冷たい舌

菱沼あゆ

文字の大きさ
上 下
19 / 80
予兆

春日の告白

しおりを挟む
 
 春日の車は、国道を離れた公園側の道に、歩道に乗り上げる形で止まっていた。

 エンジンは止まっていたが、開けられた窓からの風が、夏の夕暮れにしては涼しかった。

 透子さん、と春日に呼びかけられる。

「僕ね、子供の頃からずっと好きな人がいたんですよ。
 もう、この人しかいないっていうくらい。

 後先も、周りの誰のことも、彼女のことさえ、そのときの僕には見えてなかった」

 きっとね、と春日は苦笑いした。

「僕があんなことさえしなければ、彼女はたとえ、僕のことを好きだったとしても、思い止まったと思います。賢い人だから」

 春日は試すように透子を見ていた。

「誰だと思います……? 相手の女」

 透子の胸には、もう確信があった。

 この春日が、それほどまでに罪の意識に苛まされる相手。

 だけど、それを自分の口から出すべきではないと思った。

 春日はそんな透子に気づいたように笑う。

「そうですよ、僕が好きなのは、僕の、姉なんです」

 軽蔑しますか? と春日は笑った。達観したような笑みだった。

 いえ、と透子は即答する。

 春日は椅子に深く腰をかけなおす。

 彼の目は、目の前の小道を。

 いや、透子には見えない何処か遠くを見ているように見えた。

「まあ、姉とは言ってもね。

 向こうは子供のない親戚に引き取られていたんで、実際には従姉のようなものでした。

 今の透子さんと和尚くんたちより、遠い関係だったかもしれないですね」

 春日は、何かをいとおしむように語っていた。

「僕は彼女が自分の双子の姉だと知っていた。
 周りが隠しててもね、覚えてたんですよ。

 二歳くらいの記憶って結構あるでしょう?

 でも、僕は知らない振りを続けていた。

 そうすれば、彼女に恋をしても構わないはずだったから。

 中学三年の夏、僕は彼女に告白した。

 だけど――
 彼女もやはり、僕と一緒に育ったこと、覚えていたんです」

 春日はそこで笑った。

「よく考えたら、変ですよね、僕。
 なんで貴女にこんな話してるんだろ」

 いいえ、と透子は言った。

「……聞きたいです」

 そして、聞いてあげたい。

 それで、この人が楽になれるのなら。
 そう本気で思っていた。

 出会ってまだ間もないけれど、いつも何処か人に気を使うような空気を纏ったこの人が、誰かにそれを告白することで、少しでも楽になれるなら。

「彼女は僕に言いました。
 『貴方と私は姉弟なのよ』と。

 僕は答えた。

 『それがどうした』って。

 ねえ、透子さん。
 それから、どうしたと思います?」

 春日は透子を振り返り、儚げに笑う。

「姉も僕を愛してくれてたんです。
 それだけわかれば充分だった。

 世間の目なんか僕には関係なかった。

 姉さえ居てくれれば、それでよかった。

 親を気にする姉を説き伏せて、僕らは結ばれた。

 十四でですよ。
 笑っちゃうでしょう?」

 透子は、きゅっ、と座席を握りしめた。

「大人から見れば、愛だ恋だって年でもないですよね。
 でも、僕らは真剣だった」

 結局、すぐに二人の関係は春日の母親に知れた。

 母は他の親族には黙っていてくれたが、もちろん姉とは引き離された。

 それでも、春日は彼女を諦めなかった。二人は再び出会って、でも……。

「姉はね、気が強くて毅然としてて、先まで見通す頭のいい女でね。

 ある日、僕を呼びつけて、なんて言ったと思います?

介弥かいや、わたし、結婚することにしたから』って。

 何処ぞで彼女に一目ぼれした資産家の男と見合いしたとは聞いていたんですけど。

 僕はもちろん、断ってくれるものと思ってたんです。

 ところが、その相手っていうのが、僕との関係をばらしても、それでもいいって言ってくれたらしくて、その態度に打たれたのかなんなのか知りませんけど、

『私だって、幸せになってみたいのよ』
とか言って、あっさりその男と結婚して海外に行ってしまったんです。

 僕は、もう唖然としましたね」

 ははは、と春日は笑ってみせたが、透子は笑わなかった。

 笑えなかった――。

 でも、透子さん、と彼は正面から透子を見つめる。

 何もかも見据えて越えてきた穏やかなその瞳に、不思議に癒されるのを感じた。

「それでも僕は後悔してないんですよ。

 どんな結果に終わっても、人としての禁忌を破っても、僕は彼女を愛してよかったと思ってる」

 さっきまで造りもののようだった春日の笑みが、その瞬間、夕暮れの空気に溶けてしまいそうなものに変わった。

 人が人を愛するということは、こんなにも周りの人間をも幸せにするものなのかと思った。

「恥じ入るつもりはないんですよ、誰にも。

 訊かれたら、否定するつもりもない。

 でも―― あなたの前に出るとちょっと」

「え?」

 春日は、はにかむように笑って言った。

「あなたみたいに純粋な人の前だと、さすがにちょっと恥ずかしいですね」

 特に、なんて言い訳しても、十四で手を出してしまったというのが、と春日は頭を掻く。

「いえ。そんなことない……そんなことないです」

 それは透子の心からの言葉だった。

 顔を上げ、春日を見据える。

「そこまで好きになれる人に出会えて、春日さんは幸せだと思います。

 なにも……恥じ入る必要なんかありません。

 そうして、堂々と言える貴方がうらやましい」

 そう言い切る透子の言葉に、春日はちょっと笑って言った。

「でも、透子さんにもいるでしょう? 好きな人」

「え?」

「和尚くん――」

 どくんっ、と額が疼いた。

 その鼓動よりも早く。

「ち、違いますっ」

 必死に手を振りながら、ドアに向かって後ずさる。

 春日はそこで意地悪く笑った。

「だって透子さん、忠尚くんのときはそうでもないのに、和尚くんのことになったら、やたら過剰に反応するじゃないですか」

 そっ、それはっ、と言い繕おうとしたとき、春日は言った。

「本当は最初に見たとき、思ったんです。

 言ったでしょう?
 わかるんです、僕」

 ななな、なにがっ!? と透子は窓にへばりつく。

 春日は子供に言い聞かせるように言う。

「僕がこんなこと言うのも、あれですけど。

 自分に正直になった方がいいと思いますよ、透子さん。

 でないと後悔する。

 僕は……後悔はしてるけど、それは違う種類の後悔で、舞と恋したことに後悔はしてないんです。

 そして、それは舞もそうだと思う。

 ほんっと、貴方の前でこんな話するの厭なんですけど。

 それを押して言ってるんだから、ちゃんと聞いてくださいよ?」
と春日は心底厭そうに言った。

「僕は貴女に後悔なんかして欲しくない。

 和尚くんが他の人と結婚しちゃったりしたら、どうするんですか。

 それでも、貴女は龍神様の巫女であり続けることに、誇りを持てますか?」

 透子は膝の上の手を強く握りしめる。

 或る種、同じ痛みを抱える春日の言葉は、真実を突いていて、透子の胸を締めつけた。



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

龍神様に頼まれて龍使い見習い始めました

縁 遊
ファンタジー
毎日深夜まで仕事をしてクタクタになっていた俺はどうにか今の生活を変えたくて自宅近くの神社に立ち寄った。 それがまさかこんな事になるなんて思っていなかったんだ…。 え~と、龍神様にお願いされたら断れないよね? 異世界転生した主人公がいろいろありながらも成長していく話です。 ネタバレになるかもしれませんが、途中であれ?と思うお話がありますが後で理由がわかりますので最後まで読んで頂けると嬉しいです!

隣の家に住むイクメンの正体は龍神様でした~社無しの神とちびっ子神使候補たち

鳴澤うた
キャラ文芸
失恋にストーカー。 心身ともにボロボロになった姉崎菜緒は、とうとう道端で倒れるように寝てしまって……。 悪夢にうなされる菜緒を夢の中で救ってくれたのはなんとお隣のイクメン、藤村辰巳だった。 辰巳と辰巳が世話する子供たちとなんだかんだと交流を深めていくけれど、子供たちはどこか不可思議だ。 それもそのはず、人の姿をとっているけれど辰巳も子供たちも人じゃない。 社を持たない龍神様とこれから神使となるため勉強中の動物たちだったのだ! 食に対し、こだわりの強い辰巳に神使候補の子供たちや見守っている神様たちはご不満で、今の現状を打破しようと菜緒を仲間に入れようと画策していて…… 神様と作る二十四節気ごはんを召し上がれ!

【完結】番である私の旦那様

桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族! 黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。 バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。 オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。 気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。 でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!) 大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです! 神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。 前半は転移する前の私生活から始まります。

炎華繚乱 ~偽妃は後宮に咲く~

悠井すみれ
キャラ文芸
昊耀国は、天より賜った《力》を持つ者たちが統べる国。後宮である天遊林では名家から選りすぐった姫たちが競い合い、皇子に選ばれるのを待っている。 強い《遠見》の力を持つ朱華は、とある家の姫の身代わりとして天遊林に入る。そしてめでたく第四皇子・炎俊の妃に選ばれるが、皇子は彼女が偽物だと見抜いていた。しかし炎俊は咎めることなく、自身の秘密を打ち明けてきた。「皇子」を名乗って帝位を狙う「彼」は、実は「女」なのだと。 お互いに秘密を握り合う仮初の「夫婦」は、次第に信頼を深めながら陰謀渦巻く後宮を生き抜いていく。 表紙は同人誌表紙メーカーで作成しました。 第6回キャラ文芸大賞応募作品です。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

京都もふもふ、けもののけ 〜ひきこもり陰陽師は動物妖怪専門です〜

ススキ荻経
キャラ文芸
京都男子の狐依恭(こより きょう)は、類まれな陰陽の才の持ち主であった。 しかし、彼には致命的な弱点が一つ。それは、メンタルが弱すぎるということ! 対人関係でしょっちゅう傷つき、陰陽師のくせに怨霊から逃げ回り、現代社会に適応できない半ひきこもりなのである。 そんな彼が相手にするのは、もっぱら動物の妖怪たち。 貧乏陰陽師のもふもふ妖怪京絵巻、ここに開幕!

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

処理中です...