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第三章 立志編

炎の勇者

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「うっ…!」

ルーファスはゴホッ!ゴホッ!と咳き込んだ。
突き刺すような痛みが心臓に走る。
全身の血が沸騰したかのように身体が熱い。息が切れて、上手く呼吸ができない。
手や足に痺れもでてきた。上手く立って歩くこともできず、ベッドから出ることすらままならない。
少し動くだけで眩暈がする。気持ち悪い…。食べても戻してしまう為、何かを口に入れる気にもなれなかった。今は点滴で何とか栄養を補強している状態だった。
リスティーナから貰ったハンカチを握りしめ、何とかその苦しみに耐えようとする。
すると、どこからか声が聞こえてきた。

「え、それ本当?招待客の中に帝国の第五皇子、ハリト様がいるって…、」

「何でよりによって、ハリト皇子が?」

「さあ…?」

「最悪…。できるだけ、関わり合いにならないように気を付けないと…。万が一、ハリト皇子に見初められたら、無理矢理妾にされるかもしれないし…!」

廊下にいる侍女達の話し声が聞こえる。
ハリト皇子。確か、そいつは前にリスティーナを…、
ルーファスはゆっくりと起き上がった。
ベッドから降りようとするが点滴が邪魔になり、腕が引っ張られる。
ルーファスは点滴の針を抜き、ベッドから降りた。手早く着替えを済ませると、そのまま、おぼつかない足取りで部屋を出て行った。




結局、リスティーナは人の視線を避けるようにして壁の花となっていた。
冷たい視線が突き刺さり、居心地の悪さを感じる。…早く聖女様、お見えにならないかな。
リスティーナは早くも自分の部屋に帰りたくなった。
果実酒が入ったグラスを持ち、チビチビと口につける。

「あら。リスティーナ様じゃないの。」

名を呼ばれ、ふと顔を上げれば、そこには黒と金のドレスを身に纏った褐色の美女がいた。
アーリヤだ。

「アーリヤ様!?」

リスティーナは驚いて、声を上げた。

「久しぶりね。」

アーリヤはにこやかに笑い、リスティーナに話しかける。リスティーナは慌てて挨拶を返した。

「お久しぶりでございます。アーリヤ様。…アーリヤ様も来ていらしたのですね。」

「ええ。まあね。今日の夜会にはお兄様も来られるから。」

そうだった。祝賀会には炎の勇者、ラシード殿下も招かれている。アーリヤ様にとっては、実の兄。
参加しない訳がない。
アーリヤは不意に声を潜めて、リスティーナの耳元に囁いた。

「それより…、風の噂で聞いたのだけど、色々と大変だったみたいね。無事で良かったわ。あなたが倒れたと聞いた時はすごく心配したのよ。」

「あ…、ありがとうございます。アーリヤ様。」

「本当はお見舞いにも行きたかったんだけど…。殿下からあなたには近づくなってきつく注意されていたから…。」

アーリヤが落ち込んだような表情を浮かべ、悲しそうにそう言った。

「アーリヤ様…。すみません。殿下も何か考えがあってそう言っているだけだと思うのです。殿下は一見、言葉が冷たく感じますけど、決してアーリヤ様を故意的に傷つけるつもりはなくて…、」

ルーファス様は今まで他人に傷つけられた為、あまり他人に心を許さず、人間不信な一面がある。
でも、それも当然だ。ずっと命を狙われ続け、殺伐とした環境に身を置いていたのだから。
だから、人一倍、警戒心が強い。でも、本当は誰よりも優しい。それを分かって欲しくて、リスティーナはアーリヤに訴えた。
そんなリスティーナにアーリヤは目を細めた。

「リスティーナ様は随分と殿下を信用してらっしゃるのね。それに、心なしか前よりも幸せそう。何かいい事でもあったのかしら?」

「あ…、ええと…、それは…、」

リスティーナはルーファスと相思相愛になったことを思い出し、ポッと頬を染めた。慌てて顔を俯いた。

「そ、そういえば!今日の夜会はアーリヤ様のお兄様がいらっしゃっているんですよね?」

リスティーナはそう言って、話題を変えた。さすがにルーファス様とのことは恥ずかしくてここでは話せなかった。

「ええ。そうよ。…あら、もしかして、リスティーナ様もお兄様に興味があるの?」

「あ、ええと…、そ、そういう訳では…、」

ただ話題を変える為に上げただけだとは言えず、リスティーナは押し黙った。
全く興味がないどころか、苦手ですだなんてさすがにアーリヤ様の前では言えない。

「そういえば、リスティーナ様ってお兄様と会ったことはないの?確か数年前に外交の関係でお兄様がメイネシアに滞在していた時期があったらしいけど…、」

「あ…、実は…、私、その時、体調を崩してまして…、ラシード殿下にお会いすることができなかったのです。」

「そうなの…。王宮で会う事もなかったのかしら?」

「…ずっと、部屋に閉じこもっていましたので…。」

リスティーナはそう言って、誤魔化した。王宮ではなく、離宮にいたからラシード殿下に会う事もなかったなんて言える訳ない。メイネシアの醜聞を他国の王族のアーリヤ様に聞かせられる訳がない。
アーリヤはそう、と言って、それ以上は追及しなかった。アーリヤは扇越しにニコッと好意的な笑みを浮かべると、

「ねえ…、リスティーナ様。もし、良ければ…、あなたの事を呼び捨てで呼んでもいい?私の事もアーリヤって呼んでくれて構わないから。」

「え!?で、ですが…、」

「駄目、かしら?私、この国に来てから、心を許せるお友達がいなくて…、正直ね。あなたに近付いたのもあなたといいお友達になりたいなと思ったからなの。私にそう思われるのは迷惑かしら?」

ジッとハシバミ色の目が不安そうに揺れ、うるうると涙目になっている。
王族らしい気品と堂々とした佇まい、自信に満ちたオーラを纏ったアーリヤ様がこんな表情をなさるなんんて…。リスティーナは同性なのに、胸がキュン、とした。
アーリヤ様にここまで言われたら、断れるわけない。王族の方は華やかに見えるけど、その反面、孤独も抱えているのかもしれない。リスティーナはゆっくりと頷いた。

「わ、私でよければ…、」

「まあ!嬉しい!ありがとう!リスティーナ!」

アーリヤはぱあ、と顔を輝かせ、リスティーナに抱き着いた。

「え!?あ、アーリヤ様!?」

「あら、ごめんなさい。私ったらつい…。」

ギョッとして、顔を赤くするリスティーナにアーリヤはすぐに身体を離した。

「私ったら、パレフィエ国にいた時の癖が抜けなくて…、私の国ではこれが挨拶みたいなものだったから。」

「そ、そうなんですね。大丈夫です。ちょっと、びっくりしただけですので…。」

国の文化や価値観、風習が違うのは仕方がない。リスティーナはそう納得した。
アーリヤがクスッと微笑んだ。背筋がゾクッとした。…?何?今の…?今、一瞬だけ悪寒が走ったような…。
リスティーナがそう戸惑っていると、

「ねえ、リスティーナ。良かったら、あなたのことお兄様に紹介したいわ。私の友達として。」

「え…。」

ラシード殿下に!?幾らアーリヤ様の兄とはいえ、相手は勇者…。できれば、関わりたくない。
もし、失態を犯したらと思うと…。リスティーナはギュッと手を握り締めた。
それに、勇者様に関われば周りの女性達にどんな目に遭わされるか…。
社交界で女性達に人気のある男性に近付けば、どんな目に遭わされるかは想像がつく。
例え、こちらから近づいていなかったとしても、だ。あの人達は容赦がない。嫉妬に狂った女性達は何をするか分からないのだから…。

「あ、あの…、私…、」

何とか断ろうとするリスティーナだったが…、不意にきゃあ!と黄色い声を上げる女性達の声に掻き消されてしまった。

「あら、噂をすれば…、お兄様がいらっしゃったみたいね。」

アーリヤの言葉にリスティーナは思わずアーリヤの視線の先を見つめる。
そこには、アーリヤ様と同じ深紅の髪にハシバミ色の目、褐色の肌をした男性がいた。

「!」

リスティーナはその男性を見て、目を見開いた。
背が高く、がっしりとした体格、彫りが深く、精悍な容姿…。
タイプは違うが、エルヴィン殿下やヴィルフリート殿下と並ぶ程の美形だ。
令嬢や貴婦人はうっとりと見惚れている。
が、リスティーナはみるみるうちに顔色を悪くした。あの人…!北の森で出会った男の人だ!
リスティーナは一目見て、すぐに気づいた。あの時は、旅装束の格好をしていたけれど、今は夜会用の赤い正装服を着ている。その風格は王族らしい威厳に満ち溢れていて、堂々としている。
服装や雰囲気は変わっていても、あのハシバミ色の目を見ればすぐに同一人物だと分かる。
獰猛な鷹のような鋭い眼差し…。あの目は一度見たら、忘れられない。
リスティーナはダラダラと冷や汗を流した。
ど、どうしよう!まさか、あの方がラシード殿下だったなんて…!
と、とにかく隠れないと…!リスティーナは慌てて目を伏せ、ラシード殿下に気付かれないようにそー、とその場を立ち去ろうとしたが…、

「さあ、リスティーナ。こっちへ。お兄様を紹介するわ。」

「ええ!?ちょ、ま、待って下さい!」

しかし、逃亡はあえなく失敗した。アーリヤはリスティーナの手首を掴むと、そのままリスティーナを引っ張るようにして、ラシードの元へ上機嫌に向かった。
リスティーナは必死に抵抗するが、アーリヤは女性なのに意外と力が強く、振り解けない。
しかも、アーリヤとリスティーナでは身長差があり、圧倒的にリスティーナが不利だった。
そのまま抵抗空しく、リスティーナはラシードの元へと連れて行かれてしまう。

「お兄様。」

「アーリヤじゃないか。久しぶりだな。」

女性に囲まれていたラシードだったが、アーリヤが近付くと、女性達は自然と道を空けていく。
アーリヤはすんなりとラシードの前に辿り着いた。リスティーナはせめてもの抵抗といわんばかりにできるだけ下を向いていた。
ま、まずい…!こ、このままだとあの時、北の森で会ったのが私だとバレる…!
後宮にいる側室が王宮の外にいたなんて知られたら大問題だ。
私が罰せられるのはいい。でも、私のせいでルーファス様が罰せられたらどうしよう…!
リスティーナはカタカタと身体が震え、頭が混乱した。

「ん?その隣にいる女は誰だ?」

「紹介するわ。お兄様。彼女は私と同じルーファス殿下の側室で私のお友達よ。彼女も私と同じ一国の姫君なの。メイネシア国の第四王女、リスティーナ様よ。」

アーリヤはリスティーナの腕を組み、親し気な雰囲気を醸し出した。周囲の女性達は一斉にリスティーナを睨みつける。

「あの女…!アーリヤ様に取り入るだなんて小賢しい真似を…!」

「何て意地汚い女なの!これだから、下賤な血を引く女は…!」

「王族の側室でありながら、他の男に色目を使うだなんて…!」

し、視線が痛い…!リスティーナは否定したかった。ものすごく否定したかった。
こんな状況、望んでもないし、取り入ったつもりもない!と。…言った所で逆効果なのは分かっているけど。リスティーナはもう今すぐこの場から逃げ出したくなった。でも、できない。
アーリヤに紹介された以上、リスティーナは挨拶をするしかない。リスティーナは覚悟を決めて、最上級のカーテシーをした。

「…お目にかかれて、光栄です。炎の勇者であり、パレフィエ国の王太子殿下。ご紹介に預かりました。ルーファス殿下の側室のリスティーナと申します。王太子殿下の妹君、アーリヤ様には日頃からお世話になって…、」

リスティーナは長々と形式的な挨拶を終えて、目を伏せたまま面を上げない。これが目上の人間に対する敬意だ。…失敗は許されない。礼を失さないようにしないと…。

「顔を上げろ。」

許しが出たのでリスティーナはゆっくりと顔を上げた。鷹のような鋭い目と視線が合った。
思わず、ビクッとする。震えそうになる手を何とか堪える。ラシードはジッとリスティーナを見下ろす。
彼の目は何を考えているのか真意が読めない。だからこそ、怖い。リスティーナは怯えながらも目を逸らすことはしなかった。すると、ラシードはフッと口角を上げ、笑った。

「へえ。あんたがリスティーナ姫か。初めまして。俺はラシード・ド・パレフィエ。会えて嬉しいぞ。妹と仲良くしてくれて兄として、礼を言いたいと思ってたんだ。…アーリヤと仲良くしてくれて感謝する。これからも、仲良くしてやってくれ。」

「は、はい!勿論でございます!」

き、気付いていない…?
リスティーナはラシードの初対面の人を対応したかのような反応にホッとした。
な、何だ。そっか…。よく考えれば、私はあの時、汚れて、ボロボロの格好をしていたし、同一人物だと気づかなかったんだ。
それに、私とラシード殿下はたった一度会ったばかりだ。
きっと、私の顔なんて、覚えていなかったのね。
今の私はドレスを着てるし、あの時のみすぼらしい姿とは別人だし‥。
良かった!なんとか気付かれずにすみそう。
リスティーナは内心、胸を撫で下ろした。
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