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予兆
忠尚の逃亡先
しおりを挟む店の前で聞きなれない爆音がして、天満は薬を調合していた手を止めた。
夕陽を浴びたガラスの向こうに、真っ赤な車高の低い車が見えた。
からん、とドアが開くその瞬間を、天満は感慨をもって見つめる。
「天満さん、忠尚返して」
彼の人と似ても似つかぬおとなしげな風貌に、きらめくその瞳だけが、面影を残していた。
「返してって言われてもね。
僕が囲ってるわけじゃないから。
あいつ、寝言うるさいから連れて帰ってよ」
と親指で奥を示すと、
「まさか、今も寝てるんですか?」
と呆れたように透子は言う。
八坂に名高い、汚れなき龍神の巫女様――。
『初めまして、透子ちゃん?』
あの小さかった身体を抱き上げた日のことを天満は思い出していた。
まだ若かった公人が、熊手を振りかざして追いかけてきた。
『こりゃっ、天満。
手を放せっ。
この悪魔っ!』
天満はつい、苦笑しそうになるのを堪えた。
「そうだよ。
なんか今朝早かったみたいで」
「早かったってほどでもないんですけど」
と透子は肩をすくめる。
「もしかして、今までも、ふいっと消えたときって、天満さんところに転がり込んでたんですか」
「そうだよ。
なんだ、知らなかったの?」
ええ、と透子は頷く。
「だから、僕離れてても、君たちのことはよく知ってるんだよ。
で?
和尚と結婚するんだって?」
「そんなことまで知ってるんですか?」
「だって、それが原因で出てきたんでしょ?」
「やっぱ、そうなのかな。
仲間外れにされたみたいで、拗ねてんのかしら」
「いや、あのね……透子ちゃん」
この鈍さは、薫子とは正反対だと思った。
あの人は、僕の想いを知っていて利用した――。
冗談ですよ、と透子は言う。
「冗談ですよ、そんなの。
私、昨日うっかり和尚の部屋で寝ちゃって。
おじさまたちに、やいのやいの言われて、和尚弁解すんの、面倒くさくなっちゃったんですって」
そんなことを言い、笑っている透子に、意地悪く訊いてみた。
「ほんとにそれだけだと思ってるの?」
「それ以外に何があるんですか」
切って捨てるようにも聞こえる言葉だった。
僕が和尚だったら、ショックで気絶するなと思った。
「……天満さんには感謝してますけどね」
そう付け加えた透子に、
「いいよ、そんなの」
と答える。
ほんとうに。僕はただ、薫子さんの指示だからしただけだ。
そして、すべてを押さえられるのは、今は自分だけだと見せつけたかっただけだ。
公人さんに――。
「でもさ、透子ちゃん。
封印、ずいぶん、揺らいでるよ」
ぱっ、と透子は額に両手をやった。
悪戯を見つけられた子どものようなその仕種に、天満は笑った。
「来てごらん。
手を貸してあげるから」
まだ額の中央に手をやったまま、おずおずとカウンターに近づいてくる。
微笑ましげに笑いながら、白い額に手をかざそうとしたとき、
「天満さんっ。
俺さあっ……あっ、あれっ透子っ!?」
いつの間に起きたのか、奥の襖を開けて、忠尚が顔を覗かせた。
が、透子に気づいて、すぐにその身を翻す。
「あっ、忠尚っ!」
透子は忠尚を追いかけて、カウンターの中に入ってくる。
「ちょっと! あんた帰りなさいよっ。
今、忙しいのよ、みんな」
「そんなの俺の知ったことかっ!」
襖の向こうから声だけがする。
透子の姿を見たら、決心が揺らぐからなのか。
「なに馬鹿言ってんのよ!」
透子は襖に手を掛けると、遠慮会釈なく、隠れている忠尚を引きずり出す。
「いってーっ。
放せよっ」
そう言いながらも、忠尚は決して乱暴には振りほどかない。
「いいから帰るの!
明日から山車とかの点検やるんだからね。
氏子さんたちにだけ任せるわけにはいかないでしょ。男手がいるのよ」
いやだーっ、と忠尚は襖に張りついている。
他の女性の前では、都会派のいい男を気取っている人間と同一人物とはとても思えない。
「帰んねえぞ、俺は!
お前と和尚でやれよ。
なんで俺がお前らの神社と寺のために働かなきゃいけないんだよっ」
「あれ? 透子ちゃんと結婚するんなら、和尚は養子に入るんでしょ」
え? と二人が同時に振り向いた。
「だって、龍神の巫女様が青龍神社から出るわけにはいかないじゃない。
公人さんはそのつもりなんじゃないの?」
「た、確かにそうは言ってたけど……」
「てことは、やっぱマジなのか、あれ。
ジジイ~ッ!
あーっ!
ますます帰る気なくした!
もういいよ、俺っ。ここんちの子になるっ」
「毎晩、違う女を引っ張り込むような息子は僕はいらないよ。
兄貴が怒鳴りこんできたら煩いから、早く帰ってよ」
「ほら、天満さんだってそう言ってるじゃない。行くわよっ!」
「いやだーっ!」
「そんなこと言ってると、和尚連れてくるわよっ」
ぴたり、と忠尚の駄々が止まった。
いつも義隆の説教にも帰らない忠尚が、和尚が来て、あの低い声で、帰るぞ、と言っただけで、おとなしく帰っていく。
帰ったあとに、何が起こっているのだろうと、怖いながらも気になっている天満だった。
「まあ、また遊びに来てよ。
今度は暇なときに」
はい、どうも、と会釈しながらも、透子はしっかりと忠尚の襟首を掴んでいた。
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