に出ていた人のように、自宅を追い求め、心の中で絶叫したとき、ようやく家の灯りが見えてきた。
ホッとする。
陽太も慌てて手を離したように見えた。
何故だ、支社長。
自分から握っておいて。
私のことがお嫌いですか?
と思い、その顔を覗き見たが、玄関の灯りに見える陽太の顔は少し赤らんでいるように見えた。
「おっ、おやすみ。
疲れてるだろうから、早く寝ろよ」
と早口に言った陽太は急いで自転車を自転車置き場に止め、深月を玄関に押し込むと、
「じゃっ」
と言って帰っていった。
勝手に閉められた玄関扉の内側で、深月はその扉を見たまま、立ち尽くしていた。
なに動揺してるんですか。
動揺したいのはこっちの方ですよ。
この間まで平気で、私を襲おうとしたり、膝に乗せたりしていたのに。
……いや、平気ではなかったか、と勝手に膝に乗せておいて、赤くなって俯いていた陽太を思い出す。
でも……
そんな支社長が好きかも、とうっかり思ってしまい、
いや、好きとかっ。
そんなんじゃありませんけどっ、と陽太が聞いているわけでもないのに、心の中で弁解する。
なにもされてなかったとわかってからの方が支社長が気になるのはどうしてだろう。
きっと、ぽんぽんって、やさしく背中を叩いて寝かしつけてくれたときの顔を思い出してしまったからだ、と深月は思う。
支社長に思い出して欲しくないけど、思い出して欲しい。
なにもされなかったあの夜が、なんだか素敵な夜だったような気が、今はしてきているからだ。
その晩、深月は、自分が寝つくまで、そっと背中を叩いてくれていた陽太の手の温かさと。
自分をいとおしげに見つめてくれていたあの瞳を思い出しながら眠りに落ちた――。
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