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理由がありませんっ
目覚めたら海
しおりを挟む獅子に頭を噛まれる夢を見た――。
頭を獅子にカプッとやられる夢を見て、一宮深月はうなされていた。
だが、誰かが強く抱きしめてくれている。
ああ、なんか落ち着くな……。
お母さんとはまた違うけど。
そう思ったところで、一度、深月の思考は停止した。
この腕の太さ。
胸板の厚さ。
抱きしめる力の強さ。
お母さんじゃない……。
そもそも、子どもじゃないんだから、お母さんでさえ、抱っこして寝るとかないっ。
誰っ!?
と深月は目を開けた。
体格のいい若い男が自分を抱きしめている。
そこでまた、誰っ? と思い、深月は顔を上げた。
男の喉元しか見えなかったからだ。
急に上げた深月の頭で顎を打ったらしい男が、
「いてっ」
と声を上げる。
その顔を見て、深月はまた叫んでいた。
「誰っ!?」
男は顎を押さえて言う。
「誰ってなんだ。
俺だ」
と言ったあとで、男はフリーズしている深月の顔を見て、一瞬考え、前髪を少し手で持ち上げると、側に置いていた黒縁の眼鏡をかけてみせた。
「俺だ」
「し、支社長っ」
新しく来た支社長、飛鳥馬陽太だった。
若いイケメンでしかも、会長の孫だと言うので、おねえさま方がみな、狂喜乱舞している。
「まあ、この眼鏡は伊達眼鏡なんだが……」
と言いながら、陽太は眼鏡を外してサイドテーブルに置いた。
支社長、前髪下ろしてると、ちょっと可愛らしいではないですか。
いつも、厳しい顔つきをしているのに……
じゃなくてっ、と深月は叫んだ。
「支社長、何故、ここにっ」
「いや、お前が何故、ここにだろ」
と言われ、深月は周囲を見回す。
白を基調とした寝室はまったく見覚えがない。
広いベッドで、まるでホテルの一室のようだが、絶対違う。
だって、微妙に揺れてるし、丸い窓の外がっ。
「海っ!?」
陽太が枕元のリモコンを押すと、天井に台形の窓が現れた。
真っ青な空が見える。
「そういえば、この船はもしや、いつも私が自転車で追いかけて走ってるやつ……」
「そうだな。
いつも疑問に思ってたんだが。
何故、お前は俺の船の横を猛スピードで走ってるんだ」
「いや……抜けないかな、と思って」
なんとなくだ、なんとなく。
陽太は渋滞を嫌って船で通勤している。
優雅だな、と思いながら、こちらも渋滞が関係ない自転車なので。
深月はいつも、湾岸沿いの道を陽太の船を追いかけて走っているのだ。
「抜けるか、チャリで……。
まあ、たまに坊主頭の中学生の集団にも追いかけられるが」
「格好いいからですよ、このクルーザーが」
実は私も船が好きなので、追いかけているというのもあるんですよ、
と深月は思っていたが。
今、言うのはちょっと悔しく、ぐっと黙った。
そこで、少し考える風な顔をした陽太は、
「そういえば、何故、お前がここに居るんだろうかな」
と言い出す。
「……貴方も覚えてないんですか」
「お前もか」
と言う間も、陽太は片手で深月を抱いていた。
ひーっ。
離してくださいっ、と深月は固まったまま、目だけを動かし、自分の背中に触れている陽太の大きな手を窺おうとする。
「そうだ。
昨日は確か……」
と言いかけた陽太は深月が逃げ腰になっているのに気づき、自分の方に抱き寄せた。
「さっ、触らないでくださいっ」
「……夕べ、散々触ったと思うが」
ひいっ、と小さく声を上げたあと、深月は叫ぶ。
「なんてことしてくれたんですかっ。
私、舞を舞わねばならないのにっ」
舞……?
と呟いたあとで、陽太は、
「そうか。
思い出したぞ」
と言う。
「確か夜、港近くの神社を通ったときに、小さな祭りをやっていて、通りすがりに、ふるまい酒をご馳走になったんだ」
「そっ、それはうちの神社ですっ」
と深月は言う。
「すごいジジイが居て。
あんた、呑みっぷりがいいなと言い出したそのジジイに何杯も呑まされて」
「すごいジジイはいっぱいいるので、誰だかわかりませんね……」
っていうか、あの祭りがあったってことは、昨日は日曜ではないですか。
――ということは……。
「支社長っ、月曜日ですよっ」
遅刻するっ、と深月は起き上がりかけたが、陽太に腕をつかまれた。
「まだ早い。
それに、帰っていいとは言ってないぞ」
「あっ、貴方の許可をもらわなくても自力で帰ります!」
ベッドの下に落ちていたおのれの服を手を伸ばして取ろうとした深月の視界に窓が入った。
って、ここ、海~っ!
「まあ待て」
と陽太は言う。
「何故こんなことになったのか、一から検証してみよう」
しませんよーっ!?
今すぐ記憶から消し去りたいのにっ、と思う深月を陽太はもう一度、抱き寄せようとする。
「逃げるな」
「やめてくださいっ」
と陽太を押し返しながら、深月は叫んだ。
「こんなことしたら、神の怒りを買ってしまいますーっ」
「いや、買わなかったらいいのか……」
と陽太は呟くように言っていた。
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