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第一章 出会い編

自覚

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「は、母上…。」

ルーファスは母におずおずと話しかける。が、母はルーファスを見ると、眉を顰め、冷たい目でこちらを見下ろした。まるで汚い物を見るかのような表情…。それでも、ルーファスは母に縋りついた。

「触るでない!」

母に伸ばした手はバシッと扇で振り払われる。

「何故、お前のような醜い子がわらわの子なのだ!お前のような化け物が黄金の薔薇姫と呼ばれたわらわの子である筈がない!」

憎悪に満ちた表情で見下ろす母にまだ幼かったルーファスは絶望した。
父もルーファスを見る目は冷たく、自分を疎ましく思っているのはよく分かっていた。
王家の恥さらしであるルーファスは邪魔者でしかなく、さっさと死んでくれとでもいいたげな目を向けられた。

実の両親にすら、そんな風に疎まれているのだ。周囲の人間も似た反応だった。
皇帝にも王妃にも嫌われた王子を貴族達が相手にする筈がなかった。
呪いに侵される前はあれだけ自分を慕ってくれた婚約者も今ではよそよそしく、あからさまにルーファスを避けるようになった。
ルーファス殿下こそが次の皇帝にふさわしいと口にしていた連中もルーファスが呪いにかかると一切、近づかなくなった。
幼い頃から仕えてくれた爺や使用人達だけがルーファスの心の支えだった。
何故、自分はこの世に生まれてきたのだろうか。そんな疑問を胸に抱く。

どうせ、生きていた所で何の意味もない。いずれ、自分は呪いで死ぬ運命だ。なら、もういっそのこと終わらせてしまおう。そんな思いで裏庭の池の前に佇んだ。
そのまま飛び込もうとした時、ズボンの裾が引っ張られた感触がした。
反射的に足元を見下ろせばそこにはルーファスの足元にしがみつく幼子の姿があった。
ふわふわの茶色い髪をした男の子がルーファスを見上げ、にぱっと笑った。

「だ!だ!」

ルーファスに向かって手を伸ばす男の子。
舌足らずな口調で愛らしく笑う子供は純粋で無垢で…、どこまでも眩しかった。
孤独でいた自分に唯一の安らぎを与えてくれた存在。自分と違い、母親の愛情を受け、愛される存在だった。

日陰者のルーファスと違って、お日様の光が似合う子だった。キャッキャッと愛らしく笑うその笑顔は裏がなく、無邪気な子供そのものだった。
ルーファスを見れば、ニコッと笑い、おぼつかない足取りでよたよたと駆け寄り、手を伸ばして抱き着いてきた。
その眼差し。向けられる笑顔。ルーファスを慕って求める声が…、心から嬉しかった。
物陰からそっとあの子の笑顔を見守るのがルーファスの一時の癒しだった。
でも、あの日…、

「いやあああああ!ノエル!ノエルー!」

冷たくなった小さな体に縋りつき、女は茶色の髪を振り乱し、泣き叫んだ。
息子と同じ顔で陽だまりのような女性と呼ばれたその人はルーファスを睨みつけた。
その目には殺意を宿していた。

「返してよ!あたしの息子を返せ!この人殺し!」

息子を返せと泣き叫びながら、ルーファスの首を締めようとする女の顔が未だに脳裏に焼き付いて離れない。





「…下、殿下!」

掴まれた肩に反射的に目を開けた。

「殿下。良かった…。目が覚めましたか?」

そこには、こちらを心配そうに覗き込むリスティーナの姿があった。

「ごめんなさい。寝ている所をお邪魔してしまい…、あまりにも苦しそうに魘されている様子でしたので…。」

「…いや。助かった。礼を言う。」

「いえ…、そんな…。ご気分は如何ですか?」

「平気だ。」

「それは良かったです。」

リスティーナはルーファスにニコッと微笑んだ。

「途中で寝たりして悪かった。急に眠気がきて…、」

目頭を押さえるルーファスにリスティーナは首を横に振り、

「私の事はお気になさらず。殿下は不眠症だとお聞きしました。寝れる時にお休みになるべきですから…。」

ルーファスは起き上がると、リスティーナを見つめた。

「ドレスは直せたか?」

「はい。この通り、リリアナに縫って貰えたので大丈夫ですわ。」

リスティーナはドレスの裾を広げて、そう言った。

「部屋まで送ろう。あまり遅くなると、侍女が心配するだろう。」

「え、ですが…、殿下はお疲れなのでは?私なら大丈夫ですからもう少しお休みになられては…。」

「もう十分寝たから平気だ。」

そう言って、立ち上がったルーファスだったが扉を叩く音がした。
入室を促すと、壮年の男性が入ってきた。執事服をしているので執事の方だろう。

「殿下。診察のお時間です。主治医の先生がお見えになっています。」

「後にしろ。」

ルーファスの言葉にリスティーナは慌てて声を掛けた。

「で、殿下。私は大丈夫ですから…。」

「何を言っている。君を一人で帰す訳にはいかない。」

「殿下。ご安心ください。そちらのご側室様はわたしが責任を持ってお送りいたしますので。」

そう言って、壮年の執事は人の良さそうな優しい笑みを浮かべ、リスティーナに近付いた。

「初めてお目にかかります。リスティーナ様。お会いできて光栄です。わたしは執事のロジャーと申します。以後、お見知りおき下さい。」

そう言って、深々とお辞儀をするロジャーと名乗る執事にリスティーナもスカートの裾を摘んで頭を下げ、挨拶を返した。

「初めまして。リスティーナと申します。こちらこそよろしくお願いします。」

そんなリスティーナの態度に執事は軽く驚いた様子だったがすぐにフッと柔らかく微笑み、

「殿下は幸せ者ですな。リスティーナ様のような女性を妻にすることができて。」

ピクッとルーファスは微かに眉を顰めた。

「…無駄口はいいから、早く彼女を後宮まで送ってこい。」

「畏まりました。」

ロジャーは深々とお辞儀をすると、リスティーナに向き直り、微笑んだ。

「では、参りましょうか。」

「は、はい。殿下。お気遣いありがとうございます。どうぞ、お大事になさってください。」

これでお別れかと思うと寂しかったが仕方がない。リスティーナは諦めて彼に挨拶をするとそのまま背を向けた。

「リスティーナ姫。」

不意に呼び止められ、リスティーナは振り返る。ルーファスと目が合った。
一瞬、目を逸らしたルーファスは何かを迷っている様な素振りを見せた。が、すぐにリスティーナに視線を戻すと、意を決したように口を開いた。

「その…、今夜君の部屋に行っても構わないか?」

窺うように遠慮がちに言ってくる彼の言葉にリスティーナは目を見開いた。
が、彼の言葉を理解するとリスティーナはほぼ条件反射の様に頷いた。

「はい!お待ちしています!殿下。」

ルーファスは目を瞠り、やがてホッとしたように息を吐きだすと口元を緩めた。

「そうか。」

リスティーナはハッとした。嬉しくて、つい勢いよく返事をしてしまった。
殿下にはしたない女だと思われたらどうしよう。今更ながら恥ずかしさがこみ上げてきた。

「じゃあ、また夜に…。」

ルーファスはそんなリスティーナを眩しそうに見つめ、優しくそう言ってくれた。
少しだけ笑みを浮かべたその表情にリスティーナは呆然と見つめ、つられて微笑み返した。

殿下が今夜、私の所に来て下さる…。そう考えるだけでリスティーナの胸はドキドキした。
ロジャーの後に続きながら、リスティーナはそればかりを考えていた。

「リスティーナ様。今日はありがとうございます。」

ロジャーの言葉にリスティーナは我に返ると、

「い、いえ!お礼を言うのは私の方です。殿下のお言葉に甘えて、つい部屋にお邪魔させてもらったりして…。」

「後宮にいる女性達の中で殿下の部屋に入ったのはリスティーナ様が初めてです。」

「え?そうなのですか?」

言われてみればそうかもしれない。
ダニエラはルーファスの顔を見ただけで悲鳴を上げて逃げるし、他の二人の側室もルーファスを嫌っている様子だった。彼女達がルーファスの部屋に来るなど想像つかない。

「殿下は昔から警戒心と猜疑心が強く、他人に心を許すことがありませんでした。
ですから、あの方は決して、赤の他人を部屋に入れることはありませんでした。例え、妻でさえもご自分の部屋に招き入れることはしなかった。」

ロジャーは歩きながら、リスティーナに語り掛けるように話した。リスティーナは彼の話を黙って聞いた。

「だから、驚きました。そんな殿下がリスティーナ様をお部屋に連れてくるとは。きっと、殿下にとってリスティーナ様は特別なのでしょうな。」

「そ、そんな…。わ、私が特別だなんて…、」

「これでもわたしは殿下が生まれた時より、そのお世話係としてずっとお仕えしていた身なのです。
そのわたしが言うのですから間違いありませんよ。リスティーナ様は殿下に特別だと思われるのはお嫌ですか?」

「そ、そんな事ありません!」

ロジャーの言葉にリスティーナは思いっきり否定した。そんなリスティーナにロジャーはにこやかに笑い、

「本当に…、あなたのような方が殿下の妻になられて良かった。」

しみじみと呟くロジャーは嬉しそうにそう言った。そして、一度立ち止まると、リスティーナに向き直り、深々と頭を下げた。

「リスティーナ様。どうか、これからも殿下をよろしくお願い致します。」

そんなロジャーにリスティーナは戸惑いつつも、小さく頷くのだった。




「姫様!良かった!ご無事だったんですね!」

リスティーナが戻ると、スザンヌ達が心配そうに駆け寄り、労わった。

「リスティーン様。大丈夫でしたか?」

「酷い事はされませんでしたか?」

あの一件があった以降、侍女達はリスティーナに優しく、好意的だ。
彼女達がリスティーナを心配してくれるのは十分すぎる程、伝わっている。
でも…、彼女達の言葉を聞くたびに悲しい気持ちがこみ上げる。
スザンヌも他の侍女達もルーファスを呪われた王子として怖がっているのが分かるから。
それが…、とても悲しい。
リスティーナは少し一人にして欲しいと言い、スザンヌ達を下がらせた。
ベッドに腰を下ろしたリスティーナはぼんやりと天井を見上げた。
あの時…、ルカに殿下をどう思っているのかと聞かれた時、私は言葉に詰まった。

「私…。」

リスティーナはぽつりと呟いた。そっと胸に手を当てる。いつもより、心臓がドキドキしている。
思い返してみればルーファスの事を考えるといつもそうだった。
彼と会った時、何気ない会話を交わしたりするだけで楽しかった。時折、見せる柔らかい表情と優しい笑みに胸が高鳴った。

こんな事は初めてだった。しかも、苦手意識を持っていた異性に惹かれるなんて…。
以前の私が見たら、驚愕することだろう。でも、ちっともそれが嫌じゃなかった。
あんなにも男の人を怖がっていた自分がどうしてこんな気持ちになるのか。
リスティーナは気付いてしまった。ルカに言われたことで自覚した。
私は殿下の事が…、

「私…。ルーファス殿下の事が好きなのね…。」

どうして、今まで気付かなかったのだろう。彼に惹かれてしまうのも、会いたいと思う気持ちも彼が好きだからに他ならない。こんなにも、彼を好きになっていたのに…。
この気持ちに気付いてしまった以上、もう引き返せない。

「お母様…。私…、どうしたらいいのでしょうか?」

返事はない。当たり前だ。母はもう亡くなっているのだから。それでも、訊ねずにはいられなかった。
リスティーナはずっと母の苦労を見てきた。
父に見初められ、側室として娶られた母、ヘレネ。
父の寵愛を受けるもリスティーナが物心ついた頃には母は父に飽きられ、その寵愛を失っていた。
父の関心や興味は新しい愛妾や側室に向けられていた。
そんな母に待っていたのは王妃や側室達の苛烈な虐めだった。
そのせいで母は神経をすり減らし、衰弱し、亡くなった。

恋や愛だなんていつかは冷めるもの。父を見ていればそれを嫌でも痛感する。
母の様にあんな辛い思いをするのなら、恋なんてしたくない。
ずっとそう思ってたのに…、私は恋をしてしまった。
この恋心を消すことなんてもうできない。

「ルーファス様…。」

彼の名を呼ぶなど許されない。でも、今だけ…、今だけはどうか許して欲しい。
この思いを彼に伝えることはまだできない。でも…、いつか…、彼にこの想いを伝えたい。
そうリスティーナは心の中で願った。
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