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第二章 相思相愛編

ジーナの事情

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「…つまり、リスティーナはあの奴隷の素顔を見ても、変わりなかったということじゃな?」

「はい…。」

「馬鹿な…!あんな醜く、薄汚い奴隷を目にしておきながら、何故平然としていられるのじゃ…!」

ギリッ、と扇を強く握り締め、王妃は苛立たし気に爪を噛んだ。
王妃は目論見が外れて、苛々した。ルーファスの護衛騎士であるあのロイドという男の存在は王妃も知っていた。
ルーファスは奇病の女を侍女として雇ったり、醜い火傷を負った奴隷出身の男を護衛として雇っていた。それを聞いた時、王妃は何と汚らわしいと嫌悪した。そして、そんな不浄の存在を身近に置くルーファスの神経を疑った。
だが、あの元奴隷を使えばリスティーナをルーファスから引き離せると思った。それなのに…!
そういえば、あの女はルーファスと一緒にいても怯えることなく、むしろ嬉しそうに接していると聞いている。おまけにあの二人は閨を何度も共にしているとも。

「ルーファスはあの側室の出した物なら口にするというのは間違いないのじゃな?」

「は、はい…。」

「では、何故、ルーファスは未だに平気なのじゃ?あの茶葉を口にしたのならば、そろそろ変化があってもいい筈…。」

王妃はキッ、とこちらを睨みつけ、

「本当にあの側室はルーファスに茶葉を飲ませたのじゃな?」

「…はい。リスティーナ様が殿下にお茶を淹れているのを見ましたので…、ッ!?」

王妃の前に膝をついた侍女はそう口にするが、王妃は突然、扇を投げつけた。
扇の固い部分が当たったのか額が少し赤くなり、痛みに顔を歪めて額を押さえる侍女に王妃は眦を吊り上げた。

「嘘を申すな!あの側室がわらわの命令に背いているのはとっくに知っておる!」

王妃の言葉に扇を投げつけられた侍女はサッと顔を青褪めた。
そして、すぐに床に手をついて、額を擦りつけるようにして跪いた。

「お、お許しください…!知らなかったのです!リスティーナ様が殿下にお茶を淹れていたので私はてっきり…!」

「言い訳は聞きとうない!サリー。」

そう言って、王妃は背後の侍女に目配せした。王妃の腹心の侍女はサッと動いた。

「グッ…!」

王妃の侍女達に無理矢理押さえつけられ、女は呻いた。
侍女の一人が鞭を取り出した。

「ッ…!い、嫌!ゆ、許して!許して下さい!王妃様!も、もう嘘は吐きません!お願いです…!」

女の懇願も空しく、鞭が容赦なく振り下ろされた。



「ッ…、い、痛ッ…!」

ズキズキと痛む身体を引きずりながら、黒髪の女は廊下を歩いていた。途中、足元がふらつき、壁に身体をぶつけてしまう。鞭で打たれた傷に強い痛みが走り、思わず顔を歪めた。
いつも一つに纏められた髪は乱れ、服装も乱れている。後宮の侍女としてはあまりにもみっともない姿だった。だが、心も体も痛めつけられた彼女は自分の格好を気に留める余裕はなかった。
はあはあ、と息が上がり、汗を滲ませる黒髪の侍女は…、ジーナだった。

顔は傷つけられなかったが背中には鞭の跡が残されていた。そして、手も酷い傷を負った。
ジーナが自分の手を見つめれば、その手は赤く腫れあがり、血が出ていた。
鞭で打たれたせいで皮膚が裂けてしまっている。
ジーナはポロッと一筋の涙が流れた。

「私…、何をしているんだろう…。」

ジーナは元々、王妃に仕えていた侍女の一人だった。
ジーナの家は貴族の出で代々、王妃や皇帝、王族に仕える一族だった。
それを誇りに思っている両親はジーナを将来、王妃に仕える侍女として厳しく教育した。
ジーナは両親の期待に応えられるように行儀作法やマナーを熱心に学び、侍女としての心得を身に着けた。その努力の甲斐あって、王妃の侍女に選ばれた。

ジーナは王妃の侍女の中では最年少だったが、侍女としての仕事を完璧に果たした。
王妃は気位が高く、癇癪持ちであったため、侍女として仕えるのは大変だったがそれでもやり甲斐があった。何より、両親の期待に応えたい一心だった。
ジーナが王妃の侍女になった時、両親はとても喜んでいた。
王妃の侍女になれば箔がつくし、良縁に恵まれるからだ。だから、ジーナは家の為、両親の為に頑張った。それが自分の役目だと思っていた。

しかし、ある出来事がきっかけでその日常は崩された。
偶然、王妃の侍女の一人が王妃の宝石を盗んでいる所を見てしまい、ジーナはそれを咎め、注意した。
だが、それがきっかけでその侍女にジーナは目を付けられた。その侍女は王妃の腹心の侍女でもあるサリーに気に入られていたのでそのサリーにジーナの悪口を吹き込んだ。
元々、ジーナが王妃の侍女の中で最年少だったことを面白く思っていなかったのもあり、あの一件で不満と身勝手な逆恨みが爆発したのかジーナは他の侍女達から陰湿な虐めに遭った。

わざと情報を伝達しない、仕事を押し付ける、自分のミスをジーナに被せる。それだけなら、まだいい。時には食事に異物を混入したり、靴に剃刀が入っていたり、お仕着せの服を切り裂かれたりと、虐めはエスカレートしていった。
ジーナは両親に相談したがまともに取り合ってくれなかった。
それどころか要領よくできないジーナを叱りつける始末だった。
肉体的にも精神的にも追い詰められたジーナはある時、侍女の一人に濡れ衣を着せられてしまった。
皆、こぞってその侍女に味方し、嘘の証言をした。サリーと虐めの首謀者であるあの侍女は窮地に立たされたジーナを見て、笑っていた。
結局、ジーナは王妃付きの侍女から外され、漆黒の後宮に移動させられた。ジーナは嵌められたのだ。
そして、これは事実上の左遷だった。

悔しかった。悲しかった。どうして、自分がこんな目に…、とひたすら泣いた。
しかも、よりにもよってあのルーファス王子の後宮の侍女になるなんて…。
漆黒の後宮の侍女になんか誰もなりたがらない。当たり前だ。ルーファス王子と関わり合いになんか誰だってなりたくない。彼の侍女や使用人、騎士というだけで呪われて、殺された人が何人もいるのだから。
ジーナは怖くて、堪らなかった。自分も呪われたらどうしよう。
それよりも、一番辛かったのは両親から言われた冷たい言葉と態度だった。
両親はジーナを慰めるどころか口汚く罵った。
役立たずだの、何の為に金を掛けたと思っている!等と罵倒された。
王妃の侍女から外されるなんて、この恥晒しめ!と言った両親の言葉は今でも忘れられない。
ジーナはその時に理解した。ああ。そうか…。私は所詮、この人達の操り人形でしかなかったのだと。

ジーナに厳しい教育をしたのは愛情ではなく、自分達が贅沢をする為。
だから、王妃の侍女になった時も喜んでだのだ。
あの時はジーナの幸せを両親が願ってくれていたのだと思っていたけど、違ったのだ。
両親はただ、自分達の幸せしか考えていなかった。だから、ジーナが虐めに遭っていると相談しても、我慢しろと言ったのだ。今だってジーナの事なんか心配せず、家の名に傷がついたのだの、評判ばかり気にしている。これが私の両親の本当の姿…。ジーナは失望した。

私の努力は一体何だったのだろう?
こんな人達の為に今まで私は必死に努力をしてきたのか。
今まで築き上げていたものが脆く、崩れ去っていく。
ジーナはあれから、実家にはほとんど顔を出していない。
新しい職場にも馴染めず、ただ淡々と仕事をこなす日々…。張り合いもなく、やり甲斐もない。
同僚であるセリーと後輩のミラは一緒に仕事をすることが多く、自然と一緒にいることも増えた。
王妃の侍女をしていた時とは違い、人間関係は悪くなかった。
明るく、要領がいいセリーとドジで抜けているけどどこか憎めない性格のミラといるのはそれなりに楽しいと思えるようになった。

ジーナは仕える主人の運が悪いのか碌な女主人に恵まれなかったが幸い、同僚には恵まれていた。
ここに配属されてから、亡国の王女と魔力が高い男爵令嬢の二人の側室に仕えたが二人共、横暴な人達だった。
ルーファスに嫁がされたことがよっぽど嫌だったのか侍女に当たり散らす日々。気持ちは分かるがあんなにもヒステリックに喚き散らかされると、同情する気も失せた。
できるだけ、関わらないでおこうと思い、事務的な対応を取り、機嫌が悪い時は近づかないでいた。
ダニエラ様が不貞をしても、見て見ぬ振りをし、侍女達が不正をしていても咎めることはしなかった。
以前のような正義感と侍女として誇りを持った自分なら、止めていたのかもしれない。
でも、今のジーナは昔の自分とは違う。そんな事しても、自分の首を絞める行為だということに気付いたからだ。自分の身を守るためにもジーナは日和見主義を貫いた。それが一番安全な方法だった。

二人の側室が死んでも、ジーナは特に何も思わなかった。
ただ、自分が呪われなかったことにホッとした。また、新しい側室が来ると聞いても、「ふーん。そう。」と思っただけだ。
その側室が小国の王女だと聞いて、げんなりした。また、気位の高い王女が来るのかと…。

だけど…、リスティーナ様は一国の王女とは思えない位に慎ましやかで優しい方だった。
最初は演技かと思っていた。でも、仕えていく内にリスティーナ様のそれは演技ではないのだと気が付いた。セリーとミラもすっかり絆されて、リスティーナを慕っている。
そして、ジーナも…、例外ではなかった。

「ジーナ。良かったらこれ…、」

ある時、リスティーナがジーナに軟膏を渡した。
これは…?と訊ねると、リスティーナは微笑みながら、

「手に塗る薬用のクリームよ。あかぎれや乾燥によく効くから良かったら、使って。」

と言われ、驚いた。今まで仕える主人から物を貰った事等一度もなかった。
しかも、リスティーナ様はジーナの手が荒れていることに気付いていたのだ。
使用人何て、置物か世話をしてくれる人形位にしか思われていないのに…。
ジーナは胸に何かがこみ上げるような感情を味わった。

「お、お気持ちは嬉しいのですが…、私のような侍女にリスティーナ様が使っている物を頂くなどあまりにも恐れ多くて…、」

王族の妃であるリスティーナ様が使っている物ならば当然、高価な物だろう。そう言って、断ろうとするジーナだったが、

「そんな事気にしないで。実は、これ私が作った薬用クリームなの。だから、全然高価な物じゃないのよ。」

「はい!?」

作った!?ジーナは思わず、まじまじと受け取ったクリームを見つめる。どこからどう見ても、店に売っている高級な物に見える。おまけにいい香りがする。嗅ぐと、アプリコットの匂いがした。

「スザンヌもよく手が荒れるから時々、私が作ったクリームをあげているのよ。ミラとセリーにもあげたから、ジーナも良かったら使って。」

「あ、ありがとうございます…。」

ジーナはリスティーナの気遣いに感謝し、深々と頭を下げた。
ジーナはリスティーナ様の侍女になれて良かったと思った。これからも、この方の侍女として仕えたい。そう思っていると、突然、王妃に呼び出された。
そして、ジーナはリスティーナの監視をするように命令を下された。
ジーナはその命令をやんわりと断った。
が、命令を断ったジーナに王妃は侍女の癖に生意気な!と激怒し、ジーナを鞭で打った。
あまりの痛みにジーナは耐えきれず、王妃の命令に従うしかなかった。

王妃様は恐ろしい方だ。あの方は美しいがその心は氷のように冷たい。
逆らったら、私は殺されてしまうかもしれない。そんな恐怖を抱いた。
だから、言われるがままに行動した。
あのロイドという騎士が来た時に兜を外すように誘導したのも王妃にそう命令されたからだ。
でも、あの後にジーナは猛烈に後悔した。

そして、私はもしかしたら、とんでもない事に加担してしまっているのかもしれないと。
王妃がもし、リスティーナ様が命令に背いてあの茶葉をルーファス王子に飲ませていないと知ったら、リスティーナ様が酷い目に遭わせられるかもしれないと思い、咄嗟に嘘を吐いた。
が、その嘘もあっけなくバレて、ジーナは王妃の侍女達に痛めつけられてしまった。

ジーナは怖くなった。王妃様は何を考えているのだろうか?あの茶葉には何が入っているの?
そして、嘘がバレたことでリスティーナ様を王妃様はどうするつもりなのだろう?
見えない不安と恐怖に身体が震えた。
リスティーナ様の事は好きだ。仕える主人としても、人としても、尊敬している。
でも…、リスティーナ様を庇ったら、今度は私が殺されてしまうかもしれない。
そう思うと、ジーナは怖くて動けなかった。
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