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第二章 強きもの、弱きもの
知らぬ間に
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桃子と春彦の二人は、示し合わせたわけでもなく、それぞれ別々に教室へと戻っていた。少なくとも、桃子は周囲の目を気にしてのことだった。
そして、間もなく中間テストが開始された。
つけ焼き刃でどこまでやれるか不安だったが、切り替えて挑むしかない。とにかく無我夢中で答案用紙に向かい、ペンを走らせた。
寝ていない割に、頭はひどく冴えている。
むしろ好調だと感じるくらいで、自分でも不思議だった。寝不足が過ぎておかしくなっているのか。
愉快なほど問題を解くのに苦心しない。
そして、徐々にそれが当たり前のことだとすら思い始めていた。
…………
…………
…………
――――気づけば、桃子は布団の中にいた。
しばらくは、何がどうなったのかまったくわからなかった。
見覚えのある和室。
(ここは、西宮家……)
電気がついていなくても部屋の様子がわかるほどには、外はもう明るい。あるいは、夕暮れ時か。
今がいつなのか、またもわからず目覚めを迎えた状況に、桃子は少々うんざりしてもいた。
(そうだ、テスト――)
そこに思い至って跳ね起きようとしたとき、急に背後から、誰かに抱きすくめられる。
桃子は屋敷中に響くような大声で叫んでいた。
「――ど、どうした、南条?」
桃子に抱きついていたのは西宮だった。たった今、桃子の大絶叫で覚醒したらしく、目を白黒させている。
桃子は腰が抜けたまま、必死に布団から這い出して、西宮から避難していた。
「な、なんで、西宮くんが、私の布団に……」
桃子は涙目で彼に抗議していた。
桃子を傷つけることは今後もうしないと誓ったはずの彼が、その舌の根も乾かぬうちに手のひらを返してきたことが、心底信じられなかった。裏切られたという気持ちでいっぱいだった。
しかし、どういうわけか、桃子と同じかそれ以上に、西宮自身もひどく困惑している様子だった。
「なんだ、寝ぼけてんのか。この布団はもともと俺のだ。お前のはこっち」
そう言って、西宮は隣の空になっている布団を指さした。
「昨夜、お前が自分から俺のところに入ってきたんだろうが。覚えてないとは言わせねえ」
今度は桃子が絶句する番だった。
「うそ……!」
「嘘じゃねえよ。……ったく、あんなに自分から迫っておいて、朝になったら被害者面か? 冗談にしても悪ふざけがすぎるし笑えねえんだけど」
「ま、待って。〝あんなに〟って、何? 私、何したの……」
恐る恐る桃子が問うと、西宮が心底呆れたようにため息を吐いた。
「なあ……お前、マジで俺をおちょくってんのか。それとも本当に寝ぼけてんのかよ。あーあ……ねえわ。昨夜のこと、全部なかったことにする気かよ」
彼は怒っているというよりも、見るからに落胆していた。嘘を言っているようには見えない。
桃子の身には、これまでも信じがたい出来事がいくつも起こっており、もはや何があっても不思議ではないように思えた。
「西宮くん、私、本当に何も覚えていないの。あのね……」
桃子が覚えていたのは、テスト一日目、一限目に入って間もなくのところまでだった。必死で答案用紙に向かっていた。しかし、それ以降の記憶はぷっつりと途切れている。
桃子の話を半信半疑に聞いていた西宮は、納得のいかない様子ではありながらも、自分の見たこと、知っていることを詳細に話してくれた。
彼の話では、桃子は中間テストを全日乗り切ったのだという。テスト勉強も、西宮の自室で毎日一緒にやっていたらしい。特段、いつもと様子が違うようには見受けられなかったとのことだ。
また比売神が降りてきたのでは、と桃子が言うと、「それはない」と西宮が真っ向から否定していた。
比売神は、言葉遣いや態度が尊大である上に、何より存在感が圧倒的らしく、なり変わっていれば確実に気づくと彼は断言した。
他に考えられることと言えば、何者かが桃子の意識をのっとり、そのあいだに体を操るという手法だった。
東宮がそういった能力を持つ神使を使役すれば、あるいは北条が人を惑わす幻術を用いれば――それも実現可能かもしれない。
しかし、それはあくまで可能性としてゼロではないというだけで、現実的ではなかった。
なぜなら、テスト中は特に、生徒の神力の不正使用はきつく監視されており、そのいくつもの目をかいくぐって術をかけ続けることは、とても困難を極めるのだ。
仮に、術者が生徒ではなく学園外の者であったとしても、術をかけられているのが桃子であれば、すぐに見抜かれ解呪されるはずだと西宮は言った。桃子もそこに異論はなかった。
結局いくら頭を捻っても、これだという結論にはたどり着けず、二人して肩を落としたのだった。
「南条……お前って、まさか多重人格ってことはないよな……? ひょっとすると、あのどぎつい比売神ですら、お前の一部だったり……」
西宮からそう言われて、桃子はそれだけはないと必死で否定した。
「わ、私が、西宮くんを何度も殴りつけるような人間だと思うの?」
「いや、あくまで可能性の一つとして。そうとでも考えないと、いろいろ納得いかねえし……」
西宮が不本意そうにしているのは、何も原因解明ができないせいばかりではないようだった。
桃子は起き抜けでの西宮とのやり取りを思い出し、悪い予感がして、もう一度彼に真実を問いただしていた。
「ね、ねえ……昨夜何があったの? 責めたりなんてしないから、本当のことを教えて」
桃子は不安で胸がつぶれそうになりながら、それでも確認せずにはいられなかった。
西宮は長いこと口を開け閉めしてから、観念したように話し始めた。
「テスト期間中は、もちろん、俺ら二人とも勉強三昧で過ごしたよ。お前もかなりがんばってたし、俺もそれなりに協力できたと思う。
で、昨日テストが終わって、用意させた書道用具をお前に見せたら、『今日は疲れたから休みたい』って言ったんだ。そのとき少しだけ妙だなって思ったけど――正直、お前は一も二もなく飛びつくものだと思ってたから――でも、たしかに連日睡眠不足だったし、まあ、まずは休息だよなって思って、俺も早めに寝ることにした。
お前の休む部屋に布団が二組用意されててさ。テスト期間中は、毎日勉強の合間に床で雑魚寝状態だったから、こうなることが俺もすっかり頭から抜け落ちてて、互いに気まずくなって。俺は自室で寝るって言ったんだ。そしたらお前が、『俺と一緒に寝たい』って言いだして」
桃子は思わず、聞くに堪えないとばかりに顔を覆う。か細い呻き声も上げた。その様子に、西宮はやや罪悪感を募らせるも、真実を語れと言った桃子の要求どおりに、そのまま続きを話した。
「そんなふうに乞われたら、断る理由もないだろ。だから、俺も隣の布団で休むことにした。つっても、あくまで別々の布団で寝るって意味合いだ。これだけは誓って言える。お前の傷つくことは二度としないって、俺はそう決めたんだから。でも、そんな俺を試すように、お前は『そっちの布団に行ってもいい?』って声をかけてきて、それで――」
話を聞いていて、桃子はもはや耳を塞ぎたくなっていた。
「そ、それで……まさか、そのまま――」
泣きそうになっていると、西宮が血相を変えてかぶりを振った。
「ち、違う。お前があんまりにもすり寄ってくるから、少し抱きしめてやっただけだ。俺の紳士ぶりに、大いに感謝しまくれよ」
「ほ、本当に……何もなかったの?」
すぐには信じきれずにいる桃子に、西宮はつい、言わずにおこうとしていたことまで口に上らせていた。
「しつこいな、後ろめたいことは何一つしてねえよ。――だ、だいたい、お前、今その……せ、生理だろうが。言わせんなよ、こんなこと」
桃子は不意を突かれ、真っ赤になって固まってしまった。
それを見た西宮は、少々意地の悪い笑みを浮かべて反撃に出る。
「そうそう。お前はたしか、こんなことも言ってたな。『今は無理だけど、終わったら、これ以上のこともしてくれる……?』って」
「うそっ!」
「それが本当のことなんだよなぁ。俺も最初は自分の耳を疑ったよ。おとなしい顔して、こいつ実はめちゃくちゃエロいんじゃ……って」
桃子はめまいがした。正直、消えてなくなれるものなら、今すぐそうなりたかった。
しかし、西宮は、桃子にそう言われて舞い上がるほど嬉しかったのだと語った。その意味では、彼も十分被害者かもしれない。
「自業自得だけど、俺はこの先、お前にずっと怖がられ続けるんだろうって覚悟してたんだ。だから、昨夜はお前のほうから距離をつめてくれて本当に嬉しかった。今思えば、そんな簡単にいくはずないのに。嬉しすぎて、是が非でもお前の言葉を信じたくなっちまった。自分が不甲斐なくて情けない。本当のお前じゃないって、見抜けなくて悪かった」
「い、いえ。そもそも、私本人が私同然に振る舞っていたのなら、気づけなくて当然だし……」
「ああ。昨夜のことは不自然だとしても、それ以外の一挙手一投足は、限りなく普段のお前そのものだった」
「なんだろう、本当に……」
桃子は無意識に身を震わせた。
西宮は、このことは、本当に信頼のおける者以外には、たとえ身内でも話さないほうがいいかもしれないと語った。
なぜなら、西宮の仲間内にも、桃子と西宮との間に一刻も早く子を成すべきだと、強硬手段に出る者が潜んでいるかもしれないのだ。上手くしっぽを出させるために、あえてこちらは気づいていない振りをするのも手だと、西宮は言った。
誰もが己自身の――そして己が属する組織の利益を真っ先に考えて、動いている。
それが身内であろうと、桃子や西宮にとって最良の道を選択してくれるとは限らない。
不安は募る一方だった。
「心配事が多くて気が滅入りそう。テストのことだって……。せっかくがんばって勉強しようという気になれていたのに、ひどいよ、こんなのってない」
「まあ、気持ちはわかるけど、嘆いても始まらねえよ。犯人を見つけて締め上げて、留飲を下げるしかない。あんまり思いつめるな。勉強なら俺がまた見てやるから」
桃子は渋々頷くしかなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
本日は土曜だが、半日だけの登校日だった。
朝、学内掲示板に、さっそく中間テストの順位が張り出されているのを見て、桃子も西宮も、開いた口がふさがらなかった。
総合一位:南条 桃子
二位:山田 春彦
同点三位、四位:西宮 幸成、北条 忍
…………
…………
西宮は掲示板を見て、いまだ固まったままの桃子に言葉をかけた。
「南条、お前……。北条を抜くくらいの心意気で、とは言ったけどよ。俺まで抜くってどういうことだ」
「だ、だから、これは私がやったことじゃ――」
まだ桃子に言いたいことがありそうな西宮だったが、彼はすぐさま幾人もの級友に話しかけられ、あっという間に取り囲まれていた。
代わりに桃子の視界に入ったのは、掲示板を見つめる春彦の姿だった。彼もこちらに気づいたようで、桃子のそばまで来ると、いつもの穏やかな口調で言った。
「桃子さん、感服いたしました。あなたは以前、ずいぶんとご自分を卑下なさっていましたが、やはり誰よりも優秀な方だったのですね」
「ち、違うの、これは何かの間違いで……」
桃子は慌てて訂正しようとしたが、そのときすぐさま西宮が桃子のそばに戻ってきたことにより、春彦はまるで身を引くように、笑顔で会釈しその場から離れていった。誤解を解くいとまもなかった。
(どうしよう。大変なことになってしまった……)
桃子がおろおろしていると、背後より、新たに別の者から声がかかった。
「桃子、少しいいか」
話しかけてきたのは忍だった。
「忍ちゃん……」
「今日の放課後、少し付き合ってほしい。大事な話がある」
忍が有無を言わせぬ様子であるのを見てとり、そばで聞いていた西宮は、あからさまに彼女を不審がった。
「何を企んでやがる、北条。南条一人を行かせるかよ。俺もついていくからな」
西宮が横から口を挟んできたのを、忍は心底うっとうしげにはねつけた。
「悪いが、これは巫女姫の家系に生まれた者同士の話し合いだ。中の大巫女様御自らもお立合いになられる正式なものだ。憑坐がいても邪魔になるだけ。安心しろ、桃子に危害を加えるような真似は絶対にしないと約束する」
「信用できるかよ。ますます怪しいな。正式な話し合いなら、それこそ公開式にすべきだろう。自分から後ろ暗いところがあると言っているようなもんじゃないか」
これには忍も眉をひそめた。
「ずいぶんな言われようだ。非公開の理由は、当事者のプライバシーを守るためでもあるというのに。桃子は正式な巫女姫として、まだきちんと周知されてもいないうちから、すでに二人もの憑坐から慰み者にされている。彼女が巫女姫ではなくなったとき、その忌まわしい事実だけが永久に残り、その上で周囲に知れ渡ってしまうのは、あまりに酷というものだ」
忍の辛らつな物言いに、争う気満々だった西宮は、出鼻をくじかれてぐっと言葉を詰まらせた。
そして、彼ははたと目を瞬かせる。
「待てよ……南条が巫女姫でなくなったとき、ってどういう意味だ」
「言葉のとおりだが。選定の儀で正式な憑坐として選出されてもいないのに、お前の身に何が起きたかを考えれば、自ずとわかるだろう」
忍の言葉に西宮が目を見開く。
彼の返答を待たずして、少しも淀みのない口調で忍ははっきりと言った。
「憑坐の普遍性はすでに失われた。ならば、巫女姫にも同じことが言えると思わないか」
鋭く切り込む忍に、西宮はかぶりを振って否定する。
「俺は、南条以外には考えられない……」
「知るか、お前の意見などどうでもいい。……とにかくそういうことだ、桃子。これは大巫女様直々のご采配によるもので、私たちには最初から拒否権なんてないんだよ。そして、たとえ憑坐といえども、この件に関しては一切の干渉を禁じる――とのことだ。いいな、西宮」
忍の言葉を受けて、西宮は心底悔しそうに舌打ちしていた。
「忍ちゃん、あの――」
「伝えたかったのはそれだけだ。邪魔したな」
自分の言いたいことだけを言うと、忍は本当にさっさと行ってしまった。
桃子は忍の背中が見えなくなるまで、ずっと彼女のことを見つめていた。
そして、間もなく中間テストが開始された。
つけ焼き刃でどこまでやれるか不安だったが、切り替えて挑むしかない。とにかく無我夢中で答案用紙に向かい、ペンを走らせた。
寝ていない割に、頭はひどく冴えている。
むしろ好調だと感じるくらいで、自分でも不思議だった。寝不足が過ぎておかしくなっているのか。
愉快なほど問題を解くのに苦心しない。
そして、徐々にそれが当たり前のことだとすら思い始めていた。
…………
…………
…………
――――気づけば、桃子は布団の中にいた。
しばらくは、何がどうなったのかまったくわからなかった。
見覚えのある和室。
(ここは、西宮家……)
電気がついていなくても部屋の様子がわかるほどには、外はもう明るい。あるいは、夕暮れ時か。
今がいつなのか、またもわからず目覚めを迎えた状況に、桃子は少々うんざりしてもいた。
(そうだ、テスト――)
そこに思い至って跳ね起きようとしたとき、急に背後から、誰かに抱きすくめられる。
桃子は屋敷中に響くような大声で叫んでいた。
「――ど、どうした、南条?」
桃子に抱きついていたのは西宮だった。たった今、桃子の大絶叫で覚醒したらしく、目を白黒させている。
桃子は腰が抜けたまま、必死に布団から這い出して、西宮から避難していた。
「な、なんで、西宮くんが、私の布団に……」
桃子は涙目で彼に抗議していた。
桃子を傷つけることは今後もうしないと誓ったはずの彼が、その舌の根も乾かぬうちに手のひらを返してきたことが、心底信じられなかった。裏切られたという気持ちでいっぱいだった。
しかし、どういうわけか、桃子と同じかそれ以上に、西宮自身もひどく困惑している様子だった。
「なんだ、寝ぼけてんのか。この布団はもともと俺のだ。お前のはこっち」
そう言って、西宮は隣の空になっている布団を指さした。
「昨夜、お前が自分から俺のところに入ってきたんだろうが。覚えてないとは言わせねえ」
今度は桃子が絶句する番だった。
「うそ……!」
「嘘じゃねえよ。……ったく、あんなに自分から迫っておいて、朝になったら被害者面か? 冗談にしても悪ふざけがすぎるし笑えねえんだけど」
「ま、待って。〝あんなに〟って、何? 私、何したの……」
恐る恐る桃子が問うと、西宮が心底呆れたようにため息を吐いた。
「なあ……お前、マジで俺をおちょくってんのか。それとも本当に寝ぼけてんのかよ。あーあ……ねえわ。昨夜のこと、全部なかったことにする気かよ」
彼は怒っているというよりも、見るからに落胆していた。嘘を言っているようには見えない。
桃子の身には、これまでも信じがたい出来事がいくつも起こっており、もはや何があっても不思議ではないように思えた。
「西宮くん、私、本当に何も覚えていないの。あのね……」
桃子が覚えていたのは、テスト一日目、一限目に入って間もなくのところまでだった。必死で答案用紙に向かっていた。しかし、それ以降の記憶はぷっつりと途切れている。
桃子の話を半信半疑に聞いていた西宮は、納得のいかない様子ではありながらも、自分の見たこと、知っていることを詳細に話してくれた。
彼の話では、桃子は中間テストを全日乗り切ったのだという。テスト勉強も、西宮の自室で毎日一緒にやっていたらしい。特段、いつもと様子が違うようには見受けられなかったとのことだ。
また比売神が降りてきたのでは、と桃子が言うと、「それはない」と西宮が真っ向から否定していた。
比売神は、言葉遣いや態度が尊大である上に、何より存在感が圧倒的らしく、なり変わっていれば確実に気づくと彼は断言した。
他に考えられることと言えば、何者かが桃子の意識をのっとり、そのあいだに体を操るという手法だった。
東宮がそういった能力を持つ神使を使役すれば、あるいは北条が人を惑わす幻術を用いれば――それも実現可能かもしれない。
しかし、それはあくまで可能性としてゼロではないというだけで、現実的ではなかった。
なぜなら、テスト中は特に、生徒の神力の不正使用はきつく監視されており、そのいくつもの目をかいくぐって術をかけ続けることは、とても困難を極めるのだ。
仮に、術者が生徒ではなく学園外の者であったとしても、術をかけられているのが桃子であれば、すぐに見抜かれ解呪されるはずだと西宮は言った。桃子もそこに異論はなかった。
結局いくら頭を捻っても、これだという結論にはたどり着けず、二人して肩を落としたのだった。
「南条……お前って、まさか多重人格ってことはないよな……? ひょっとすると、あのどぎつい比売神ですら、お前の一部だったり……」
西宮からそう言われて、桃子はそれだけはないと必死で否定した。
「わ、私が、西宮くんを何度も殴りつけるような人間だと思うの?」
「いや、あくまで可能性の一つとして。そうとでも考えないと、いろいろ納得いかねえし……」
西宮が不本意そうにしているのは、何も原因解明ができないせいばかりではないようだった。
桃子は起き抜けでの西宮とのやり取りを思い出し、悪い予感がして、もう一度彼に真実を問いただしていた。
「ね、ねえ……昨夜何があったの? 責めたりなんてしないから、本当のことを教えて」
桃子は不安で胸がつぶれそうになりながら、それでも確認せずにはいられなかった。
西宮は長いこと口を開け閉めしてから、観念したように話し始めた。
「テスト期間中は、もちろん、俺ら二人とも勉強三昧で過ごしたよ。お前もかなりがんばってたし、俺もそれなりに協力できたと思う。
で、昨日テストが終わって、用意させた書道用具をお前に見せたら、『今日は疲れたから休みたい』って言ったんだ。そのとき少しだけ妙だなって思ったけど――正直、お前は一も二もなく飛びつくものだと思ってたから――でも、たしかに連日睡眠不足だったし、まあ、まずは休息だよなって思って、俺も早めに寝ることにした。
お前の休む部屋に布団が二組用意されててさ。テスト期間中は、毎日勉強の合間に床で雑魚寝状態だったから、こうなることが俺もすっかり頭から抜け落ちてて、互いに気まずくなって。俺は自室で寝るって言ったんだ。そしたらお前が、『俺と一緒に寝たい』って言いだして」
桃子は思わず、聞くに堪えないとばかりに顔を覆う。か細い呻き声も上げた。その様子に、西宮はやや罪悪感を募らせるも、真実を語れと言った桃子の要求どおりに、そのまま続きを話した。
「そんなふうに乞われたら、断る理由もないだろ。だから、俺も隣の布団で休むことにした。つっても、あくまで別々の布団で寝るって意味合いだ。これだけは誓って言える。お前の傷つくことは二度としないって、俺はそう決めたんだから。でも、そんな俺を試すように、お前は『そっちの布団に行ってもいい?』って声をかけてきて、それで――」
話を聞いていて、桃子はもはや耳を塞ぎたくなっていた。
「そ、それで……まさか、そのまま――」
泣きそうになっていると、西宮が血相を変えてかぶりを振った。
「ち、違う。お前があんまりにもすり寄ってくるから、少し抱きしめてやっただけだ。俺の紳士ぶりに、大いに感謝しまくれよ」
「ほ、本当に……何もなかったの?」
すぐには信じきれずにいる桃子に、西宮はつい、言わずにおこうとしていたことまで口に上らせていた。
「しつこいな、後ろめたいことは何一つしてねえよ。――だ、だいたい、お前、今その……せ、生理だろうが。言わせんなよ、こんなこと」
桃子は不意を突かれ、真っ赤になって固まってしまった。
それを見た西宮は、少々意地の悪い笑みを浮かべて反撃に出る。
「そうそう。お前はたしか、こんなことも言ってたな。『今は無理だけど、終わったら、これ以上のこともしてくれる……?』って」
「うそっ!」
「それが本当のことなんだよなぁ。俺も最初は自分の耳を疑ったよ。おとなしい顔して、こいつ実はめちゃくちゃエロいんじゃ……って」
桃子はめまいがした。正直、消えてなくなれるものなら、今すぐそうなりたかった。
しかし、西宮は、桃子にそう言われて舞い上がるほど嬉しかったのだと語った。その意味では、彼も十分被害者かもしれない。
「自業自得だけど、俺はこの先、お前にずっと怖がられ続けるんだろうって覚悟してたんだ。だから、昨夜はお前のほうから距離をつめてくれて本当に嬉しかった。今思えば、そんな簡単にいくはずないのに。嬉しすぎて、是が非でもお前の言葉を信じたくなっちまった。自分が不甲斐なくて情けない。本当のお前じゃないって、見抜けなくて悪かった」
「い、いえ。そもそも、私本人が私同然に振る舞っていたのなら、気づけなくて当然だし……」
「ああ。昨夜のことは不自然だとしても、それ以外の一挙手一投足は、限りなく普段のお前そのものだった」
「なんだろう、本当に……」
桃子は無意識に身を震わせた。
西宮は、このことは、本当に信頼のおける者以外には、たとえ身内でも話さないほうがいいかもしれないと語った。
なぜなら、西宮の仲間内にも、桃子と西宮との間に一刻も早く子を成すべきだと、強硬手段に出る者が潜んでいるかもしれないのだ。上手くしっぽを出させるために、あえてこちらは気づいていない振りをするのも手だと、西宮は言った。
誰もが己自身の――そして己が属する組織の利益を真っ先に考えて、動いている。
それが身内であろうと、桃子や西宮にとって最良の道を選択してくれるとは限らない。
不安は募る一方だった。
「心配事が多くて気が滅入りそう。テストのことだって……。せっかくがんばって勉強しようという気になれていたのに、ひどいよ、こんなのってない」
「まあ、気持ちはわかるけど、嘆いても始まらねえよ。犯人を見つけて締め上げて、留飲を下げるしかない。あんまり思いつめるな。勉強なら俺がまた見てやるから」
桃子は渋々頷くしかなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
本日は土曜だが、半日だけの登校日だった。
朝、学内掲示板に、さっそく中間テストの順位が張り出されているのを見て、桃子も西宮も、開いた口がふさがらなかった。
総合一位:南条 桃子
二位:山田 春彦
同点三位、四位:西宮 幸成、北条 忍
…………
…………
西宮は掲示板を見て、いまだ固まったままの桃子に言葉をかけた。
「南条、お前……。北条を抜くくらいの心意気で、とは言ったけどよ。俺まで抜くってどういうことだ」
「だ、だから、これは私がやったことじゃ――」
まだ桃子に言いたいことがありそうな西宮だったが、彼はすぐさま幾人もの級友に話しかけられ、あっという間に取り囲まれていた。
代わりに桃子の視界に入ったのは、掲示板を見つめる春彦の姿だった。彼もこちらに気づいたようで、桃子のそばまで来ると、いつもの穏やかな口調で言った。
「桃子さん、感服いたしました。あなたは以前、ずいぶんとご自分を卑下なさっていましたが、やはり誰よりも優秀な方だったのですね」
「ち、違うの、これは何かの間違いで……」
桃子は慌てて訂正しようとしたが、そのときすぐさま西宮が桃子のそばに戻ってきたことにより、春彦はまるで身を引くように、笑顔で会釈しその場から離れていった。誤解を解くいとまもなかった。
(どうしよう。大変なことになってしまった……)
桃子がおろおろしていると、背後より、新たに別の者から声がかかった。
「桃子、少しいいか」
話しかけてきたのは忍だった。
「忍ちゃん……」
「今日の放課後、少し付き合ってほしい。大事な話がある」
忍が有無を言わせぬ様子であるのを見てとり、そばで聞いていた西宮は、あからさまに彼女を不審がった。
「何を企んでやがる、北条。南条一人を行かせるかよ。俺もついていくからな」
西宮が横から口を挟んできたのを、忍は心底うっとうしげにはねつけた。
「悪いが、これは巫女姫の家系に生まれた者同士の話し合いだ。中の大巫女様御自らもお立合いになられる正式なものだ。憑坐がいても邪魔になるだけ。安心しろ、桃子に危害を加えるような真似は絶対にしないと約束する」
「信用できるかよ。ますます怪しいな。正式な話し合いなら、それこそ公開式にすべきだろう。自分から後ろ暗いところがあると言っているようなもんじゃないか」
これには忍も眉をひそめた。
「ずいぶんな言われようだ。非公開の理由は、当事者のプライバシーを守るためでもあるというのに。桃子は正式な巫女姫として、まだきちんと周知されてもいないうちから、すでに二人もの憑坐から慰み者にされている。彼女が巫女姫ではなくなったとき、その忌まわしい事実だけが永久に残り、その上で周囲に知れ渡ってしまうのは、あまりに酷というものだ」
忍の辛らつな物言いに、争う気満々だった西宮は、出鼻をくじかれてぐっと言葉を詰まらせた。
そして、彼ははたと目を瞬かせる。
「待てよ……南条が巫女姫でなくなったとき、ってどういう意味だ」
「言葉のとおりだが。選定の儀で正式な憑坐として選出されてもいないのに、お前の身に何が起きたかを考えれば、自ずとわかるだろう」
忍の言葉に西宮が目を見開く。
彼の返答を待たずして、少しも淀みのない口調で忍ははっきりと言った。
「憑坐の普遍性はすでに失われた。ならば、巫女姫にも同じことが言えると思わないか」
鋭く切り込む忍に、西宮はかぶりを振って否定する。
「俺は、南条以外には考えられない……」
「知るか、お前の意見などどうでもいい。……とにかくそういうことだ、桃子。これは大巫女様直々のご采配によるもので、私たちには最初から拒否権なんてないんだよ。そして、たとえ憑坐といえども、この件に関しては一切の干渉を禁じる――とのことだ。いいな、西宮」
忍の言葉を受けて、西宮は心底悔しそうに舌打ちしていた。
「忍ちゃん、あの――」
「伝えたかったのはそれだけだ。邪魔したな」
自分の言いたいことだけを言うと、忍は本当にさっさと行ってしまった。
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