冷たい舌

菱沼あゆ

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予兆

呑み会

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 忠尚は静かなショットバーとかが好きなのだが。

 まあ、たぶん、女の子を口説くのに都合がいいからだろう。

 今日はそんな気分じゃないからと、透子の提案で、学生時代からよく通っていた小洒落た居酒屋に足を運んでいた。

 此処は和尚たちの居る店にも近い。

 しかし、好物の特製ポパイオムレツなどが並んでも、透子は浮かない顔をしていた。

「なんだよ、食わねえのかよ」
「……食べるけど」

「元気ねえな。ほら」
と大盛りのスパゲティを取ってお皿に入れてくれる。

「そんなに要らないって」

「もしかして、和尚が気になるとか言わねえよな」

「そういうんじゃないけどさ」
と溜息をつく透子に、じゃあ、なんだよ、と胡散腐そうな目を向ける。

「色々考えちゃって」

 そこで、透子は暗くなりそうな話題を避けて、微笑んだ。

「いいから、食べよ」

 せっかく、こうして久しぶりに二人で出て来たんだから、透子としても楽しくやりたいところだった。

 取り合えず、オムレツを切り分けていた透子は、忠尚の視線を感じて顔を上げた。

「なに?」
「いや、相っ変わらず不器用だなあと思って」

「すっごい! 余計なお世話!
 じゃあ、忠尚やってよっ」

 怒ったように忠尚に向かって皿を突くと、

「はいはい、お姫様。
 でも自分でやんないといつまで経っても、うまくなんないぞ」

 そう文句を言いながらも、素直に切り分けてくれる。

 その意外に器用な手先を見ながら思う。

 こういうとこが和尚と違うんだよな。

 和尚だったら、此処でもっと痛烈な一言が来る。

 まあ、結局やってくれるのは一緒だけど。

 人にやらせておいて、モスコミュールの入ったグラスに口をつけた透子に、顔を上げずに忠尚が釘を刺す。

「飲みすぎんなよ。お前、笑い出して止まらなくなるからな」

 いつか旅行行ったとき大変だった、と溜息混じりに言う。

「あれ、まだ飲めたのに」

 未練がましく透子は呟いた。

 去年の冬、二家族の有志で旅行に行った。

 宿泊先の鳥取大山だいせんのホテルで、カクテルのバイキングがあったのだ。

 かなりいける口の透子だが、流石に許容量を越えたらしく、笑いが止まらなくなった。

 まだ飲めるのに~、と笑いながら泣く透子を、和尚と忠尚が引きずって部屋に帰ったのだった。

「……あれはびっくりしたわ。
 私も酔うってことを、初めて知ったわ」

「俺はちょっと安心したけど」
「なんで?」

「少なくとも、俺よりは強くないってわかったから」
「あ、そ」

 別にそんな面子に拘る必要ないと思うんだけどね。透子はモスコの淡い透明な液体を見ながら、呟く。

「しっかし、和尚がコンパねえ」
「似合わねえな」

「まさか……法衣で行ったりしてないわよね」

 二人は顔を見合わせて、乾いた笑いを浮かべた。

 ありうる……。

「でもま、斉上さんが付いてってるから」

 だが、透子は、それが反って心配なんだけど、と思っていた。

 和尚は酒に飲まれる方ではない。

 むしろ、忠尚の方が弱いくらいだ。

 だが、あまり飲むのは好きではないようなので、学生時代からどうしても外せない飲み会以外は参加したことはなかった。

 店内にはコンパなのかサークル仲間なのかわからない男女のグループが何組も居る。

 ついそちらを伺っていた透子に、忠尚が低い声で訊いた。

「和尚が心配か?」

 振り返った透子は笑う。

「別に?
 忠尚ならともかく、和尚は心配してないよ」

「そうは言ってもあいつも男だからな」

 黙り込む透子に、忠尚は、は……と笑いかけて、止めた。

「なんだよ。お前まさか、和尚が好きとか言わねえよな」

「俗っぽいこと言わないでよね。

 そういうんじゃなくて、私――

 和尚を尊敬してるの」

「尊敬?」
 幼なじみにあるまじき言葉に、忠尚が訝しげに訊き返す。

 頬杖をついた透子はわざと忠尚の方を見ずに言った。

「だって力強いしさー、信心深いしさー、忠尚と違って、よく淵にも来てくれるしさー」

 最後のは明らかにプレッシャーだった。

「行くよ、行けばいいんだろ!?」

 忠尚は、ぐっと酒をあおった。

「いーよ、別に」

「なんだ。俺じゃあ、役に立たないってのか」

「そうじゃないけどさ」

 そのとき、女の子の甲高い笑い声が聞こえた。

 男女のグループのうちのひとつだ。
 側に居た男が、彼女に向かって何かふざけている。

 それを見ながら、透子は呟いた。

「コンパといえば、やっぱ、忠尚よね」

 おい、という低い声の突っ込みが入る。

「俺だけじゃねえだろ。お前も相当行ってんの、俺、知ってんだぞ」

 ぎくり、と透子は笑顔を止める。

「こう見えても、顔、広いからな」

 ちっ。やなやつ。

「だって、いろんな人と知り合いになるのは楽しいし。
 まあ、何事も経験かなー、なんて」

「お前、実は結構、色々やってるよな。
 コンパから、ドラムからカートまで」

 そのおとなしげな風貌に反して、意外にチャレンジャーな透子に、今更ながら呆れたように指を折りながら忠尚が言う。

 透子はちょっと照れたように、グラスを口許に当てたまま言った。

「だって、なんでも試してみないと、わかんないじゃない」

「じゃあ、試してないのは、男だけか」

 呑みかけたモスコミュールを噴いた透子に、忠尚が笑いながら言った。

「俺が協力してやろうか?」
「結構ですっ!」

 忠尚は、あっけらかんとした顔で笑い飛ばす。

 うう……。
 コンパ行ったら、こんな奴ばっかだから、厭になって行かなくなったんだよーっだ。

 そして、今更ながらに、あんな空気の中に、和尚に入って欲しくないと思った。

 透子にとって、和尚は、憎まれ口をきく幼なじみであると同時に、犯すべからざる神聖な存在でもあるのだから。

 楽しげに騒ぐ学生たちを見ているうちに、透子は訊いてみたくなった。

「ねえ、忠尚。なんで他所の大学に行かなかったの?」

 んー? と忠尚は惚けたような声を出す。

「私、忠尚は真っ先に都会に行くと思ってたよ」

 忠尚は頬杖をついて、さっき透子がしてたように、店内を見ながら呟いた。

「でも、俺、この八坂好きだしな」

 それは忠尚の口から出るにしては意外な言葉だったが、ちゃんと嘘偽りのない言葉として、優しく響いた。

「お前も和尚も此処に残るっていうしさ。
 お前らこそ、もっといい大学にも行けたろうに」

 透子は淡く笑う。

「だって、私は此処を離れるつもりないもの。
 第一、私が居なくなったら、誰が龍神様のお世話をするのよ」

「それくらいジジイがするさ。ほっといても大丈夫だよ。
 龍神は寝たきり老人じゃないんだから」

 忠尚らしいその言葉に、透子は笑った。

「ほんと偉いよ、お前は。
 いまどき惚れた男にだって、そんな尽くさないって」

「惚れてるのかもよ?」

 そう横目に見て、意味深に笑ってやると、忠尚は動揺したように問うた。

「だ……誰に?」

「龍神様に――」

 ふふふ、と笑う透子に、
「はは……」
と釣られて笑いながらも、忠尚の目は、まさかマジじゃねえだろうな、と訴えていた。

 普段の透子の態度を見ていると、そんな言葉も当てはまりかねないからだ。

 九時か、一次会が終わる時間だな。

 店の時計を見ながら思った。

 店の雰囲気にあった青い丸い壁掛けで、小さなピエロの絵が並んでいる。

 俺さ、という忠尚の声がして振り向いた。

「ほんとは、斉上さんとこ行ったとき、東京の大学も、ちょっと覗いてきたんだ。
 でも――」

「でも?」

 忠尚はいつの間に頼んだのか、運ばれてきた新しいグラスを見ながら、笑っていた。

「思ったほど、いい女がいなかったからな」
「あ……そ」

 これ以上ないくらい忠尚らしい意見だった。

 でも、この八坂にも、そういい女がいるとも思わないけどね、と思う透子を、忠尚は不可思議な笑みを浮かべて見つめていたが、残った酒を一気にあおると、さて、帰るか、と伝票を持って立ち上がった。

「あ、幾ら?
 此処で割って行こうよ」
と伝票に手を伸ばしたが、忠尚はその手を払う。

「いいよ。
 お前、神社の手伝いしてても、お小遣いくらいしかもらってないんだろ?

 俺たちは一応、ちゃんと坊主やってるからな」

「でも……」

 それは、まだ大学に通わせてもらってるから仕方ないことだし、だからって、忠尚に奢ってもらう理由にはならない。

 だが、忠尚はブランドものの財布を透子の頬に当てて笑った。

「ま、そのうち、お前が何かで一発当てたら奢ってくれ」

「なにかって、なに?」
と見上げると、忠尚は笑いながら、さっきの時計を見た。

「例えば、龍神の助言で、金山を掘り当てるとか」

 いまどき、金山? と顔をしかめる透子を忠尚は急かす。

「ほら、早くしねえと、コンパ終わる時間だぞ。
 あいつが二次会に行くとは思えねえからな」

 行こうとする忠尚の腕を掴み、透子は言った。

「あのさ、忠尚。
 私、お金下ろせば本当はあるんだから、気にしなくていいのよ」

 流行のものや、最新機器に弱い忠尚に、そんな余裕があるとは思えなかった。

 忠尚はその言葉に足を止め、透子を振り返る。

「透子。
 それは、下ろしたくない金だろうが」

 何もかも知っている幼馴染みの言葉だった。

 忠尚は透子が口を開く前に、ぽん、と頭を叩く。

「まあ、そのうち、俺がなんかですったり、女に金とられたりしたら、貸してくれ。
 お前は、なんちゃって大富豪だからな」

「忠尚……」

 忠尚らしい軽口に、彼らしい思いやりを感じて、透子は払いを済ませて先を行こうとする忠尚の腕を掴んで言った。

「あのね、忠尚。
 私、忠尚のこと大好きよ」

 忠尚は一瞬、目を見開いたが、顔を歪めるようにして笑う。

「……知ってるよ」

 店の扉が開いて、また、男女の一団が雪崩込んできた。

 一段と騒がしくなった店内に、忠尚は苦笑いしながら、透子の背を軽く押した。


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