上 下
49 / 51
第五章 この世のすべてを照らすもの

自己対峙

しおりを挟む
「来るぞ!」

 誰かが叫んだのを皮切りに、今まで動きを封じ込まれていた悪鬼の群れが、次々と襲いかかってきた。

 まずは西宮がその脅威に立ち向かう。彼は太刀を振るい、悪鬼だけでなく、次々と湧き出るように現れる鬼火や死霊といった有象無象の異形たちを、片端から討ち祓っていった。その太刀さばきは洗練されており、見るからに戦い慣れしていた。
 休学して魔を狩っていたというのは本当のようだ。

 同じくして、忍が岩戸の前で舞い始めていた。いつものゆったりとしたテンポの神楽舞ではない。もっと激しい動作を取り入れた、特別な足運びの舞踊だ。
 忍が地を踏みならすほど、幻術が浸透する領域は広がっていく。今そこで舞っているのは、忍であって忍でない。芸能の女神である天宇受売命あめのうずめのみことが、ひたすら蠱惑的に舞っているのだ。魅入られた者は、たちまち舞手に掌握される。
 これにより、西宮が倒さなければならない敵の数を、大幅に減らしていた。

 そして、彼らの戦いぶりを彩る楽の音を奏でるのは、東宮兄弟だった。
 皇彦が自らの魂を宿らせたそうを小気味良くつま弾かせ、春彦が伸びやかな音の龍笛を無心に吹く。
 彼らの息は気持ちいいほどにぴったりで、そこには誰かが割り込む隙など一分もなかった。

 すべてが、神に捧げるにふさわしい供物だった。

 桃子も負けてはいられないと、広い校庭を駆け回り、果敢に大筆を振るった。
 書く文字は祓詞はらえことばだ。以前忍を大蛇おろちから救ったときは、冒頭の、ほんの数文字を書くだけで精一杯だった。
 しかし、この広い規模の校庭全体に守護結界を張るとなると、きっと全文を書ききるくらいでないと成立しないだろう。それに、たとえすべて書ききったとしても、成功するかどうかもわからない。――だとしても、失敗は許されなかった。

(掛けまくも、かしこ伊邪那岐大神いざなぎのおおかみ……)

 文字を書きながら、何度も何度も祓詞を頭の中で反芻した。集中が途切れそうになったときは、ためらわずに口にも出して、呪文のように唱え続けた。
 そうしているうちに、桃子は忘我の中で、肉体と魂が切り離されたような不思議な感覚に陥っていた。体は思い通りに動かせるが、それとは別に、自分自身をまるで他人のように見つめることができた。

 書に向かっているとき、桃子は一種のトランス状態になるのだと雪江は話していた。それは、こういうことを指していたのか。今初めて自覚していた。

 とても頭の中がすっきりしている。この万能感と高揚感は、どこからくるのか。
 これまでずっと考えないようにしていたことも、今ならためらわずに目を向けられる。
 自分のことが、今やっと、はっきりわかった気がした。

(私、三人のことが好きなんだ。誰か一人を選ぶ気なんて、本当は初めからさらさらなかった。だから妊娠することも嫌だった。誰か一人の子どもを孕めば、他の二人を手放さなくてはならないから。全部を手に入れたいと、思ってしまっていたんだわ)

 あまりの身勝手さに、自分自身が一番驚いていた。
 桃子は軽やかな足取りで地面を蹴りつけ、筆運びだけは異様に重く力強いものを繰り出し続けた。汗が弾け、鼓動は限界まで跳ね上がっている。それなのに、少しも疲れを感じない。
 次々とこみ上げてくる想いを、ひたすら筆に乗せた。

(忍ちゃんには、献身的に守られていたかった。気位の高い彼の自己犠牲的な愛情を知ったとき、身悶えるほど嬉しかった。私のためにいろんなものを犠牲にしていたのは、それだけ私を手に入れたかったということだもの。
西宮くんには、いじめてほしかった。彼は私をどうやっていたぶり虐げるか、それを考えることで頭をいっぱいにさせていた。あんな愛され方、一度知ってしまったら、もう手放すことなんてできない。
春彦くんには、ひたすら溺愛してほしかった。彼の優しい声が好き。笑った顔が好き。本心ではもう一度私を抱きたくて仕方がなかったくせに、私を傷つけまいと、苦しむ姿を見るのもたまらなかった)

 桃子は筆を走らせ振り回しながら、無意識に口角を上げた。

(私、かわいそうな自分が好きだった。受ける痛みさえ心地が良かった。だから、辛くてもそこから抜け出そうなんて思わなかったの。やっと自覚した、私の暗部。皇彦くんに嫌われるはずだわ。こんな女だって、彼は初めから見抜いていた)

 ようやく最後の一文字まで筆運びを終えたとき、桃子の周囲から、大量の異形がかき消えていた。完成した桃子の強力な結界に弾かれたのだ。
 岩屋を取り囲むように、桃子が走らせた筆跡が、次々と宙に浮かび上がっていた。

 完成した祓詞はらえことばは、そのまま岩屋全体を包み込んだ。
 春彦と皇彦の合奏、それから忍の舞も、ほとんど同時に終わっていた。

 そのとき、巨岩の一つが地鳴りのような轟音を響かせながら、ゆっくりと動き始めていた。
 刹那、周囲は強烈な光に照らされ、真っ暗だった世界は、一瞬にしてまばゆいばかりの白に塗り替えられていた。

 あれほど猛威を振るっていた異形の群れは、夜を失くし、あっけなく消し飛んでいた。
 岩戸から発せられる光があまりにもまぶしすぎて、もはや何も見えない。桃子が目をこらそうとすると、誰かが「見てはいけない」と強く叫んだ。

 周囲は異様なまでに張り詰めた空気に変わる。しかし、それと同じくらい、慈愛に満ちた温かさもあった。相反する性質を持った存在だ。桃子はいつもその存在と、日常の中で触れ合っていたことを思い出した。見上げれば必ず、生きとし生けるものに、生命の光を等しく照らしてくれるものだ。

 姿は見えずとも、岩戸の奥には、たしかにこの国の最高神である太陽の女神がいた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?

春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。 しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。 美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……? 2021.08.13

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...