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第三章 立志編

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「そういえば…、あの後は大丈夫でしたか?兄に叩かれた頬はまだ痛みますか?」



「あ…、」



そうだった。ラシード殿下との一件があったせいでその事を忘れていた。

そういえば、私、ハリト皇子に頬を叩かれて髪を引っ張られたのだった。



「大丈夫です。そこまで痛くなかったですし…、それに、こういうのは慣れていますので。」



「慣れてる…?」



「ッ!あ、いえ!違います!今のは…、その…、言い間違いで…。」



しまった。つい口が滑って…。普通、王族の姫が痛みや暴力に慣れている訳ないのに…。

リスティーナは慌てて誤魔化した。



「ほ、本当に大丈夫ですから。今はもう全然痛くないですし…。あの…、それより、ハリト皇子はあの後、大丈夫でしたか?」



ルーファス様に気絶させられたハリト皇子がどうなったかリスティーナは気になった。

ハリト皇子が目を覚まして、逆恨みでルーファス様に何かしてきたらどうしよう…。

相手は帝国の皇太子だ。権力を使ってルーファス様を糾弾してくる可能性だってある。

そうなったら…、ルーファス様が…。そう思っていると、



「ああ。兄上の事なら、ご心配なく。ルーファス殿下の伝言を伝えたら、それはもう真っ青になって、護衛の騎士を増やせだの、呪術師と魔術師を呼んで来い!と騒ぎ立てて、今は自室に閉じこもったきり、出てきませんから。」



あ…、そういえば、最後にルーファス様が呪いには気を付けろって伝言を残したんだった。

それを真に受けて、ハリト皇子は自分が呪われたかもしれないと思ったのだろう。

実際、ルーファス様の呪いは人に移るものじゃないし、ルーファス様が力を使わなければ、害があるものじゃないんだけど…。

だからといって、リスティーナはその事実をハリト皇子に親切に教えてあげようという気は起きなかった。これ以上、ハリト皇子には関わりたくないし、できれば二度と会いたくないという気持ちの方が強かった。



「これに懲りて兄上も今後は大人しくなればいいのですけどね。けど、兄上は昔から学習能力がないのでまた同じような問題を起こしそうです。」



ハア、とジェレミアは溜息を吐きながら、疲れたような表情を浮かべる。

その言葉と表情で何となく今までジェレミアの苦労が塚間見えた気がする。

自分のせいでもないのに兄の代わりにリスティーナに謝罪をしてくれる位だ。

きっと、今までもハリト皇子が問題を起こす度にその後始末に追われていたのだろう。

何となく、そんな気がする。ハリト皇子って、仕事はできるのによく女性関係の問題を起こすって有名だし…。



リスティーナはジェレミアがどんな人なのかこの短いやり取りで少しだけ分かった気がした。

きっと、この人はとても真面目で責任感がある人なのだろう。

皇太子のハリト皇子よりもジェレミア皇女殿下の方がよっぽど皇族らしい。



「あの…、皇女殿下。その…、大丈夫ですか?私も、少しお手伝いを…、」



謝罪の事で気を取られてしまい、すっかり忘れていた。

リスティーナはジェレミアばかりにルーファスを背負わせているのが申し訳なくなり、思わず手を伸ばした。



「大丈夫ですよ。言ったでしょう?私、こう見えて結構、力持ちなんです。昔から、剣の鍛錬に励んでいたので並の騎士よりも体力があるんですよ。」



「え…。皇女殿下は剣の心得もあるのですか?」



「ええ。まあ、あくまでも趣味の範囲ですけどね。あんまり、皇女らしい趣味とは言えませんが…。」



「そ、そんな事ありません!女性で剣が握れるなんて凄いです!」



何だか、アーリヤ様みたいだ。アーリヤ様も王女でありながら、剣の心得がある。

凄いなあ…。メイネシアでは女性が剣を握ったりするだけではしたないと言われ、非難される傾向がある。でも、世界は広い。女性の身でも少ないがちゃんと剣術を嗜んでいる人はいる。

歴史を見れば、それがよく分かる。過去には、女騎士や女戦士として身を立てた人だっているし、自ら軍隊を率いて、指揮をとった勇敢な女性の指揮官もいるのだから。

かっこいい…!リスティーナは純粋にそう思った。



「…ありがとうございます。」



ジェレミアは一瞬、目を瞠ったが、その後は照れくさそうに目を伏せた。

その時、曲がり角を曲がった所で、数人の貴族令嬢達がいた。貴族令嬢達はリスティーナ…、ではなく、ジェレミアを見て、きゃあ!と黄色い声を上げ、頬を赤く染めた。

そして、お互いに扇で口元を覆いながら、ヒソヒソと小声で囁き合った。素敵…。と呟く声が聞こえる。ジェレミアは貴族令嬢達の視線に気付いているのかいないのかそのまま特に反応も示さずにスタスタと歩き続ける。

すると、一人の令嬢がジェレミアに近付き、話しかけようとした。



「あ、あの…、」



恥ずかしそうに、でも、期待と興奮が隠し切れない表情でジェレミアに話しかけてきた美しい令嬢。

が、ジェレミアの背中に背負われたルーファスに気が付くと、令嬢の表情は凍り付いた。

薄暗い廊下だったのでルーファス殿下に気付かなかったのだろう。近付いたことでそれがルーファス殿下だと気づくと、令嬢は見る見るうちに顔を青褪め、



「ヒッ…!?ルーファス殿下…!?い、いやああ!」



そう言って、手にしていた扇を落とし、バタバタと足音を立てて、一目散に逃げだした。他の令嬢達もその声に慌てふためき、真っ青になって逃げていく。まるで化け物にでも遭遇したかのような反応だった。



「なっ…、」



あんまりな態度にリスティーナは唖然とする。



「何ですか?あれは。自国の王族に対して、あのような無礼な態度を取るなんて…。」



ジェレミアも呆れたように呟いた。その時、リスティーナは気が付いた。

そういえば、この方はルーファス様を相手にしても、悲鳴を上げることも蔑む目を向けることもなく、礼を欠くこともしなかった。

ルーファス様をローゼンハイムの王族として敬い、丁寧な態度と口調を貫いていた。

その上、ルーファス様を運ぶのを手伝ってくれている。



そうだ…。周囲の人達は噂を鵜呑みにして、ルーファス様に触れるだけで呪いが移ると思い込んでいる。

ハリト皇子だって、そうだった。でも…、この人は違う。

リスティーナはルーファス様の噂が嘘だと知っているし、触れても呪いは移らないことも知っている。

だから、ルーファス様の呪いが怖いとは思わない。でも、他の人達は違う。

あの令嬢達の反応を見るまで、その事実を忘れていた。

ジェレミア皇女殿下が何も言わないし、普通に接てしてくれていたから、気付かなかった。

リスティーナは思わずジェレミアを見つめた。



「あの…、皇女殿下はその…、ルーファス様が怖くは…、ないのですか?」



「怖い?いえ。別に…。確かにルーファス殿下は色々と黒い噂がありますがそのほとんどが根も葉もない噂ですし…。

そもそも、ルーファス殿下の呪いは病気や感染症とは違って、触れたからといって他人に移るものではないですから、別にあそこまで怖がることはないと思うのですが…。」



「え、ええ!その通りです。ルーファス様の呪いは皆が噂する程、怖いものではないんです。それに、私はルーファス様に何度も触れていますけど、呪いが移ったことはありませんし…。」



「やはり、そうでしたか。おかしいと思ったのですよ。本当に触れただけで移る呪いなら、同じような症状を持った人間が他にもいる筈です。だけど、実際は誰一人として、ルーファス殿下と同じ症状を持った人はいない。それだけで信憑性がないと気づきそうなものですけどね。

殿下に関わると呪い殺されるという噂もありますけど、あれも本当は殿下を殺そうとした人達が返り討ちにあっただけの話ですし…。」



「よ、よくご存じですね…。」



リスティーナは驚いた。

他国の人間の皇女殿下がどうしてそこまで詳しいのだろうか。



「ああ。前にルーファス殿下について調べたことがあったので…。」



「…調べた?」



「私は昔から、噂は信用しないんです。母がよく言っていたんです。噂に踊らされず、本質を見極める力をつけなさい、と…。だから、ルーファス殿下の噂を聞いた時はすぐに調べたんです。本当に噂通りの人物なのかなと…。」



リスティーナは驚いた。

お母様も同じことを言っていた。何だか、ジェレミア皇女殿下のお母様って私のお母様に似ている…。



「本当に噂や思い込みとは恐ろしいものです。ちょっと調べればすぐに分かる事なのに、皆が噂に踊らされて、それを真実だと信じているのですから。」



「そ、そうなんです!ルーファス様は噂とは全然違うんです!」



リスティーナは思わず声を上げて強く頷いた。

そんなリスティーナにジェレミアは意外そうに呟いた。



「ルーファス殿下とリスティーナ様は政略結婚だと聞いていましたが…、お互い想い合っている仲なんですね。」



「えっ…?そ、そうでしょうか…。私はそうでも…、ルーファス様は…、」



リスティーナは思わず自信なさげに俯いた。ルーファス様の気持ちを疑いたくはない。

あの時、ラシード殿下に私を渡さないって言ってくれたルーファス様の言葉を信じたい。

でも…、やっぱりリスティーナは自信が持てなかった。自分がルーファス様に好かれるという自信がない。



「ルーファス殿下はきっと、あなたのことを大切に想っています。見ていれば分かりますよ。滅多に人前に出ないといわれている殿下が自ら足を運んであなたを助けたのです。もっと、自信を持って下さい。あなたはご自分が思っている以上に魅力的な方なんですから。」



ジェレミアはそう言って、柔らかい笑みを湛える。

その笑みにリスティーナは胸にじんわりと温かいものが染み渡った気がした。



「皇女殿下…。ありがとうございます。」



ジェレミアの気遣いの言葉にリスティーナも微笑み返した。

不思議な人…。ジェレミア皇女殿下にそう言われると、何だか安心する。

リスティーナはジェレミアと一緒にいる空間が心地よい物に感じた。

ジェレミアのお蔭でリスティーナは無事にルーファスを王宮の別館に連れてくることができた。
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