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終章 春の精霊

私の王子様

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 トゥーリが向かった先は、古びた旧学舎にある一室――学園長室だった。
 ノックをして入ると、白髪の美しき老婦人が彼を出迎えてくれた。

「戻ってまいりました」

「お帰りなさい。わざわざ挨拶に来てくれたの? 気を遣わなくてもいいのに。今から彼女のもとへ向かうのでしょう」

「その前に、いとしいあなたのお顔を拝見しておきたくて」

「相変わらず上手いのね。もうすっかり人間そのものだわ。……いえ、今はもう人間以上の存在だったわね」

 ウルリーケは、少し寂しげな表情でトゥーリにそう言った。

「ウルリーケ、あなたにお聞きしたいことがいくつかあるんです。尋ねても……?」

「ええ、構いませんよ」

 老婦人はゆっくりと頷いた。

「あなたは最初からご存知だったんですか? 僕が四季精霊――春の精霊に生まれ変わることを」

 トゥーリの言葉に、ウルリーケは少しだけ言い淀む。

「……確証は、なかったわ。でも、予言にそう出たのはたしかね。ええ、そうよ、知っていたわ。でも、話してしまって変に希望を持たせるのは良くないと思ったの。もし違う結果になってしまったら目も当てられないもの。だからあえて黙っていた。あなたやソルエルに恨まれて、殺される覚悟で私はその予言に賭けた。
それでも、運命の歯車はなかなかかみ合わず、何が原因かもわからないまま、結果、春の精霊の誕生がこんなにも遅れてしまった。おそらく、以前のあなたには、何らかの役割が残されていたのでしょうね。けど、それが何なのかまでは私にもわからなかった。
今になって思えば、あなたがある一人の少女の凍った心を解かすことによって、成立するものだったのかもしれないわね。愛を知って初めて、あなたは魂の生を得ることができた。だから、四季精霊として生まれ変わることができたのではないか、と。すべて憶測にすぎませんが。……私が憎い? トゥーリ」

「まさか。僕が最初にその愛を教えてもらったのは、あなただというのに。今のお話を聞けて、とても安心しました。少なくとも、僕が春の精霊として転生することは、あなたから望まれていたことなのですね。僕はてっきり、あなたに捨てられたのだとばかり思っていた」

「まあ、どうして?」

 少女のようにあどけなく首を傾げる彼女に、トゥーリは穏やかな笑みを浮かべていた。

「僕は初め、不帰かえらずの契りはあなたと結びたいと考えていました。でも、あなたはそれを知りながら、僕のことを拒まれた。だから、少し不安になったんです。
学友が言うには、僕はよく無茶なことをして、いろいろな人をいざこざに巻き込んでいくようですから。もしかして、そういうところをあなたにも呆れられてしまったのではないかと……。好きな人に嫌われているわけではないと、確証が欲しかったのです」

「あら、あなたが本気で傾倒している相手はもう別にいるというのに。他の女にそんな甘言を弄してもいいの?」

 ウルリーケが笑っていると、トゥーリは熱い眼差しを向けて、彼女を見つめた。

「ソルエルは、お若い頃のあなたにそっくりですね。ずっと聞いてみたかった。どうしてあなたは僕を作ったんです? レプリカだけの用途ではない、何か特別な想いを、いつもこの身に感じていました」

 トゥーリがそう言うと、老婦人は静かに目を閉じて、昔の記憶に思いを馳せた。

「そうね。もう遠い昔、あなたを作る以前のこと。結婚の約束をした人が戦地に赴くことになったの。限りなく生存の可能性の低い、激戦区の紛争地に。そして、案の定帰らぬ人となってしまった。初めは仮の精霊レプリカを作るとき、彼と瓜二つの容姿にしようとしていたわ。
でも作っていくうちに、自分の寂しさを紛らわすために誰かの面影を重ねることは、彼にもこれから作り出す独創精獣オリジナルにも失礼だと思うようになって。――勘違いしないで。昔の恋人にあなたを重ねるなんて、そんな悪趣味なことはしていないわ。
そうね、あなたに並々ならぬ思い入れが私にあるとすれば、それは徹底的に、自分の趣味に走ることにしたからだわ。少女のころを思い出して、この際心に思い描いていた、完璧な理想の王子様を産み出してやろうと、それはもう執念深く、丹精込めてあなたを作り上げた」

 ふふ、と彼女は可愛らしく口元を押さえる。

「でも、やっぱり完全に自分の理想に近づけるのは難しいと痛感したわ。性格や気質は、私の好みとはまるでかけ離れてしまったもの。まあでも、それで良かったのかもしれない。姿形だけでなく、人格までもがすべて好みだと、さすがに他の人に取られるのが心苦しくなってしまうから」

 それを聞いて、トゥーリは目を瞬かせていた。

「……今の僕なら、手離しても何ら気に病まないと?」

「ええ、そうね。もうあなたは私の手を離れた身ですもの。どこへなりとも好きなところへ行けば良いわ」

「そんな、つれないなぁ」

「あなたはいつも自分からもめ事を起こしにいく性質を持っている。それも一切の悪気なくね。自覚があるだけまだマシなのでしょうけど。はっきり言って、そんな人のそばにい続けなくてはならない立場など、私はごめんですもの。私はもっと穏やかに生きていたいの」

「どの口がそれを……――あ、いえ。なるほど、その通りですね」

 四季精霊ですら気圧されてしまうほどの彼女の貫禄と迫力は、もはや人類としての枠に収まりきらないのかもしれない。彼女の寿命もまた然り。

 自分にとってこの世で一番恐ろしい存在は、この美しき老婦人だと、トゥーリは心から思わずにはいられなかった。

「さあ、彼女が待っているわ。早く行って安心させてあげなさい」

「はい、ありがとうございます。それでは行ってまいります」

 扉が閉まり、足音が遠のいていくと、ウルリーケは独り、ぽつりとつぶやいていた。

「気を付けて……。さようなら、私の王子様」


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「おっせーよ! 言い出しっぺがいつまで待たせんだよ」

 学園長室を出て、旧校舎一階の広々としたエントランスホールに着くと、待ちくたびれた様子のルビとマイスが、準備万端と言わんばかりにトゥーリを出迎えた。

「ごめんごめん」

 大して悪いとも思っていなさそうな口ぶりのトゥーリを、ルビが肘で小突く。

「学園長先生と何話してたんだよ」

「う~ん……内緒」

「は? 怪しいな。なんかまた変なこと企んでんじゃねーだろな」

「それは誤解だよ。ウルリーケとは、個人的な話をしてきただけ」

「いい加減、浮気もほどほどにしておかないと、本命の相手をいつ誰に奪われるかわかったものではないぞ。せいぜい用心することだな」

 マイスがいつになく強気な笑みでそう言った。その目が冗談を言う目ではなかったため、宣戦布告されたトゥーリよりも、そばで聞いていたルビのほうが、むしろぎょっとしているくらいだ。

「それ、誰に向かって言ってるつもり? 大口叩いてる割には、僕がいないと女の子一人、口説くこともさらってくることもできないくせに。まあ、二人ともその度胸だけは認めてあげるよ。今は半端者でもこれからの将来性に期待ってことで」

「やっぱむかつく、こいつ」

「同感だ」

 ルビだけでなく、マイスまでもが悪態をつく始末だった。
 そんなルビとマイスを見て、いかにも満足そうにトゥーリは笑った。

「さあ、行こうか。ラップランドへ」

 時刻は夜に差し掛かっていたが、まだ日が落ちる気配はない。
 夏の足音がすぐそこまで近づいていた。
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