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第五章 再会編

獣のような男

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「な、何じゃと?暗殺に…、失敗した…?」

暗殺失敗の報告を受けたヨランダは思わずティーカップを落としそうになった。

「はい。暗殺者全員の生命反応が途絶えたので間違いありません。」

黒いフードを被った女は頭を垂れて、そう口にした。
ヨランダは信じられないとでも言いたげに目を見開き、声を荒げた。

「馬鹿な!あの化け物の呪いはもう解けているのであろう!?忌々しいあの呪いの力がない今なら、簡単に始末できるのではなかったのか!?」

ヨランダは扇を強く握り締め、怒りで顔を歪めた。
「おのれ、ルーファスめ…!まさか、わらわを謀ったのか?あの手紙は偽りに過ぎなかったということか…!」

「それは流石に考えられないかと…。あのルーファス殿下がそのような危険なリスクを冒すとは思えません。身内とはいえ、王家に偽りを述べたりすればどうなるか位、理解している筈です。」

「ならば、何故、このようなことになっているのじゃ!ルーファスなど呪いがなければ、何もできないただの貧弱な無能ではないか!」

「恐らくは、あの執事を筆頭にした使用人達のせいでしょう。数は少ないとはいえ、彼らの中には剣術と魔法に秀でた者がおりますから…。」

「小賢しい…!使用人の分際でわらわの邪魔をするとは…!」

「王妃様、まだ手はあります。…例の実験体を使いましょう。」

「何…?」

ヨランダは女の言葉にピクッと反応する。

「あれを使うのか?」

「ええ。今回は王宮の外ですので、監視や警備の目もありません。以前はルーファス殿下の呪いのせいにして、何とか誤魔化しましたが、さすがに同じ手はもう使えないでしょう。ですから、今が絶好の機会かと…。」

「ふむ…。確かにあれは強い。あの使用人達が束になっても敵わぬだろうな。何せ、奴はたった一人で死刑囚三十人を仕留めた男じゃ。しかし…、本当に大丈夫なのか?」

「ご安心を…。任務を達成したら、あの実験体には自決するように魔法を施しておきます。そうなれば、証拠は残りません。」

「フッ…、そうか。それを聞いて、安心したぞ。…では、ヘルガ。頼んだぞ。」

「御意に…。」

黒いフードの女、ヘルガは王妃の前で跪いた。
王妃の部屋を退出後、ヘルガは早速、自身が管理している地下牢に足を運んだ。
コツコツ、と靴音を立てて、地下牢に続く階段を降りていく。
地下牢に閉じ込められているのは、人間、亜人、動物と様々だ。
生気がなく、虚ろな目をしている者、啜り泣いてる者、精神が壊れているのかブツブツと独り言を呟いている者、唸り声を上げている者や叫んでいる者もいる。
まだ理性がある者はヘルガの姿を見て、鉄格子を掴んでここから出して!と懇願する。
が、ヘルガはその声を無視して、通り過ぎる。

そして、一番奥の牢屋に辿り着いた。そこには、鎖で繋がれた全裸の男がいた。
毛深い身体に髪は伸ばし放題、爪はまるで鳥の爪のように鋭く、何日も風呂に入っていないので異臭がする。
ヘルガの気配を察したのか、男は顔を上げる。
涎を垂らし、獣のような呻き声を上げ、ギラギラと血に飢えた獣のような目でヘルガを見た。

「あらまあ…。威勢がいいのは変わらないのね。」

ヘルガはクスッと笑い、鍵を開けて、牢に足を踏み入れた。
男がグワッと口を開けて、ヘルガに噛みつこうとするが鎖で拘束されている為、それができない。
ガチャガチャ、と鎖が擦れる音が牢内に響く。
拘束されても暴れる男に向かって、ヘルガは従属の呪文を唱えた。
すると、男の身体に刻まれた術式が発動する。
ガクン、と男の身体から力が抜け、ヘルガに頭を垂れた。
大人しくなった男にヘルガは手を翳した。呪文を唱えて、男の身体に処置を施す。
すると、男が苦し気に声を上げ、白目を剥いた。けれど、それは数秒の間ですぐに苦痛は消えたのか、大人しくなった。

「さあ…。お使いの時間よ。」

パキン、と音を立てて、鎖が壊れる。男を拘束している物は何もなくなった。
ヘルガは命令を下した。

「其方の主が命ずる。我が敵を殺せ。敵の名はルーファス・ド・ローゼンハイム。…行け。」

ヘルガが命令すると、毛むくじゃらの男は物凄い速さで駆け出した。
その姿を見送り、ヘルガは紅い唇を吊り上げて、笑った。その左の口元には特徴的な黒子があった。





次の日、リスティーナはルーファスと一緒に屋敷のすぐ近くにある湖に来ていた。
湖は屋敷の近くにあるので移動距離に時間がかからない。
なので、十分に余裕があったリスティーナはルーファスの為に昼食を作って、持参した。
ルーファス様が喜んでくれるといいな。

「わあ…。綺麗な湖ですね。」

森の中にある湖に行くと、水面が太陽の光に反射して、キラキラと輝いている。
思わずその美しい景色に見惚れる。透き通っていて、とても綺麗…。
空気が澄んでいて、緑の木々も生き生きしている。穏やかな風も吹いて、気持ちがいい…。
その時、強い風が吹き、帽子が飛ばされる。

「あっ…!」

慌てて、手を伸ばすが帽子はリスティーナの手をすり抜けていってしまう。
飛ばされた帽子をルーファスは手で掴むと、それをリスティーナに手渡した。

「大丈夫か?」

「あ、ありがとうございます。ルーファス様。」

リスティーナはホッとして、帽子を被り直した。

「今日は少し風が強いな。寒くないか?」

「大丈夫ですよ。日が出ているので丁度いい気温です。」

その後、リスティーナはルーファスと一緒にボートに乗って、湖の景色を楽しんだ。
よく見れば、森には野生のハーブも生えていたので、リスティーナは思わぬ収穫に喜んだ。
セージ、ローズマリー、タイム、ミント、レモンバーム…。こんなにたくさんのハーブが手に入るだなんて…!
このハーブで何を作ろうかな。ハーブティーもいいけど、料理にも使えそう。
ルーファス様は魚よりもお肉の方が好きだし…。お肉料理でも作ろうかな?
リスティーナは考えるだけで楽しくなる。
そんなリスティーナをルーファスは穏やかな眼差しで見つめていた。

「リスティーナ。手が汚れている。洗浄魔法をかけるから、手を見せてくれ。」

そう言って、ルーファスは泥だらけになったリスティーナの手を魔法で綺麗にしてくれた。

「これは何のハーブなんだ?」

「これは、セージです。長寿のハーブとして知られていて…。葉には強い殺菌効果があるんです。それだけじゃなくて、料理にも使えるんですよ。それから、こっちは…、」

リスティーナはルーファスに聞かれるがままに答えた。
ハーブについて語るのはとても楽しい。小さい頃から花やハーブを育てていたし、植物図鑑も何十回と繰り返し読んでいたので知識だけはあるのだ。
時々、我に返って、話しすぎたかな?退屈じゃないかな?と思うが、ルーファスは特に気にした様子もなく、興味深そうに耳を傾けてくれている。
その反応にホッとしたリスティーナは気兼ねなく、ハーブについて語ることができた。



気付けば、もうお昼になっていた。
湖の近くにシートを敷き、持ってきたお弁当を広げる。

「どうぞ、ルーファス様。おしぼりです。」

「ああ。ありがとう。今日のお昼はサンドイッチか?」

手渡されたおしぼりで手を拭きながら、ルーファスはバスケットに入ったサンドイッチに目を向ける。

「はい。具はローストビーフにサーモンとカマンベール、それとオムレツと葉野菜のサンドイッチです。後、ほうれん草とベーコンのキッシュもあります。いっぱいあるのでたくさん食べて下さいね。ルーファス様はどれから食べますか?」

「へえ。美味そうだな。じゃあ、ローストビーフのサンドイッチを貰ってもいいか?」

「はい!勿論です。」

ルーファスはローストビーフのサンドイッチを手に取った。
リスティーナはオムレツのサンドイッチにした。

「ッ!美味い…。サンドイッチって、こんなに美味しい物だったんだな。」

「そ、そんな大袈裟な…。ただ、具をパンに挟んだだけですよ。」

サンドイッチで感動しているルーファスにリスティーナは思わず苦笑する。
そんなに手が凝った料理でもないのに喜んでくれるなんて…。
リスティーナはくすぐったい気持ちになった。
そういえば、お母様から料理を教えてもらっていた時、『ティナ。もし、好きな男の子ができたら、まずは胃袋を掴むのよ。これで、大抵の男の人は落ちるのだから。』と言っていたっけ。
お母様の言葉は本当だった。ありがとう。お母様。お母様に料理を習っておいて良かった。
リスティーナは心からそう思った。

「特にこのローストビーフは絶品だな。」

「ルーファス様はローストビーフも好きなんですね。でしたら、また、作りますね。」

「それは、楽しみだ。」

食事を終えた後は、二人でゆっくりと湖畔で時間を過ごす。
不意にルーファスがリスティーナに真剣な表情で話しかけてきた。

「リスティーナ…。実は、君に大事な話があるんだ。聞いてくれるか?」

大事な話?リスティーナは居住まいを正して、ルーファスに向き直った。

「実は…、俺が今まで苦しんでいたのは呪いではなくて…、ッ!」

ルーファスは不意に顔を上げ、周囲を警戒するように視線を鋭くした。

「ルーファス様?」

「…リスティーナ。悪いが、少しここで待っててくれ。」

そう言って、ルーファスは立ち上がった。何だか、様子が変だ。

「ルーファス様…。」

「すぐに戻る。」

ルーファスはそう言い残すと、背を向けて森の奥へと消えていく。
追いかけようかとも考えたが、ここにいるようにと言われたのでリスティーナはその場から動かずに彼を待つことにした。

「ぎゃあああああ!」

「!」

どこからか悲鳴が聞こえ、思わず声のする方向に視線を向けた。
悲鳴!?どこから!?

「いやあああああ!助けてー!」

助けを求める声にリスティーナは立ち上がり、声のする方に駆け出した。
段々と音が近付いていく。女性の悲鳴と同時に濃い血の匂いがした。
リスティーナはその時、何かに躓き、そのまま転んでしまう。

「うっ…、いたっ…!」

リスティーナは痛みに顔を顰め、起き上がる。
何か、柔らかいものに引っかかって…、リスティーナは思わず後ろを振り向くと、そこには死体が転がっていた。

「ヒッ…!?」

木の根元に躓いたと思ったのに、正体は死体だった。
獣に食い散らかされたような形跡があり、腹が裂けていて、無残な姿になっている。
一目見て、死んでいると分かる有様だ。
リスティーナは尻餅をついたまま、思わず後退る。
ピチャ、と音がして、思わず自分の手元に視線を向ければ、手が血で真っ赤に染まっていた。
血の水たまりに手を突っ込んでいたのだ。

「きゃああああ!?」

思わず手を振り払い、リスティーナは立ち上がる。慌てて、服の裾で手についた血を拭った。
見れば、周囲には他にも死体が転がっていた。
手足を食いちぎられた死体、内臓を食い散らかされた死体、顔が原型を留めていない死体…。あまりの惨状にリスティーナは思わず口元を手で覆う。

「うっ…!」

耐えきれずにその場でえずき、嘔吐してしまう。
その時、グチャ、グチャ、と何かを噛み千切るような音がした。
リスティーナは嘔吐で汚れた口元を拭う事もせず、音のする方向に視線をやる。
死角になっていて、よく見えない。リスティーナはゆっくりと歩いて、恐る恐る様子を窺った。
そっと木の陰から覗き込めばそこには…、女の血肉を貪っている黒い獣がいた。

「っ…!」

リスティーナは息を吞んだ。咄嗟に声を出さないように口元を押さえる。
に、逃げなきゃ…!そう思って、後退るが、リスティーナは目の前の獣を見て、違和感を抱いた。
何…?あの、生き物…。
最初は狼か野犬の類の獣かと思った。でも…、違う。あれは…、獣じゃない…。人間だ…。

髪は伸び、全身毛むくじゃらで爪も異様に長く伸びて、肌は黒ずんでいるから、最初は人間だと気付かなかった。一瞬、野生の獣かと勘違いしてもおかしくない姿形をしていた。
それに、人間を捕食している姿はまるで獣そのものだった。
でも…、よく見れば目の前にいるこの得体のしれない生き物は人間の特徴を持っていた。
この人は人間だ。リスティーナはそう確信した。
男は服を着ておらず、全裸だった。

ん…?獣のような男?それって…、確かルーファス様が…、
リスティーナはノエル王子の話を思い出した。幼子を食らうという狂った男…。
一瞬、獣かと見間違える程の異様な姿をした人間。ルーファス様から聞いたノエル王子を殺した犯人と酷似している。
まさか…!この、人が…、ノエル殿下を殺した…!
リスティーナは動揺から、ジャリ、と足音を立ててしまった。

すると、女を食べていた黒い獣のような男はいきなり、グルン、と首を異様な方向に曲げて、リスティーナを見た。
爛々と不気味に光る赤い目がリスティーナを見据える。ニタッと口角を吊り上げた。
その目はリスティーナを獲物と認識していた。
次の瞬間、男は獣じみた動きでリスティーナに飛び掛かった。
リスティーナは咄嗟に魔石を投げつけた。すると、男とリスティーナの間に泥人形が立ち塞がった。
リスティーナは靴を脱ぎ捨てると、裸足で走った。

「ぐおおおおおお!」

バキッ!と何かが壊れる音がして、獣の咆哮が聞こえた。
リスティーナは振り返らずに走った。前は崖になっていて、これ以上は前に進めない。
リスティーナは風の魔石を手にして、飛び降りた。
パキン、と魔石が割れる。
すると、魔石の力でフワッと宙に浮く。そのまま緩やかな速度で下っていく。
しかし、途中で魔石の効果が切れてしまい、勢いよく落下してしまう。
坂道を転がるようにして、地面に倒れ込む。
受け身を取ったおかげか擦り傷と打撲程度ですんだ。
さすがにここまでは追ってこないよね?
リスティーナは予備の魔石を握り締め、警戒しながら、上を見上げようとしたその時、ダン!と音が背後から聞こえた。

「えっ…?」

リスティーナが振り返ると、そこにはあの獣のような男が着地していた。
嘘…!?あの、崖から飛び降りたの…!?そんな事ができるなんて…!
男が涎をボタボタ、と垂らしながら、牙を剥き出しにして、リスティーナに襲い掛かった。
あ…、駄目…。間に合わない…!僅かに反応が遅れた。魔石を投げようとするが獣の方が早かった。
男の鋭い爪がリスティーナの腕を掴み、そのまま地面に押し倒した。

「あっ…!」

ズザザザ、と音を立てて、リスティーナの身体が地面に押し付けられる。
掴まれた腕からジワリ、と血が滲んだ。
手の中にあった魔石は地面にコロコロと転がってしまい、不発に終わってしまった。
ハッと気が付いた時には男がグワッと口を開けて、リスティーナに噛みつこうとしていた。
リスティーナの肩に男が噛みついた。
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