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春の章 魔法の使えぬ魔法使い
九つ首の大蛇
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「くそっ、お前らふざけんなよ、全員ぶち殺してやる!」
ルビが激昂して今にも飛びかかっていきそうになっているのを、マイスが必死で制した。
「落ち着け、ルビ! 下手に動けば危ないのはソルエルなんだぞ!」
マイスにきつくたしなめられ、ルビは血がにじむほど唇を噛みしめた。
ルビとマイスが動けないでいるのを男たちはニヤニヤと眺める。
「そうそう、大人しくしてな。その手に持ってるものも荷物も、今すぐこの場で全部捨てろ。灯りもだ。さあ、何ぼさっとしてる。早くしろ!」
ソルエルを抱えた男がさらに脅すように、彼女の喉元に短剣を食い込ませた。
「やめろ!」
その様子を見ていられなかったルビとマイスが、悔しそうに歯噛みしながら持っていた木の棒と魔灯照明具、それから大切な荷物までも、すべて放り投げた。男たちはそれらを手早く回収すると、満足げに鼻を鳴らした。
ルビとマイスの二人は懐にまだ短剣を忍ばせていたが、そうやすやすと取り出すことはできそうになかった。
それより何よりも、本当は今すぐにでも魔法を使いたかった。このならず者たちからは少しも魔力を感じない。おそらくは魔法使いや魔導師ではない一般人だ。一般人であれば、魔法さえ使うことができれば、撃退することなど造作もないだろう。
しかし、日付が変わるまでまだ三十分以上もある。そのあいだどうやって時間稼ぎをするべきか。
マイスは自身に含みがあることを悟られないように、年相応の少年らしく、慌てふためく振りをして男たちに声をかけた。会話をすることで、少しでも相手の行動をとどまらせることができれば、と考えていた。
「あ、あんたたち何者だ? アカデミーの関係者じゃないな」
「ああ、そうだとも。グランツ・アカデミーは野外実習とやらの真っ最中だって情報を仕入れてな。しかも生徒たちは一切の魔法が封じられているという話じゃないか。
普段なら俺たち普通の人間が逆立ちしたって勝てやしねえ鉄壁の魔法使いどもが、この実習のあいだだけは普通のガキになってるんだ。そんな千載一遇の大チャンスを逃す手はねえ。
俺たちはこの機に便乗して魔法使いの子供をさらいにきたのさ。侵入するのには骨が折れたが、苦労した甲斐あって良さげな獲物が手に入った」
そう言うと、男は手の内にあるソルエルを下卑た表情で見つめた。
ルビがぎりりと歯をきしませる。
「ソルエルをどうするつもりだ!」
「決まってるだろう、魔力を奪うんだよ。魔法使いを殺せば、殺った人間がその力を収得できるそうじゃないか。これで俺も晴れて魔法使いの仲間入りってわけだ」
男の卑劣極まりない話を聞いても、三人は内心では驚いてなどいなかった。それというのも、魔法使いの子供の身を庇護するために、魔法学校では最初にまずその大事な事実を徹底して教え込まされるからだ。魔法使いの魔力は、殺して奪うことが可能だということを。
男の言葉は、まさに授業で教師たちが、魔法使いがならず者に襲われたときの例を体現したときとそっくりそのままだと言っても差し支えないほど典型的なものだった。
魔法使いを殺せば、どういうわけか殺した者にその魔力がそっくり譲渡される。なぜそういった仕組みになっているのかは、現在でも解明されてはいない。
その仕組みのため、魔法使いは魔力を欲する人間から、いつもその命を狙われ続けるという宿命を背負わされることになる。
例えば、仮想精獣を倒せばその仮想精獣の魔力経験値が手に入るが、それはつまり、倒した相手の力が手に入るということだ。とはいえ仮想精獣の場合は、所詮は魔法使い・魔導師の想像の産物であるため、そっくりそのままその仮想精獣の力が手に入るわけではないのだが。
そして、その法則は魔法使い・魔導師が倒されたときも同じだった。そういった理由があり、まだ満足に自分の身を守れない魔法使いの子供は、魔法発現の徴が現れれば、すぐにでもどこかの魔法学校に保護してもらうことが、一番安全でありその子のためなのだ。
部外者に命を狙われやすい魔法使い・魔導師だからこそ、その苦悩を理解し合えるのは所詮身内だけだということで、魔法界の結束は時代とともに、より強固なものとなった。閉ざされた世界の中で幼少期から育まれることもあり、魔法使い・魔導師間では、仲間の命を何よりも尊ぶ。
そして、その中で生まれた、とある特殊な魔法界独自のルールがある。
もしも仲間が死を目前にして助かりそうもない場合に、そばにいる者が介錯人としてその苦しみを断つとともに、その死にゆく者の魔力を受け継ぐという習わしだ。
それを「不帰の契り」と呼び、魔法使い・魔導師のあいだでは、最も尊い最上級の魔法契約に値すると考えられていた。
過去、世界中で巻き起こった魔法大戦時でも、その不帰の契りにより、多くの散っていった同胞たちの力が遺された者に受け継がれていった。
魔法使い・魔導師を殺せばその力を手に入れることができるという仕組みは、本来近しい者と不帰の契りを交わすためにあるものだと、特に魔法界のあいだでは固く信じられていたが、悲しいことだが、その風習は魔法界の価値観とは一線を画す一般人たちに理解されることはなく、いつの時代も魔法使い・魔導師たちの命を危険にさらす因子となっていた。
ソルエル、ルビ、マイスの三人は、今ここであらためて学園長の言葉を思い起こしていた。
『一般社会に出れば、魔導師の力を目当てにいつ何時でも襲われる危険性があります。みなさんが考えている以上に、私たちは少数派であり常に注目され続けている存在だということを覚えておいてください』
今このような事態に陥って、初めてあの言葉の意味を理解することができた。
ルビとマイスはソルエルを人質に取られていることで身動きが取れない。――が、しかし、このまま棒立ちしているだけでは、いずれソルエルはこの一般人の男たちに本当に殺されてしまう。
マイスは考えを逡巡させた。
(彼らが今ソルエルをすぐには殺さず、人質にとるような回りくどい真似をしているのは、あわよくば、私とルビの二人も一緒に手に入れることができないかと欲を出した結果なのだろう。
彼らにとって一番困るのは、他の魔法使いや魔導師の応援を呼ばれること、もしくは私たちを取り逃がしてしまうか、私たちに自決されてしまうことだろうか。考えろ、何が一番良い手なのか……)
策を巡らせるあいだに、とにかく今は少しでも時間を稼ぎたかった。それがマイスとルビが導き出した共通の認識だった。
そして、それはソルエルも同じだったようだ。
彼女は喉元に短剣を突き付けられたまま、意外なことにそれほど臆した様子も見せず、いつものようにややへりくだった腰の低い物の言い方で、男たちとの交渉を試みていた。
「あの、みなさん……。お取込み中のところ申し訳ないのですが、ここは大変危険です。ご存知ですか? このテラ・フィールドには仮想精獣という怪物が出るんですよ。ここは特に見晴らしがよく姿を隠せるものもありませんし、こんな大人数で騒がしくしていれば、あっという間に中級以上の強力な仮想精獣に見つかって殺されてしまうでしょう。
ですから、ひとまず森に移動しませんか? 比較的安全な場所を知っています。信じてもらえないかもしれませんが、あなた方を罠にはめようと提案しているわけではありません。ただ、人質となっている私のために、友人までも危険にさらしたくはないのです。
死ぬのは怖いですが、それでも私だけにとどまらず、さらなる犠牲を出してしまうのはもっともっと嫌です。もちろんみなさんにとってもここが危険なことには変わりないので、決して悪いお話ではないと思うのですが……」
「まあ、たしかにそうだな。森にはいったん戻ったほうが良さそうだ。嬢ちゃん、こんな状況の中でなかなか肝が据わってやがる。この中で一番弱そうに見えるのにな。だが――」
ソルエルを拘束している男がにやりと笑った。
「時間稼ぎのつもりなら、あいにくその手には乗らねーよ。こんなところに長居する気なんざさらさらないからな。知ってるぞ、お前らはあと少しで……日付が変われば魔法が使えるようになるんだろう?
そうなったら目も当てられないからな。俺たちにとっては仮想精獣とやらよりも、お前ら魔法使いのガキのほうがよっぽど怖いんだよ」
この言葉を聞いて三人は、一気に絶望の淵まで追いやられてしまっていた。
(最悪だ、まさかそこまで知られているとは。時間稼ぎのことも見抜かれているようでは、もはや私たちで打てる手は何も――)
マイスが悔しそうに歯噛みすると、ルビが気づかれないようにこっそりと肩を叩いてきた。
何かを決意したような顔でルビはこくりと頷いた。どうやら互いに考えていることは同じだったようだ。
ルビとマイスはどちらからともなく、右手にはめた銀のバングルの裏側に手を伸ばしかけていた。もはや最後の手段――非常呼び出しボタンに頼るしかないと判断したのだ。それを押すということは、どんな理由があるにせよ、この野外実習をリタイアするということだ。
二人の様子がおかしいことを、ソルエルはいち早く察していた。
「二人ともやめて!」
大人しかったソルエルが急に大声を張り上げたので、ルビとマイスだけでなく、黒服の男たちも思わず驚いていた。
「でも、こんな緊急事態なんだぞ!」
「だからってあなたたちまで巻き込みたくない! 実習をリタイアするのは私一人で十分だから! 絶対にやめて!」
男たちにバングルのことまで知られてしまうのは本当に困るので、なんとか言葉の意味を悟られないようにぼかした言い方ではあったが、ようするにソルエルは、いざとなればボタンは自分で押すということが言いたかったのだと二人は察知した。
もはやそんなことを言っている場合ではない、一刻の猶予もないというのに。もたもたしていれば、確実に自分自身の命が危ないというのに。
ソルエルが、頑なにルビとマイスがボタンを押すことを拒んだのには理由があった。
どんな訳があろうと、たとえ実習中にならず者に人質にされてしまうという想定外のアクシデントに見舞われたとしても、それでもおそらくは、ボタンを押した時点で特例扱いはされないだろうと予測したからだ。
学園長がなぜあえて、魔法使いは命を狙われやすいと、実習前にあんなにも強く言い含めていたのかを考えれば、自ずとわかるものだった。
もしかすると学園長や教師陣は、あらかじめ自分たちが用意した敵以外にも、このように外部から侵入者が襲ってくるような事態も、ある程度想定していたのではないか。
ソルエルたちハイスクール二年生は、来年度でアカデミーを卒業予定であり、そして十八歳で成人し、晴れて一般社会に送り出されることになっている。うかうかしていると、その日はあっという間に訪れてしまうだろう。
そして、その日から自分の身は自分で守らなければいけなくなるのだ。誰も何も保護してはくれない。いつ今のような目に遭ってもおかしくはない。だからこそ、実習中の想定外の事態も、できるかぎりすべて自分たちで対処してほしい――と、あの学園長ならばきっと考えているのではないかと思った。
それならば、自分のミスでルビとマイスを巻き込んでしまうことだけは絶対に嫌だとソルエルは考えた。二人は出来損ないの自分とは違う。きっと将来は素晴らしい魔導師となり、国に大いに貢献することだろう。その栄光ある未来の妨げにはなりたくない。リタイアになってしまうとすれば、それはむざむざと敵の手に捕まってしまった自分一人だけで十分なのだ。
そして、何よりソルエルにはもう後がない。ここでリタイアしてしまうことは、イコール完全に彼女の退学を意味している。できることなら最後の最後まで、どうにかしてあがきたいと思っていた。
ソルエルが突然ルビとマイスに「絶対にやめて」と叫んだことで、男たちはソルエルたち三人をよりいっそう訝しむようになった。
「なんだ? 何を言ってやがる。少しでも妙な素振りを見せたら、即この場で女をぶっ殺すぞ」
黒服の男たちは凄みのある声で再び三人を脅迫した。
そのあいだに男の一人が、奪ったソルエルの荷物を漁り始めていた。そして、彼女のリュックサックの中から圧縮器を発見した。
「この立方体の黒い水晶……知ってるぜ。これででっかい荷物も何もかも全部、頭で念じるだけで圧縮して持ち運びができるんだとよ」
「マジかよ、魔法使いすげーな」
「でっかい荷物、ねぇ。そういやあ、ここにもちょうどでっかい荷物があるよなぁ」
ソルエルを抱えた男が、彼女を見ながらこれ以上ないほどに顔を歪めてにやりと笑った。
その顔を見て、ソルエルは口の中でかみ殺したような微かな悲鳴をあげた。本当に恐怖を感じたとき、人は叫ぶことなどできないのだということを悟った。
男のとんでもない言葉を聞いて、ルビもまた信じられないようにその目を大きく見開いていた。
「おい……何考えてんだ、よせ。正気かよ、人間を圧縮器に入れようだなんて。その中は、人間の理屈じゃ到底説明がつかないような異空間になってるんだぞ。生きた人間なんて入れたらどうなっちまうか……」
「そうか、なら実験として試してみる価値はあるな。運悪く死んじまったとしても、俺がその方法で魔法使いを殺すってことに変わりはないし、たとえ何かしら失敗したとしても、ここにはまだ魔法使いの子供は二人も残っていることだし」
ソルエルを抱えた男が、ソルエルの目の前に圧縮器を掲げてみせた。
もはやこれでは、非常呼び出しボタンを押したところで、助けが来るまで間に合いそうもない。
「ダメだ……やめろーーー!」
ルビとマイスがソルエルを助け出そうとほぼ同時に飛び出しかかった、そのとき。
彼らの背後の湖で、凄まじい水しぶきの音がした。――と同時に、湖水が一気にあふれ返り、ものすごい勢いで湖岸に押し寄せてくる。
まるで津波のような現象が起こり、ソルエルたちも、そして黒服の男たちも、全員が立っていられずあっという間に森付近まで押し流されてしまっていた。
ソルエルを抱えていた男も、勢いよく押し流された反動で、ついにはソルエルを手放してしまっていた。
水が引いてやっとの思いで立ち上がることができたソルエルは、男たちから解放された安心感から、慌ててルビとマイスのもとへ駆け寄った。
「ソルエル、無事か!」
「ルビ、マイス、ごめんなさいっ……」
ずぶ濡れになっていることも厭わずに、ソルエルは二人の腕に飛び込んでいた。
――しかし、男二人の腕が間もなく小刻みに震え始めたのを見て、ふと彼らの顔を見上げた。
ルビとマイスはソルエルの身体を何かから必死で守るように抱えながら、明後日の方向に視線を向けて表情を凍り付かせていた。こんな二人は今まで見たことがなかった。
ソルエルもすぐにその異様な事態に気がつき、彼らの視線の先を追った。
暗い夜空を巨大な影が覆い、さらに辺りを暗くする。こんな夜でも地面に影はできるのだということを知る。それほどまでに、天を覆い隠してしまった巨大な異物が現れていた。
無数の滑らかな鱗に覆われた草食恐竜のような胴体の上に、うごめく蛇の首が九つ。それぞれがまるで獲物をねだるように牙をむき出しにして、口を大きく開けていた。
一度見たら絶対に忘れられない、特徴的で禍々しい姿のフォルム。魔法界においても人々に語り継がれてきた神話においても、あまりに名の知れ渡った水の大蛇が、九つすべての首をこちらに向けていた。
「ヒュドラ……?」
ソルエルが唖然としてつぶやいた。
「あ、ありえない……何かの間違いじゃ……」
「そ、そうだ、絶対ありえねえ。ヒュドラなんて、もはや伝説級の存在――最上級仮想精獣じゃないか。それが、何で学生実習場なんかに……」
ルビが激昂して今にも飛びかかっていきそうになっているのを、マイスが必死で制した。
「落ち着け、ルビ! 下手に動けば危ないのはソルエルなんだぞ!」
マイスにきつくたしなめられ、ルビは血がにじむほど唇を噛みしめた。
ルビとマイスが動けないでいるのを男たちはニヤニヤと眺める。
「そうそう、大人しくしてな。その手に持ってるものも荷物も、今すぐこの場で全部捨てろ。灯りもだ。さあ、何ぼさっとしてる。早くしろ!」
ソルエルを抱えた男がさらに脅すように、彼女の喉元に短剣を食い込ませた。
「やめろ!」
その様子を見ていられなかったルビとマイスが、悔しそうに歯噛みしながら持っていた木の棒と魔灯照明具、それから大切な荷物までも、すべて放り投げた。男たちはそれらを手早く回収すると、満足げに鼻を鳴らした。
ルビとマイスの二人は懐にまだ短剣を忍ばせていたが、そうやすやすと取り出すことはできそうになかった。
それより何よりも、本当は今すぐにでも魔法を使いたかった。このならず者たちからは少しも魔力を感じない。おそらくは魔法使いや魔導師ではない一般人だ。一般人であれば、魔法さえ使うことができれば、撃退することなど造作もないだろう。
しかし、日付が変わるまでまだ三十分以上もある。そのあいだどうやって時間稼ぎをするべきか。
マイスは自身に含みがあることを悟られないように、年相応の少年らしく、慌てふためく振りをして男たちに声をかけた。会話をすることで、少しでも相手の行動をとどまらせることができれば、と考えていた。
「あ、あんたたち何者だ? アカデミーの関係者じゃないな」
「ああ、そうだとも。グランツ・アカデミーは野外実習とやらの真っ最中だって情報を仕入れてな。しかも生徒たちは一切の魔法が封じられているという話じゃないか。
普段なら俺たち普通の人間が逆立ちしたって勝てやしねえ鉄壁の魔法使いどもが、この実習のあいだだけは普通のガキになってるんだ。そんな千載一遇の大チャンスを逃す手はねえ。
俺たちはこの機に便乗して魔法使いの子供をさらいにきたのさ。侵入するのには骨が折れたが、苦労した甲斐あって良さげな獲物が手に入った」
そう言うと、男は手の内にあるソルエルを下卑た表情で見つめた。
ルビがぎりりと歯をきしませる。
「ソルエルをどうするつもりだ!」
「決まってるだろう、魔力を奪うんだよ。魔法使いを殺せば、殺った人間がその力を収得できるそうじゃないか。これで俺も晴れて魔法使いの仲間入りってわけだ」
男の卑劣極まりない話を聞いても、三人は内心では驚いてなどいなかった。それというのも、魔法使いの子供の身を庇護するために、魔法学校では最初にまずその大事な事実を徹底して教え込まされるからだ。魔法使いの魔力は、殺して奪うことが可能だということを。
男の言葉は、まさに授業で教師たちが、魔法使いがならず者に襲われたときの例を体現したときとそっくりそのままだと言っても差し支えないほど典型的なものだった。
魔法使いを殺せば、どういうわけか殺した者にその魔力がそっくり譲渡される。なぜそういった仕組みになっているのかは、現在でも解明されてはいない。
その仕組みのため、魔法使いは魔力を欲する人間から、いつもその命を狙われ続けるという宿命を背負わされることになる。
例えば、仮想精獣を倒せばその仮想精獣の魔力経験値が手に入るが、それはつまり、倒した相手の力が手に入るということだ。とはいえ仮想精獣の場合は、所詮は魔法使い・魔導師の想像の産物であるため、そっくりそのままその仮想精獣の力が手に入るわけではないのだが。
そして、その法則は魔法使い・魔導師が倒されたときも同じだった。そういった理由があり、まだ満足に自分の身を守れない魔法使いの子供は、魔法発現の徴が現れれば、すぐにでもどこかの魔法学校に保護してもらうことが、一番安全でありその子のためなのだ。
部外者に命を狙われやすい魔法使い・魔導師だからこそ、その苦悩を理解し合えるのは所詮身内だけだということで、魔法界の結束は時代とともに、より強固なものとなった。閉ざされた世界の中で幼少期から育まれることもあり、魔法使い・魔導師間では、仲間の命を何よりも尊ぶ。
そして、その中で生まれた、とある特殊な魔法界独自のルールがある。
もしも仲間が死を目前にして助かりそうもない場合に、そばにいる者が介錯人としてその苦しみを断つとともに、その死にゆく者の魔力を受け継ぐという習わしだ。
それを「不帰の契り」と呼び、魔法使い・魔導師のあいだでは、最も尊い最上級の魔法契約に値すると考えられていた。
過去、世界中で巻き起こった魔法大戦時でも、その不帰の契りにより、多くの散っていった同胞たちの力が遺された者に受け継がれていった。
魔法使い・魔導師を殺せばその力を手に入れることができるという仕組みは、本来近しい者と不帰の契りを交わすためにあるものだと、特に魔法界のあいだでは固く信じられていたが、悲しいことだが、その風習は魔法界の価値観とは一線を画す一般人たちに理解されることはなく、いつの時代も魔法使い・魔導師たちの命を危険にさらす因子となっていた。
ソルエル、ルビ、マイスの三人は、今ここであらためて学園長の言葉を思い起こしていた。
『一般社会に出れば、魔導師の力を目当てにいつ何時でも襲われる危険性があります。みなさんが考えている以上に、私たちは少数派であり常に注目され続けている存在だということを覚えておいてください』
今このような事態に陥って、初めてあの言葉の意味を理解することができた。
ルビとマイスはソルエルを人質に取られていることで身動きが取れない。――が、しかし、このまま棒立ちしているだけでは、いずれソルエルはこの一般人の男たちに本当に殺されてしまう。
マイスは考えを逡巡させた。
(彼らが今ソルエルをすぐには殺さず、人質にとるような回りくどい真似をしているのは、あわよくば、私とルビの二人も一緒に手に入れることができないかと欲を出した結果なのだろう。
彼らにとって一番困るのは、他の魔法使いや魔導師の応援を呼ばれること、もしくは私たちを取り逃がしてしまうか、私たちに自決されてしまうことだろうか。考えろ、何が一番良い手なのか……)
策を巡らせるあいだに、とにかく今は少しでも時間を稼ぎたかった。それがマイスとルビが導き出した共通の認識だった。
そして、それはソルエルも同じだったようだ。
彼女は喉元に短剣を突き付けられたまま、意外なことにそれほど臆した様子も見せず、いつものようにややへりくだった腰の低い物の言い方で、男たちとの交渉を試みていた。
「あの、みなさん……。お取込み中のところ申し訳ないのですが、ここは大変危険です。ご存知ですか? このテラ・フィールドには仮想精獣という怪物が出るんですよ。ここは特に見晴らしがよく姿を隠せるものもありませんし、こんな大人数で騒がしくしていれば、あっという間に中級以上の強力な仮想精獣に見つかって殺されてしまうでしょう。
ですから、ひとまず森に移動しませんか? 比較的安全な場所を知っています。信じてもらえないかもしれませんが、あなた方を罠にはめようと提案しているわけではありません。ただ、人質となっている私のために、友人までも危険にさらしたくはないのです。
死ぬのは怖いですが、それでも私だけにとどまらず、さらなる犠牲を出してしまうのはもっともっと嫌です。もちろんみなさんにとってもここが危険なことには変わりないので、決して悪いお話ではないと思うのですが……」
「まあ、たしかにそうだな。森にはいったん戻ったほうが良さそうだ。嬢ちゃん、こんな状況の中でなかなか肝が据わってやがる。この中で一番弱そうに見えるのにな。だが――」
ソルエルを拘束している男がにやりと笑った。
「時間稼ぎのつもりなら、あいにくその手には乗らねーよ。こんなところに長居する気なんざさらさらないからな。知ってるぞ、お前らはあと少しで……日付が変われば魔法が使えるようになるんだろう?
そうなったら目も当てられないからな。俺たちにとっては仮想精獣とやらよりも、お前ら魔法使いのガキのほうがよっぽど怖いんだよ」
この言葉を聞いて三人は、一気に絶望の淵まで追いやられてしまっていた。
(最悪だ、まさかそこまで知られているとは。時間稼ぎのことも見抜かれているようでは、もはや私たちで打てる手は何も――)
マイスが悔しそうに歯噛みすると、ルビが気づかれないようにこっそりと肩を叩いてきた。
何かを決意したような顔でルビはこくりと頷いた。どうやら互いに考えていることは同じだったようだ。
ルビとマイスはどちらからともなく、右手にはめた銀のバングルの裏側に手を伸ばしかけていた。もはや最後の手段――非常呼び出しボタンに頼るしかないと判断したのだ。それを押すということは、どんな理由があるにせよ、この野外実習をリタイアするということだ。
二人の様子がおかしいことを、ソルエルはいち早く察していた。
「二人ともやめて!」
大人しかったソルエルが急に大声を張り上げたので、ルビとマイスだけでなく、黒服の男たちも思わず驚いていた。
「でも、こんな緊急事態なんだぞ!」
「だからってあなたたちまで巻き込みたくない! 実習をリタイアするのは私一人で十分だから! 絶対にやめて!」
男たちにバングルのことまで知られてしまうのは本当に困るので、なんとか言葉の意味を悟られないようにぼかした言い方ではあったが、ようするにソルエルは、いざとなればボタンは自分で押すということが言いたかったのだと二人は察知した。
もはやそんなことを言っている場合ではない、一刻の猶予もないというのに。もたもたしていれば、確実に自分自身の命が危ないというのに。
ソルエルが、頑なにルビとマイスがボタンを押すことを拒んだのには理由があった。
どんな訳があろうと、たとえ実習中にならず者に人質にされてしまうという想定外のアクシデントに見舞われたとしても、それでもおそらくは、ボタンを押した時点で特例扱いはされないだろうと予測したからだ。
学園長がなぜあえて、魔法使いは命を狙われやすいと、実習前にあんなにも強く言い含めていたのかを考えれば、自ずとわかるものだった。
もしかすると学園長や教師陣は、あらかじめ自分たちが用意した敵以外にも、このように外部から侵入者が襲ってくるような事態も、ある程度想定していたのではないか。
ソルエルたちハイスクール二年生は、来年度でアカデミーを卒業予定であり、そして十八歳で成人し、晴れて一般社会に送り出されることになっている。うかうかしていると、その日はあっという間に訪れてしまうだろう。
そして、その日から自分の身は自分で守らなければいけなくなるのだ。誰も何も保護してはくれない。いつ今のような目に遭ってもおかしくはない。だからこそ、実習中の想定外の事態も、できるかぎりすべて自分たちで対処してほしい――と、あの学園長ならばきっと考えているのではないかと思った。
それならば、自分のミスでルビとマイスを巻き込んでしまうことだけは絶対に嫌だとソルエルは考えた。二人は出来損ないの自分とは違う。きっと将来は素晴らしい魔導師となり、国に大いに貢献することだろう。その栄光ある未来の妨げにはなりたくない。リタイアになってしまうとすれば、それはむざむざと敵の手に捕まってしまった自分一人だけで十分なのだ。
そして、何よりソルエルにはもう後がない。ここでリタイアしてしまうことは、イコール完全に彼女の退学を意味している。できることなら最後の最後まで、どうにかしてあがきたいと思っていた。
ソルエルが突然ルビとマイスに「絶対にやめて」と叫んだことで、男たちはソルエルたち三人をよりいっそう訝しむようになった。
「なんだ? 何を言ってやがる。少しでも妙な素振りを見せたら、即この場で女をぶっ殺すぞ」
黒服の男たちは凄みのある声で再び三人を脅迫した。
そのあいだに男の一人が、奪ったソルエルの荷物を漁り始めていた。そして、彼女のリュックサックの中から圧縮器を発見した。
「この立方体の黒い水晶……知ってるぜ。これででっかい荷物も何もかも全部、頭で念じるだけで圧縮して持ち運びができるんだとよ」
「マジかよ、魔法使いすげーな」
「でっかい荷物、ねぇ。そういやあ、ここにもちょうどでっかい荷物があるよなぁ」
ソルエルを抱えた男が、彼女を見ながらこれ以上ないほどに顔を歪めてにやりと笑った。
その顔を見て、ソルエルは口の中でかみ殺したような微かな悲鳴をあげた。本当に恐怖を感じたとき、人は叫ぶことなどできないのだということを悟った。
男のとんでもない言葉を聞いて、ルビもまた信じられないようにその目を大きく見開いていた。
「おい……何考えてんだ、よせ。正気かよ、人間を圧縮器に入れようだなんて。その中は、人間の理屈じゃ到底説明がつかないような異空間になってるんだぞ。生きた人間なんて入れたらどうなっちまうか……」
「そうか、なら実験として試してみる価値はあるな。運悪く死んじまったとしても、俺がその方法で魔法使いを殺すってことに変わりはないし、たとえ何かしら失敗したとしても、ここにはまだ魔法使いの子供は二人も残っていることだし」
ソルエルを抱えた男が、ソルエルの目の前に圧縮器を掲げてみせた。
もはやこれでは、非常呼び出しボタンを押したところで、助けが来るまで間に合いそうもない。
「ダメだ……やめろーーー!」
ルビとマイスがソルエルを助け出そうとほぼ同時に飛び出しかかった、そのとき。
彼らの背後の湖で、凄まじい水しぶきの音がした。――と同時に、湖水が一気にあふれ返り、ものすごい勢いで湖岸に押し寄せてくる。
まるで津波のような現象が起こり、ソルエルたちも、そして黒服の男たちも、全員が立っていられずあっという間に森付近まで押し流されてしまっていた。
ソルエルを抱えていた男も、勢いよく押し流された反動で、ついにはソルエルを手放してしまっていた。
水が引いてやっとの思いで立ち上がることができたソルエルは、男たちから解放された安心感から、慌ててルビとマイスのもとへ駆け寄った。
「ソルエル、無事か!」
「ルビ、マイス、ごめんなさいっ……」
ずぶ濡れになっていることも厭わずに、ソルエルは二人の腕に飛び込んでいた。
――しかし、男二人の腕が間もなく小刻みに震え始めたのを見て、ふと彼らの顔を見上げた。
ルビとマイスはソルエルの身体を何かから必死で守るように抱えながら、明後日の方向に視線を向けて表情を凍り付かせていた。こんな二人は今まで見たことがなかった。
ソルエルもすぐにその異様な事態に気がつき、彼らの視線の先を追った。
暗い夜空を巨大な影が覆い、さらに辺りを暗くする。こんな夜でも地面に影はできるのだということを知る。それほどまでに、天を覆い隠してしまった巨大な異物が現れていた。
無数の滑らかな鱗に覆われた草食恐竜のような胴体の上に、うごめく蛇の首が九つ。それぞれがまるで獲物をねだるように牙をむき出しにして、口を大きく開けていた。
一度見たら絶対に忘れられない、特徴的で禍々しい姿のフォルム。魔法界においても人々に語り継がれてきた神話においても、あまりに名の知れ渡った水の大蛇が、九つすべての首をこちらに向けていた。
「ヒュドラ……?」
ソルエルが唖然としてつぶやいた。
「あ、ありえない……何かの間違いじゃ……」
「そ、そうだ、絶対ありえねえ。ヒュドラなんて、もはや伝説級の存在――最上級仮想精獣じゃないか。それが、何で学生実習場なんかに……」
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