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第四章 覚醒編
遭遇
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次の日、ルーファスは高熱を出した。
そのため、結局、出発は午後になってしまった。
ルーファスは馬車に座るのも辛そうだった。
日にちを延ばしたほうがいいのではと思ったのだが、当のルーファスが頑なにそれを拒否した。
まるで一刻も早く王都から離れたい様子だったのでリスティーナはそれ以上、何も言うことはできず、予定通り出発することになった。
「ルーファス様…。あの、本当に大丈夫ですか?」
「ッ、あ、ああ…。へ、平、気だ…。」
リスティーナが話しかけても、熱で意識が朦朧としているのか答えるのも辛そうな様子だ。
本人は大丈夫と言っているが、全然大丈夫そうに見えない。
息は荒いし、顔は赤いし、汗も凄い。何より、とても苦しそう…。
答えるのもやっとといった様子だ。
リスティーナはハンカチでルーファスの汗を拭った。
馬車の中で人目もないので仮面を外し、顔の汗も拭う。
昨夜も寝れなかったのか目の下の隈が濃くなっている。
馬車の移動中、少しでも休めるように柔らかいクッションを用意した方がいいかもしれない。
そうだ。氷枕も用意して…。
リスティーナは馬車の外に出た。
スザンヌはリスティーナの荷物を後宮まで取りに行ったので戻ってくるにはもう少し時間がかかりそうだ。
ルカはどこにいるのかしら?辺りを見回しながら、ルカの姿を捜していると…、
「聞いたぞ。フィオナ。お前、また縁談を断ったんだってな。」
「どの縁談のこと?」
「マシャール国の第三王子の縁談だよ。一体、何が気に食わなかったんだ?マシャール国の第三王子って王子達の中で一番の美形だって評判じゃないか。」
「だって、あいつ軟弱で根性がなかったんだもの。私、弱い男には興味ないの。」
「お前より、強い男なんて俺か他の勇者位だぞ。…ああ。もしかして、これは遠回しに俺と結婚したいというお前なりのアピールか?」
「そんな訳ないでしょ。私、あなたみたいな浮気性の男は生理的に無理なの。あんまりふざけたこと言ってると、光魔法をぶっ放すわよ。」
「相変わらず、気が強いな。まあ、そこがいいんだが…。」
話し声が聞こえると思ったら、そこには光の聖女フィオナとラシードがいた。
リスティーナは思わずサッと生け垣に身を隠した。
ど、どうしよう!まさか、ラシード殿下がここにいるなんて…!
見つからないようにここを離れないと…。
リスティーナは物音を立てないようにそー、とその場を立ち去ろうとした。
が、運悪く地面に落ちていた小枝を踏んでしまい、パキッと音がした。
「ッ!?そこにいるのは、誰!?」
フィオナが鋭い声を上げる。一瞬で距離を詰められ、こちらを見下ろすフィオナと目が合った。
「…あなた…、昨日の…?」
フィオナの背中越しにラシードと目が合った。まずい…!リスティーナは頭の中で警鐘が鳴った。
「お、お話し中に申し訳ありませんでした!」
リスティーナはペコッと頭を下げると、そのままクルッと背を向けて走り出した。
頭の中で冷静な部分が勇者と聖女に対してちゃんと挨拶しないといけないとか、淑女たる者、足音を立てて走ったりしてはいけないとか考えるが今はとにかく、この場を離れたかった。そんな思いでリスティーナは全力疾走で逃げたつもりだったのだが…、
「よお。リスティーナ。こんな所で会えるなんて奇遇だな。」
「ヒッ…!?」
突然、ガッと肩を掴まれ、リスティーナはそれ以上前に進めなくなってしまった。
反射的に見上げれば至近距離にラシードの顔があった。
いつからそこにいたのかラシードはリスティーナの肩に手を回し、耳元で囁いた。
リスティーナは思わず悲鳴を上げた。
い、いつの間に!?気配も足音もしなかったのに…!
ううっ…!背中がぞわぞわする…!
おまけにがっちりと肩を掴まれているせいで身動きが取れない。
「ラシード殿下…!は、離して下さい…!」
「そんなつれない事言うなよ。昨日は熱い口づけまで交わした仲だっていうのに。」
「そ、それはあなたが無理矢理…!」
まるで同意の上での行為だったかのような言い方にリスティーナは思わずラシードを見上げて、反論した。
すると、ラシードは不敵な笑みを浮かべながら、顔を近づけてきた。
リスティーナは思わずバッと顔を背け、唇を守るように口を手で覆った。
無防備になった首筋にラシードは顔を埋めて、スーと嗅いだ。
「!!!!」
こ、この人、今、か、嗅い…!?
全身に鳥肌が走った。悲鳴を上げ、バタバタと暴れて、ラシードの腕から逃れようとするが、ビクともしない。
「な、何を…!止めて下さい!離して…!」
「…チッ、香水の匂いが強くて、分かりづらいな。」
ラシードが舌打ちをして、ボソッと何か呟いた。リスティーナはラシードが何を言ったのかよく聞き取れなかった。
「おい。リスティーナ。お前に確かめたいことがある。ちょっと俺に付き合え。」
「嫌です!お断りします!私、ルーファス様の所に戻らないといけないんです!」
リスティーナは半泣きの状態で首を横に振り、拒絶する。
「ちょっとラシード。」
フィオナが抗議するようにラシードに声を掛ける。
すると、ラシードはいきなりリスティーナから手を離し、素早く距離を取った。
その瞬間、白い何かがリスティーナの視界を覆った。
リスティーナは目を見開いた。
ガルルル!と唸り声を立てて、ラシードを威嚇する銀色の獣がリスティーナを守るように立ち塞がっている。一見、狼のように見えるが、普通の狼よりはるかに大きい。牛と同じ位の大きさだ。
「ッ、フェンリルか…。これは、珍しい。実物は初めて見たぞ。」
「なっ、何でフェンリルがここに!?」
上位精霊フェンリル!?
リスティーナは改めて銀色の獣を見つめる。
た、確かに…。子供の頃に読んだ精霊図鑑に載っていたフェンリルの絵とそっくりだ。
伝説級と名高いフェンリルが何故、ここに?
フェンリルはリスティーナを庇うようにザッと前足を出し、ラシードを鋭く睨みつける。
「待て。アスラン。」
その時、凛とした声がした。誰かがこちらに近付いてくる足音が聞こえる。
リスティーナは思わず顔を上げた。視界に入った人物の姿にリスティーナはあっ、と声を上げた。
「ジェレミア皇女殿下!?」
そこにいたのは、銀髪碧眼の男装の麗人、ジェレミアだった。
ジェレミアはニコッとリスティーナに微笑みかけると、フェンリルに命令した。
「下がれ。」
「ガル…。」
ジェレミアの命令にフェンリルは威嚇を止め、ラシードの前から下がるとジェレミアに鼻先を擦りつけた。ジェレミアはフェンリルの頭を優しく撫でると、フェンリルの姿はフッと掻き消えた。
そして、ジェレミアはラシードに視線を向け、紳士の礼を取った。
「失礼しました。ラシード殿下。この子は私の契約獣でして…。未熟な私はまだ精霊魔法を使いこなすことができず…。時々、こうして私の命令を聞かずに人の前に姿を現してしまう事があるのです。
ラシード殿下にこのような無礼を働いてしまい申し訳ありません。この子の契約者として代わりに謝罪します。」
「ジェレミアじゃないか。久しぶりだな。相変わらず、いい女だな。そういえば、お前は母親と同様に精霊魔法が得意だったな。上位精霊のフェンリルと契約するなんて大したものだ。」
どうやら、ラシードとジェレミアは顔見知りの間柄のようだ。
他国の交流や外交関係で顔を合わせることもあるのかもしれない。
ラシードの賛辞にもジェレミアは紳士然とした笑顔を崩さない。
「恐れ入ります。」
「それにしても、お前はまだそんな堅苦しい恰好をしているのか?それはそれでそそるものがあるが、お前も年頃の女なんだから、他の女みたいに綺麗なドレスを着て、着飾ったらどうだ。何なら、俺が見繕ってやろうか?」
ジェレミアにも気があるような素振りをするラシードの物言いには呆れてしまう。
さっきまで、聖女様にも口説き文句を口にしていたのに…。
「ご遠慮します。婚約者でも夫でもない異性から贈り物を頂くのはあらぬ誤解を招きますので。それに、わたしはドレスよりもこちらの方が落ち着くのです。ですから、お気遣いは無用です。わたしが好きでしていることなのですから。」
「勿体ないな。それほどの美貌なのに、着飾らずに無骨な男の服なんかで隠してしまうなんて。」
ラシードは心底、残念そうに溜息を吐いた。
もしかして、ジェレミア様…。私を助けるためにわざと…?
「しかし、驚いたぞ。いきなりフェンリルが目の前に現れるんだからな。咄嗟に反応できたからよかったものの…。俺じゃなかったら大怪我を負っていた所だったぞ。」
「申し訳ありません。ですが、さすがはラシード殿下です。怪我がないようで何よりです。」
「しかも、このフェンリル、俺を威嚇してきたからな。」
「何分、この子はまだ人見知りが激しいようでして…。」
ラシードの指摘にもジェレミアはさらり、と流した。
その切り返しは自然でわざと召喚獣をけしかけたようには思えない。
「どうぞ、寛大な心で見逃してくださいませんか?」
「さて…。どうしたものかな。俺はお前のことを気に入っているが、ただで許すというのはな…。そうだな。ジェレミア。この間、話した俺の提案を前向きに検討してくれるというのなら、考えてやってもいいが?」
提案?何だろう。その提案の内容をリスティーナは知らないが何だか嫌な予感がする。
不安に駆られるリスティーナだったが、ジェレミアは動揺した素振りも見せず、フッと口角を上げて笑い、
「これは驚きました。まさか、炎の勇者であり、パレフィエ国の王太子ともあろうものがたかが契約獣の粗相を咎め、そこに付け込んで対価を要求するとは…。ラシード殿下は器の大きな方だと思っていましたのに…。」
そう言って、ジェレミアは心底、残念そうに溜息を吐き、俯いた。
「ラシード。いい加減にしなさいよ。しつこい男は嫌われるわよ。一回振られてるんだから、諦めなさいよね。」
フィオナにもそう言われたラシードはフッと笑い、
「何、今のは冗談だ。いつも凛とした態度を崩さないお前の焦った顔が見たくて、つい、な…。」
「それを聞いて安心しました。そうですよね。まさか、勇者様ともあろうものが人の弱みに付け込んで脅迫するなんてそんな下劣で卑怯な真似をするはずがありませんよね。」
笑顔でさらり、と毒を吐くジェレミアにそんな事を言って大丈夫なのだろうかとリスティーナはヒヤリとしたが、ラシードは気分を害した様子もなく、愉快そうに笑った。
「お前のそういう自分の意見をはっきり言うところ、俺は好きだぜ。」
「光栄です。ちなみに、私はしつこい男と嫌がる女性に無理矢理迫る男は虫唾が走るほど、嫌いです。」
明らかにそれはラシード殿下を指している。
その言葉の裏に気付いているだろうにラシードは笑みを深めたままだ。
それにしても、さすがジェレミア様だ。あのラシード殿下を前にしても、全く臆することなく、堂々と意見して、凛とした態度を貫いている。
私もあんな風になれたら…。リスティーナは思わず尊敬の眼差しでジェレミアを見つめる。
「…もう、こんな時間か。」
その時、ラシードが懐から懐中時計を取り出し、そう呟いた。
そして、心底、名残惜しそうに溜息を吐くと、
「悪いが、俺はこれから商談相手と大事な取引があるから、そろそろ戻らないとな。残念だが、今日はここでお別れだ。」
「お気になさらず。どうぞ、王太子としての執務に励んでください。」
「これっぽっちも残念と思ってないから、さっさと行きなさいよ。」
言外に二度と来るな、と言うジェレミアとシッシッと犬でも払うような仕草でフィオナはラシードを邪険に扱う。
あのラシード殿下をこんな風にあしらうことができるなんて凄い。
私もこれ位素っ気なくすればラシード殿下に絡まれることもなくなるかな…?
い、いや!でも、そんな失礼な態度を取って、国際問題になったら困るし…!
そんな風に考えていたリスティーナにラシードは視線を向ける。
ラシードと目が合い、思わず、ビクッと肩が震える。
「じゃあ…、またな。リスティーナ。」
そう言って、意味深に笑うラシードにリスティーナはゾクッとした。
え…、何で今、私をわざわざ名前で呼んだの?
こ、怖い…!どうして、あんなに私に執着するの?
ルーファス様への嫌がらせ?ラシード殿下なら、女性なんて選び放題なのに、どうして私なんかに…?
ラシード殿下の本心が分からない。
リスティーナは不安で一杯になり、無性にルーファスに会いたくなった。
そのため、結局、出発は午後になってしまった。
ルーファスは馬車に座るのも辛そうだった。
日にちを延ばしたほうがいいのではと思ったのだが、当のルーファスが頑なにそれを拒否した。
まるで一刻も早く王都から離れたい様子だったのでリスティーナはそれ以上、何も言うことはできず、予定通り出発することになった。
「ルーファス様…。あの、本当に大丈夫ですか?」
「ッ、あ、ああ…。へ、平、気だ…。」
リスティーナが話しかけても、熱で意識が朦朧としているのか答えるのも辛そうな様子だ。
本人は大丈夫と言っているが、全然大丈夫そうに見えない。
息は荒いし、顔は赤いし、汗も凄い。何より、とても苦しそう…。
答えるのもやっとといった様子だ。
リスティーナはハンカチでルーファスの汗を拭った。
馬車の中で人目もないので仮面を外し、顔の汗も拭う。
昨夜も寝れなかったのか目の下の隈が濃くなっている。
馬車の移動中、少しでも休めるように柔らかいクッションを用意した方がいいかもしれない。
そうだ。氷枕も用意して…。
リスティーナは馬車の外に出た。
スザンヌはリスティーナの荷物を後宮まで取りに行ったので戻ってくるにはもう少し時間がかかりそうだ。
ルカはどこにいるのかしら?辺りを見回しながら、ルカの姿を捜していると…、
「聞いたぞ。フィオナ。お前、また縁談を断ったんだってな。」
「どの縁談のこと?」
「マシャール国の第三王子の縁談だよ。一体、何が気に食わなかったんだ?マシャール国の第三王子って王子達の中で一番の美形だって評判じゃないか。」
「だって、あいつ軟弱で根性がなかったんだもの。私、弱い男には興味ないの。」
「お前より、強い男なんて俺か他の勇者位だぞ。…ああ。もしかして、これは遠回しに俺と結婚したいというお前なりのアピールか?」
「そんな訳ないでしょ。私、あなたみたいな浮気性の男は生理的に無理なの。あんまりふざけたこと言ってると、光魔法をぶっ放すわよ。」
「相変わらず、気が強いな。まあ、そこがいいんだが…。」
話し声が聞こえると思ったら、そこには光の聖女フィオナとラシードがいた。
リスティーナは思わずサッと生け垣に身を隠した。
ど、どうしよう!まさか、ラシード殿下がここにいるなんて…!
見つからないようにここを離れないと…。
リスティーナは物音を立てないようにそー、とその場を立ち去ろうとした。
が、運悪く地面に落ちていた小枝を踏んでしまい、パキッと音がした。
「ッ!?そこにいるのは、誰!?」
フィオナが鋭い声を上げる。一瞬で距離を詰められ、こちらを見下ろすフィオナと目が合った。
「…あなた…、昨日の…?」
フィオナの背中越しにラシードと目が合った。まずい…!リスティーナは頭の中で警鐘が鳴った。
「お、お話し中に申し訳ありませんでした!」
リスティーナはペコッと頭を下げると、そのままクルッと背を向けて走り出した。
頭の中で冷静な部分が勇者と聖女に対してちゃんと挨拶しないといけないとか、淑女たる者、足音を立てて走ったりしてはいけないとか考えるが今はとにかく、この場を離れたかった。そんな思いでリスティーナは全力疾走で逃げたつもりだったのだが…、
「よお。リスティーナ。こんな所で会えるなんて奇遇だな。」
「ヒッ…!?」
突然、ガッと肩を掴まれ、リスティーナはそれ以上前に進めなくなってしまった。
反射的に見上げれば至近距離にラシードの顔があった。
いつからそこにいたのかラシードはリスティーナの肩に手を回し、耳元で囁いた。
リスティーナは思わず悲鳴を上げた。
い、いつの間に!?気配も足音もしなかったのに…!
ううっ…!背中がぞわぞわする…!
おまけにがっちりと肩を掴まれているせいで身動きが取れない。
「ラシード殿下…!は、離して下さい…!」
「そんなつれない事言うなよ。昨日は熱い口づけまで交わした仲だっていうのに。」
「そ、それはあなたが無理矢理…!」
まるで同意の上での行為だったかのような言い方にリスティーナは思わずラシードを見上げて、反論した。
すると、ラシードは不敵な笑みを浮かべながら、顔を近づけてきた。
リスティーナは思わずバッと顔を背け、唇を守るように口を手で覆った。
無防備になった首筋にラシードは顔を埋めて、スーと嗅いだ。
「!!!!」
こ、この人、今、か、嗅い…!?
全身に鳥肌が走った。悲鳴を上げ、バタバタと暴れて、ラシードの腕から逃れようとするが、ビクともしない。
「な、何を…!止めて下さい!離して…!」
「…チッ、香水の匂いが強くて、分かりづらいな。」
ラシードが舌打ちをして、ボソッと何か呟いた。リスティーナはラシードが何を言ったのかよく聞き取れなかった。
「おい。リスティーナ。お前に確かめたいことがある。ちょっと俺に付き合え。」
「嫌です!お断りします!私、ルーファス様の所に戻らないといけないんです!」
リスティーナは半泣きの状態で首を横に振り、拒絶する。
「ちょっとラシード。」
フィオナが抗議するようにラシードに声を掛ける。
すると、ラシードはいきなりリスティーナから手を離し、素早く距離を取った。
その瞬間、白い何かがリスティーナの視界を覆った。
リスティーナは目を見開いた。
ガルルル!と唸り声を立てて、ラシードを威嚇する銀色の獣がリスティーナを守るように立ち塞がっている。一見、狼のように見えるが、普通の狼よりはるかに大きい。牛と同じ位の大きさだ。
「ッ、フェンリルか…。これは、珍しい。実物は初めて見たぞ。」
「なっ、何でフェンリルがここに!?」
上位精霊フェンリル!?
リスティーナは改めて銀色の獣を見つめる。
た、確かに…。子供の頃に読んだ精霊図鑑に載っていたフェンリルの絵とそっくりだ。
伝説級と名高いフェンリルが何故、ここに?
フェンリルはリスティーナを庇うようにザッと前足を出し、ラシードを鋭く睨みつける。
「待て。アスラン。」
その時、凛とした声がした。誰かがこちらに近付いてくる足音が聞こえる。
リスティーナは思わず顔を上げた。視界に入った人物の姿にリスティーナはあっ、と声を上げた。
「ジェレミア皇女殿下!?」
そこにいたのは、銀髪碧眼の男装の麗人、ジェレミアだった。
ジェレミアはニコッとリスティーナに微笑みかけると、フェンリルに命令した。
「下がれ。」
「ガル…。」
ジェレミアの命令にフェンリルは威嚇を止め、ラシードの前から下がるとジェレミアに鼻先を擦りつけた。ジェレミアはフェンリルの頭を優しく撫でると、フェンリルの姿はフッと掻き消えた。
そして、ジェレミアはラシードに視線を向け、紳士の礼を取った。
「失礼しました。ラシード殿下。この子は私の契約獣でして…。未熟な私はまだ精霊魔法を使いこなすことができず…。時々、こうして私の命令を聞かずに人の前に姿を現してしまう事があるのです。
ラシード殿下にこのような無礼を働いてしまい申し訳ありません。この子の契約者として代わりに謝罪します。」
「ジェレミアじゃないか。久しぶりだな。相変わらず、いい女だな。そういえば、お前は母親と同様に精霊魔法が得意だったな。上位精霊のフェンリルと契約するなんて大したものだ。」
どうやら、ラシードとジェレミアは顔見知りの間柄のようだ。
他国の交流や外交関係で顔を合わせることもあるのかもしれない。
ラシードの賛辞にもジェレミアは紳士然とした笑顔を崩さない。
「恐れ入ります。」
「それにしても、お前はまだそんな堅苦しい恰好をしているのか?それはそれでそそるものがあるが、お前も年頃の女なんだから、他の女みたいに綺麗なドレスを着て、着飾ったらどうだ。何なら、俺が見繕ってやろうか?」
ジェレミアにも気があるような素振りをするラシードの物言いには呆れてしまう。
さっきまで、聖女様にも口説き文句を口にしていたのに…。
「ご遠慮します。婚約者でも夫でもない異性から贈り物を頂くのはあらぬ誤解を招きますので。それに、わたしはドレスよりもこちらの方が落ち着くのです。ですから、お気遣いは無用です。わたしが好きでしていることなのですから。」
「勿体ないな。それほどの美貌なのに、着飾らずに無骨な男の服なんかで隠してしまうなんて。」
ラシードは心底、残念そうに溜息を吐いた。
もしかして、ジェレミア様…。私を助けるためにわざと…?
「しかし、驚いたぞ。いきなりフェンリルが目の前に現れるんだからな。咄嗟に反応できたからよかったものの…。俺じゃなかったら大怪我を負っていた所だったぞ。」
「申し訳ありません。ですが、さすがはラシード殿下です。怪我がないようで何よりです。」
「しかも、このフェンリル、俺を威嚇してきたからな。」
「何分、この子はまだ人見知りが激しいようでして…。」
ラシードの指摘にもジェレミアはさらり、と流した。
その切り返しは自然でわざと召喚獣をけしかけたようには思えない。
「どうぞ、寛大な心で見逃してくださいませんか?」
「さて…。どうしたものかな。俺はお前のことを気に入っているが、ただで許すというのはな…。そうだな。ジェレミア。この間、話した俺の提案を前向きに検討してくれるというのなら、考えてやってもいいが?」
提案?何だろう。その提案の内容をリスティーナは知らないが何だか嫌な予感がする。
不安に駆られるリスティーナだったが、ジェレミアは動揺した素振りも見せず、フッと口角を上げて笑い、
「これは驚きました。まさか、炎の勇者であり、パレフィエ国の王太子ともあろうものがたかが契約獣の粗相を咎め、そこに付け込んで対価を要求するとは…。ラシード殿下は器の大きな方だと思っていましたのに…。」
そう言って、ジェレミアは心底、残念そうに溜息を吐き、俯いた。
「ラシード。いい加減にしなさいよ。しつこい男は嫌われるわよ。一回振られてるんだから、諦めなさいよね。」
フィオナにもそう言われたラシードはフッと笑い、
「何、今のは冗談だ。いつも凛とした態度を崩さないお前の焦った顔が見たくて、つい、な…。」
「それを聞いて安心しました。そうですよね。まさか、勇者様ともあろうものが人の弱みに付け込んで脅迫するなんてそんな下劣で卑怯な真似をするはずがありませんよね。」
笑顔でさらり、と毒を吐くジェレミアにそんな事を言って大丈夫なのだろうかとリスティーナはヒヤリとしたが、ラシードは気分を害した様子もなく、愉快そうに笑った。
「お前のそういう自分の意見をはっきり言うところ、俺は好きだぜ。」
「光栄です。ちなみに、私はしつこい男と嫌がる女性に無理矢理迫る男は虫唾が走るほど、嫌いです。」
明らかにそれはラシード殿下を指している。
その言葉の裏に気付いているだろうにラシードは笑みを深めたままだ。
それにしても、さすがジェレミア様だ。あのラシード殿下を前にしても、全く臆することなく、堂々と意見して、凛とした態度を貫いている。
私もあんな風になれたら…。リスティーナは思わず尊敬の眼差しでジェレミアを見つめる。
「…もう、こんな時間か。」
その時、ラシードが懐から懐中時計を取り出し、そう呟いた。
そして、心底、名残惜しそうに溜息を吐くと、
「悪いが、俺はこれから商談相手と大事な取引があるから、そろそろ戻らないとな。残念だが、今日はここでお別れだ。」
「お気になさらず。どうぞ、王太子としての執務に励んでください。」
「これっぽっちも残念と思ってないから、さっさと行きなさいよ。」
言外に二度と来るな、と言うジェレミアとシッシッと犬でも払うような仕草でフィオナはラシードを邪険に扱う。
あのラシード殿下をこんな風にあしらうことができるなんて凄い。
私もこれ位素っ気なくすればラシード殿下に絡まれることもなくなるかな…?
い、いや!でも、そんな失礼な態度を取って、国際問題になったら困るし…!
そんな風に考えていたリスティーナにラシードは視線を向ける。
ラシードと目が合い、思わず、ビクッと肩が震える。
「じゃあ…、またな。リスティーナ。」
そう言って、意味深に笑うラシードにリスティーナはゾクッとした。
え…、何で今、私をわざわざ名前で呼んだの?
こ、怖い…!どうして、あんなに私に執着するの?
ルーファス様への嫌がらせ?ラシード殿下なら、女性なんて選び放題なのに、どうして私なんかに…?
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リスティーナは不安で一杯になり、無性にルーファスに会いたくなった。
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エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
夫を愛することはやめました。
杉本凪咲
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