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包囲されたはじめての街

1590年7月25日・戦後処理

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紛糾した評定だったが、結局、斬首派の氏照が折れ、捕虜については以下の通り決まった。

1切腹
 石田三成(豊臣直臣) 
 木村重茲(豊臣軍目付)北条領内各地での豊臣方の乱取りの責任を取らされた。
 上杉景勝(豊臣方大名)
 直江兼続(上杉家重臣)
 藤田信吉(上杉家重臣)
 大道寺政繫(北条逆臣)

2斬首
 笠原政晴(小田原内豊臣内通者)松田憲秀の嫡男。以前にも敵に内通しており二回目だったので打ち首になった。

3北条家任官
 蒲生氏郷
 宇喜多秀家
 前野長康
 瀬田正忠
 古田重然
 本多忠勝(北条氏規の慰留による)
 河窪信俊
 酒井家次
 前田利家
 前田利長
 浅野長政
 大谷吉継
 長束正家
 真田昌幸
 真田信繁

4北条家内改易
 松田憲秀(長子の内通の責を取らされた。但し、松田家は次男・直秀が継ぐ)
 北条氏勝(房総での開城勧告で結果的に領内兵の死者を減らしたこと。大道寺のような先鋒を務めるような戦働きはなかったことから、氏照預かりとなった)
 上野国衆(城主を小田原に派遣していたケースが多く、降伏も止む無しとして領地召し上げのみで助命された)
 武蔵国衆(上野衆と同様)

切腹は秀吉直臣を代表して三成。
逆臣を代表して大道寺政繫(氏照の強い希望)。
大名家を代表して上杉景勝とその重臣。(上杉家は先々代からの長年の宿敵だったことと氏照の強い希望で三名切腹となった)

任官を認めた者は国元に領地を持つ者が多かった。彼らには城留守居役に向けて

・関白秀吉が死亡した事。
・今後は北条に仕えるので家内を纏め北条方の将の着任を受け入れるよう文を出すよう命じた。

ーーー 第一章 包囲されたはじまりの街 (完) ーーー
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