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理由が必要か?

キスの記憶

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 深月はスマホを手に階段の暗がりに立ち、父親と話していた。

 実の父ではない。

 今の父だが、昔から可愛がってくれていたので、父親になっても、あまり違和感はない。

「そうそう。
 うん。
 大丈夫。

 明日もお稽古あるし、早めに帰るから」
と話していると、店内の騒がしい声が深月の居る踊り場まで響いた。

 誰かが扉を開けたようだ。

 チラと見ると、杵崎がこちらに向かい、上がってくるところだった。

「まだ話してるのか」
とこちらを見上げ、杵崎は言ってくる。

「はい」
と頷くと、父、良彦よしひこが、

「誰か来たのか?」
と訊いてくる。

「はい、職場の方が」

「そうか。
 じゃあ、気をつけて早く帰りなさい。

 タクシーでもいいから。

 今日は私ももう呑んでしまったからな」
と言うので、深月は、

「あっ、そうなんだ?」
と言いながら、目の前に立った杵崎を見上げた。

「うん。
 条子がお前たちが居ないからだろうな。

 地区役員の打ち合わせを口実に、近所のおばちゃんたちとファミレスに行ったんだ。

 それで、私もまさるとおじいちゃんと焼き鳥屋に行ったんだよ」

「お父さんも行ったの?」

 勝は深月の実の父だ。

「美味かったぞ、今度連れてってやる。

 いやあ、いい酒だった。

 条子の愚痴を言うのに、勝ほどぴったりな相手、居ないしなー」

 ……なにを話してたんだろうな、前夫と今の夫で。

 お母さんが知ったら、大激怒だな、と苦笑しながら、
「あ、じゃあ、早く帰るねー」
と言ってスマホを切ろうとしたとき、杵崎が深月の両肩に手をかけ、いきなりキスしてきた。

 何故ーっ、と思っているうちに、杵崎は離れ、
「一宮。
 俺はやっぱり、お前が好きらしい」
と告白してくる。

「なんでだろうな?
 お茶もお華もやらない酒ばかりたしなんでいるような女なのに」

 偏見ですよ。

 少しは習いましたよ。

 中学生くらいで、すぐやめたけど。

 チラと確認すると、通話は切れていた。

 良彦が切ったのだろう。

 少しホッとする。

「本物の巫女さんより、お前が気になる。
 今日、はっきりわかった」
と杵崎はまっすぐ自分を見つめて言ってくる。

「お前がまだハッキリ相手を陽太だと決めていないのなら。

 俺ももうちょっと気合い入れて神楽手伝うから、お前の恋人候補に入れてくれ」

 神楽が基準で相手選んでるわけじゃないんですけど……と青ざめたまま、両肩をつかまれていると、誰かがまた、店のドアを開けた。

「杵崎ー、俺、帰るわー。
 そろそろ戻らないとカミさん怒るしー」

 いや、カミさん居るのに来るな、と思う深月の前で杵崎は友人を振り返り、

「わかった。
 気をつけて帰れよ」
と普通にしゃべっていた。

 いやいやいや。
 人に勝手にキスして、告白して。

 なに平然と人と話してんですか。

 っていうか、順番逆じゃないですかっ。

 まず、告白してからキスでしょうっ、と思いながら、深月は何故か一生懸命思い出そうとしていた。

 陽太とのキスを――。

 だが、あの夜の記憶は蘇らず、思い出すのは、夕暮れの道で、そっと頬にキスしてきた陽太の姿ばかりだ。

「なにやってんだ、早く来い」
とさっさと下に下りた杵崎が扉の前で振り返り言ってくる。

 綺麗さっぱり、今のキスなど忘れたかのように。

 ……酔った弾みの戯言ざれごとだったのだろうかな。

 なんだかわからないけど。

 まあ、初めてのキスではなかったわけだし、よかったか。

 いや、よくはないが……。

 っていうか、なんで、初めてが杵崎さんでなくて、支社長でよかったなんて思うんだろう。




 まあ、どっちみち、その初めてのキスの記憶はないのだが――。


 


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