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壱 江戸すごろく

あやかし駄菓子屋の店主

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 まぶしいな……。

 壱花は何度も目をしばたたく。

 まだぼんやりした視界の中で、身体の向きを変えようと思ったが、なにかが自分の身体を押さえつけていて変えられない。

 なんの妖怪が乗ってるんだ、と反射的に思ってしまったが、それは倫太郎の腕だった。

 ええっ? と壱花は自分の横を見た。

 倫太郎がスーツのままベッドで爆睡している。

 ベッドはあのとき嗅いだ倫太郎の匂いがした。

 彼の部屋のようだ。

 い、一緒にここに転移しちゃったのかっ。

「しゃ、社長っ。
 社長っ、起きてください~」
と壱花は倫太郎を揺する。

 寝ぼけている倫太郎は自分を誰だと思っているのか。

 いや、なんだと思っているのか。

 毛布かなにかのように壱花を自分の腕の中に引き寄せ、ぎゅっと抱くとまた寝てしまう。

 倫太郎の香りが強く鼻先でする。

「おっ、起きてくださいっ、社長っ。
 遅刻しますよーっ。

 あるいは、もう遅刻ーっ!」

 窓から燦々さんさんと差し込む太陽を背に受けながら、壱花は叫んだ。

 


「あのときさあ、閉店まで店見ててあげたじゃん。
 結構売ったんだよね、バイト代出ないの?」

 レジ台に手をついた俳優のようなイケメンが壱花に向かって、笑いながらそう言ってくる。

「どうでしょうね。
 ちょっとオーナーに相談してみないと」
と壱花はそのイケメン狐に言った。

 オーナーとはあのおばあさんのことだ。

「ああ、あのやり手のばあさんね」
とよく知っているらしくイケメン狐は言う。

「バイト代が欲しいのなら、もうちょっと働いていけ」
という声が入り口からした。

 外にあるガチャガチャの調子が悪いと海坊主に言われて見に行っていた倫太郎だ。

「社長、毎晩来なくていいんですよ、お疲れなのに」
と壱花は言ったが、

「いや、一日ゆっくりしてみてよくわかった。
 もう十年以上ここに通ってたんで、やっぱり来ないと落ち着かないんだ」

 そう倫太郎は言う。

「それに、会社だと俺にガツンと言ってくるやつもいないから。
 ここで遠慮なく物を言ってくる連中に囲まれているのも悪くない」

「……妖怪にしか叱られない人生ってどうなんですかね?」
と壱花が言ったとき、

「私も叱ってますよ」
と言う声が入り口からした。

 背の高い紳士風の男。

 浪岡常務が立っていた。

「え?
 本当に古狸だったんですか?」

 ここに来るとは、と思って思わず言って、莫迦っ、と倫太郎に足を蹴られる。

「ほう、古狸ね」
とそれを言っているのが倫太郎とわかったように、じろりと浪岡は倫太郎を見る。

 ニンジン型のポン菓子を手に取りながら、浪岡は言った。

「いやいや、私は疲れて、たまにここに立ち寄ってるだけですよ。
 息子ほどの年の社長に言って聞かせなきゃいけないことが山ほどあるんでね」

 これください、と浪岡は壱花にポン菓子を渡してくる。

「はい、ありがとうございます」
と壱花はお金を受け取った。

 じゃあ、と常務は去っていく。

「なんだ、別に仲悪いわけじゃなんですね」
 壱花は倫太郎に笑って言った。

「……悪くはない。
 あやかしより怖いだけだ」
と倫太郎は言う。

「ねえ、いつまで、ここで働くの?」
とイケメン狐が壱花に訊いてきた。

「さあ、おばあさんが戻ってこられるまでですかね?」

 駄菓子のつまったダンボールを手に倫太郎が言う。

「あのばあさん、なんで寺の境内にいるのかと思ったら、あやかしだけじゃなくて、坊主たちにも駄菓子売りつけてるらしいぞ。

 もうかってるみたいだから、しばらく戻ってこないんじゃないか?」

「へえ、生活に疲れたお坊さんに売ってるんですかね?」

「坊主も結構疲れてそうだからな。
 次はきっと、生活に疲れた神主だな」
と倫太郎は言う。

「どんどん店舗増やしていきそうですよね」

 きっとおばあさんは、わたしたちが生きてる間はこの店には戻ってこないだろう。

 いつかの狸親子がまた人の姿でやってきた。

「いらっしゃいませ」
と壱花と倫太郎とイケメン狐が言う。

 体格のいい狸の父親が笑って、
「おや? いつからここは夫婦めおとでやるようになったんだい?」
と言う。

 夫婦……?
と壱花は思わず、倫太郎を見たが、倫太郎は視線をそらす。

 代わりに、イケメン狐が壱花の肩に手を回し、言ってきた。

「そうなんですよ。
 ここは、わたしとこの化け化けちゃんが夫婦でやることになったんですよー」

「誰が化け化けちゃんですかっ」

 壱花が狐を見上げて言うと、

「違うところに突っ込めっ」
と言いながら、倫太郎がイケメン狐の手を壱花の肩から引きはがす。

 疲れたサラリーマンと疲れていないあやかしでにぎわう町の駄菓子屋は、今日も元気に営業している。

 あ、と店の入り口を壱花たちが振り向いた。

「いらっしゃい」
と愛想よくイケメン狐が言い、

「……いらっしゃい」
と少し迷って倫太郎が言い、

「いらっしゃいませー」
と壱花が笑う。

「化け化けあやかし堂にようこそ。
 どうぞ閉店まで、ごゆるりとー」



                             「壱 江戸すごろく」完




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