冷たい舌

菱沼あゆ

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謀略の見合い

透子の見合い相手

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 森に囲まれた古寺は、今日も静かな佇まいを見せていた。

 長く、所々傾いた石段を上がったところに苔むした大きな石があり、『龍造寺』と銘打たれている。

 そろそろ蝉も鳴き始めるシーズンだったが、滴るような緑に覆われた石段の下で、義隆の額をガマの油のような汗が伝っているのは、暑さのせいではなかった。

「もっ、申し訳ありません。
 今、若いものに連絡を取らせていますので」

 取り繕うような笑みを浮かべながら、自分の息子と変わらない年の男に深々と頭を垂れる。

 透子が居ないと聞いて、帰ろうとした見合い相手を、なんとか石段の下の駐車場で留めはしたものの、実のところ、なんの当てもなかった。

 透子の携帯は切れているし、忠尚のは音を切っているのか繋がらない。

 今朝早々に連れて来られていた透子が、本堂であまりに暇そうにしていたので、法要先から忠尚が迎えに来させろと電話してきたとき、つい行かせてしまったのだ。

 まさかあの義理堅い透子が逃げ出すなどとは思わなかったし。

 ええい、忠尚めっ。
 あいつがそそのかしたに違いない。

 だいたい、潤子に見合いを進めてくれと言われたときから、厭な予感はしていたのだ。

 薫子亡きあとも、その教えを強く守る透子が、見合いなどするはずもない。

 だが、霊感の欠片もない潤子はそれでは納得しなかった。

『だあってえ、お祖母ばあちゃんはもう居ないのよ。

 透子だって、今は託宣のひとつも出せやしないんだから。

 そんなんで就職もしないで、大学残って、ぼーっと民俗学なんてやってるなんて、冗談じゃないわ。

 さっさと嫁に行って、後継ぎ作った方が神社のためだし、お祖母ちゃんだって喜ぶわよ』

 潤子の夫、大河たいがとは兄弟同然に育ってきたし、あけっぴろげで気のおけない潤子も、もう妹のようなものだった。

 その潤子に駄々を捏ねられると、義隆は弱い。

 ふいに目の前の男が口を開いた。

「透子さんは、本当は見合いなんかなさりたくなかったんじゃありませんか?」

 彼、春日介弥かいやは見るからに育ちのいい男だった。

 細身で長身だが、ひ弱そうなところもなく、高い鼻梁に乗った細い銀のフレームの眼鏡が厭味なく似合っている。

 見合いなどする必要もなさそうな感じなので、彼もまた、間に入った叔父に押し切られたのかもしれないと思った。

 いっそ、その方が助かるのだが――。

 春日は、義隆の大学時代の友人の甥で、同じく寺の息子だが、今ではその友人を手伝って事業をやっている。

 なかなかのやり手らしく、確かに法衣などより、今着ているスーツの方がしっくりくる感じだった。

 あまり浮ついたところもなく、大学で透子と同じ民俗学を専攻していたということだったから、これは意外と話も合うかもしれないと密かに期待していたのだが。

 義隆は嘆息を洩らしたが、春日は怒るどころか納得したように頷いていた。

「八坂に名高い龍神の巫女様ですからね。
 まあ、そう簡単に、僕みたいな男と見合いされるとは思いませんでしたけど」

「いえ、そんなことは……」

 春日は、年よりも遥かに落ち着いて見えるゆったりとした余裕ある笑みを見せた。

「民俗学を専攻してましたので、この辺りの祭りも一通り調べたんですよ。

 透子さんの噂も聞きました。
 見事な舞を舞われるそうで。

 残念ながら、僕は祭りには間に合わなかったんですけど」

 力を失っても、祭りのときに舞うその姿だけで、透子の名は有名だった。

「ああ、まあ、あの子はなんというか。
 一種独特の雰囲気がありますからね。

 幼い頃から見慣れている私でも、神事のときのあの子の姿には、はっとするものがありますよ」

 義隆は親莫迦にも似た気持ちでついそう言ってしまう。

 だが、贔屓目ひいきめだけでなく、祀りごとのときの透子は、いつものへらへらとした彼女とはまったく違っていた。

 荘厳とも言える空気を醸し出す彼女に、和尚たちでさえ、圧倒されているようだった。

「一度、間近でお姿を拝見したかったんですが。残念です」

 思い切りよくそう言うと、義隆に丁重に礼を言って、車に向かおうとする。

 言葉も見つからないまま、引きとめるべく手を伸ばそうとしたそのとき、草履の下で、厭な振動が伝わってきた。

 まさか……。
 出ていくときは、うちの車で行ったはずだが。

 義隆の背筋をガマの油より悪い汗が伝う。

 だが、その地揺れと爆音は、確かにあの魔王の到来を告げていた。



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