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ささやかなる弁当

なんの変哲もない喫茶店なのに……

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 そこはごく普通の昔からある喫茶店だった。

 明るい日差しに、窓の外からは鳥のさえずり。

 のどかだ……。

 何故、この喫茶店で激辛カレーなんて極悪なものを……と思いながら、万千湖は遠い目をして眩しい窓を見つめる。

 店内に漂うカレーの香りがすでにヒリついていた。

 平和そうに歩いているサラリーマンが目に入る。

 いや、平和そうに、というのは万千湖の主観だが。

 今すぐ居場所を取り替えたくなる。

 だが、彼はあっという間に通り過ぎていってしまった。

 窓から見える通行人たちに、万千湖は、心の中で、

「辛いものはお好きですか?」

「激辛カレー、食べませんか?
 おごりますよ」
と話しかけていた。

 特に辛いものは苦手でないらしい瑠美が小声で、
「緊張するわね、イケメン課長が二人も前にいると」
と言ってくる。

 そうですね。
 違う意味で緊張しそうですね。

 箸の上げ下ろしまで、見られて叱られそうで、と万千湖は目の前に座り、腕組みして黙っている駿佑を見た。

 この人に酒を。

 いや、またモデルハウスが当たるとかのビッグイベントを。

 なにかで課長の気をそらして。

 この厳しい視線をどうにかしてくださいっ、と固まる万千湖の横で、何故だか、瑠美が昨日の100均での話をしはじめた。

 たぶん、瑠美にとって、ここ最近で一番インパクトのあるできごとだったからだろう。

「そう、それで、万千湖の前の職場の男の人に出会ったんですよ」

 さっきまで言っていた影のあるイケメン、というセリフを瑠美は二人の前では飲み込んだ。

 前の職場の男……?
 誰なんだ?
と駿佑が目で問うてくる。

 プロデューサーの黒岩さんです、と目と目で会話したつもりだったが。

 さすがに人名までは伝わらなかったかな、とあとで思った。

 

「あのカレー屋は人を殺そうとしていますっ」

 青い大きな雁夜の車にみんなで乗ったあと、万千湖はそう叫んだ。

 ははは……と苦笑いした雁夜が同情気味に言ってくる。

「大丈夫? 白雪さん。
 コンビニ寄ろうか?

 ご飯、サラダしか食べてないよね?」

「いえ、大丈夫です。
 激辛カレーのあとの昔ながらの苺のショートケーキ。

 涙が出るほど美味しかったですっ」

 ……ほんとうに泣くかと思った。

 あの店にはすっごい激辛、普通に激辛、ちょっぴり激辛、のカレーと何種類かのケーキしかない。

 ケーキはきっと、ご褒美なんだな。
 頑張って激辛カレーを食べた人間への。

 ……まあ、私はちょっぴり激辛なうえに、ほとんど食べてはいないんだが。

 っていうか、普通に激辛って、激辛はなにも普通じゃないですよっ、と万千湖は今でも胃が痺れるような、あの辛さを思い出しながらメニューにケチをつけはじめる。

 あの懐かしい感じのする喫茶店な外観に騙されて入ったご老人とかいたらどうするのですか。

 そんな人たちを見かけたら、
「気をつけてっ。
 そこは魔窟ですよっ」
と叫びたくなる。

 万千湖の頭の中では人の良さそうな老夫婦がひだまりの中散歩して来て、あの外観いい感じの喫茶店を見つけ、おや? と微笑んでいた。

 魔窟ですよっ。

 だが、その老人たちも実は激辛好きなのかもしれないのだが。

 そんな妄想の中のご老人たちに思いをせていた万千湖は、助手席に座る駿佑が時折、こちらをチラチラ見ているのに気がついた。

 視線でなにかを訴えているようだ。

 実は駿佑はまだ、
「前の職場の男とは誰だ?」
と目で訊いていたのだが。

 まさか、今までその話を引っ張っていると思わない万千湖にはわからなかった。


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