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理由がありませんっ
支社長はああ見えてピュアな男だ
しおりを挟む今日は船が来ないうちにと海の方をチラ見しながら、必死に自転車を漕ぎ、深月は会社に着いた。
駐車場の前を通ると誰かが居たので、
「おはようございま……」
と勢いよく挨拶しかけて止まった。
杵崎だったからだ。
「……ございます~」
と小さな声で言って、行き過ぎようとしたが、
「待て」
と言われる。
仕方ないので、ペダルに足を乗せたまま止まると、杵崎はこちらに来、
「お前、まだ支社長の周りをうろついてるのか」
と言ってくる。
いや、どっちかと言うと、支社長にうろつかれてるんですけど、と思っていたが。
杵崎はあの冷たい目線のまま、
「支社長はああ見えてピュアな男だ。
騙すなよ」
と言ってくる。
「いや、私に騙すような経験値があるとでも思ってるんですか……」
と言ったら、
「昔、巫女さんに騙されたんだ」
と杵崎は突然、しなくてもいい過去の告白をしてきた。
「巫女さんだから純粋だと思っていたのに」
「それはそれで、偏見ですよ……」
と言ったとき、深月は会社の港の方から歩いてくる陽太らしき人影に気がついた。
「あっ、支社長が港からっ」
なにっ? と杵崎もそちらを見る。
「お前のせいで遅れたじゃないかっ」
え~っ?
私のせいなんですかね~?
と心底疑問に思いながらも、秘書なんて仕事についてる人は遅刻なんぞしてはいかんのだろうと思い、訊いてみた。
「乗せていきましょうか、杵崎さん」
「結構だ」
と言って、杵崎は早足に歩き出すが、もちろん、自転車の方が早く、軽く追い越してしまう。
「乗せていきましょうかっ、杵崎さんっ」
「結構だっ。
自転車の二人乗りは道路交通法違反だぞっ」
と言い合いながら、総務と支社長室のある建物まで行く。
なにか揉めているようだが、楽しそうだな。
陽太は、ぎゃあぎゃあ言い合いながら、エントランスに入っていく深月と杵崎を見ていた。
英孝め。
何故、俺でなくお前が楽しげに深月と出勤している、と杵崎を睨んだあとで、
……どうするかな、と思う。
ちょっと考えていたことがあるんだが。
それを実行して、あの二人に仲良くなられるのも困るしな、と陽太は考えながら、自らもエントランスをくぐる。
深月が朝から忙しく社内を回って、ようやくデスクに戻ってくると、陽太が総務のカウンターに現れた。
「お、お疲れ様です」
と頭を下げながら、深月は急いでカウンターに行った。
下っ端の深月の席は一番カウンターに近く、誰かが来たら、真っ先に動かないといけないからだ。
陽太は、
「すまないが。
平成元年に作られた社史の予備があったら欲しいんだが」
と深月に言ってくる。
「それでしたら、確か、備品倉庫に。
すぐにお持ちします」
と深月は言ったが、ちょうど席に居た課長はこちらを見ながら青くなっていた。
な、なんで支社長自ら総務に物を取りにっ?
杵崎くんはなにしてるんだねっ、と言った感じでキョロキョロし始める。
それに気づいた陽太が、課長に言った。
「いや、課長。
大丈夫です。
杵崎には別の用事を頼んでいるので。
たまたま今、此処を通りかかったので。
古い社史と、ついでに備品倉庫を見せてもらおうかと思いまして」
「そ、そうなんですか」
とカウンターまでやってきて、課長は言う。
そういえば、この人、課長とかにも敬語だな。
支社長なのに。
向こうが年上だからかな、と思っていると、課長が、
「一宮くん、早く支社長をご案内して」
急いでっ、と深月に言ってくる。
「はい、こちらです。
どうぞ」
と深月は隣にある備品倉庫に陽太を案内した。
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