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ヘンリエッタ編

176.王宮情景

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 その知らせが王宮に届いたのは、ヘンリエッタ・レーゲンボーゲンが神都オイスタムへ出発してから6日ほど経った日のことだった。

 執務室の戸を叩く音に、中にいたトモテが応じると、宮廷魔道士長のユーワンが姿を見せる。

「失礼いたします、殿下」
「どうしたユーワン師?」

 父王の代から仕えるこの美貌の女魔道士のことを、トモテは頼もしい重臣として、時には母のようにさえ頼りにしている。

「早急にお耳に入れたいことがございます」

 戸を慎重に閉めると、ユーワンはトモテに近づき耳元でこう囁いた。

「オイスタムの神殿が、賢者を引き渡すと言ってきています」
「何!?」

 しっ、とユーワンはそれこそ母親が子にするように、大きな声を上げたトモテを制した。

「殿下、このことはまだ内密に……」
「そうであったか、すまぬ……」

 しかし今になってどういうことだ、とトモテは首をひねる。

「賢者をこちらに引き渡すということは、つまり……」
「ええ。事実上、アマヌスは王位を諦めたということになりますわ」
「一体神殿で何が? 一月前の会談の時は、まったくそんな気配はなかったのだが……」

 トモテの脳裏に、先だってオイスタムで会談した際の叔父の様子が蘇える。

 賢者エイト・ミウラと共にトモテとユーワンを迎えた彼は、正に傲岸不遜、既に王になったというような態度であった。

 ユーワンやトモテがいかに自分たちの継承権における優越を訴えようとも、アマヌスは「賢者が俺を選んだ」の一点張り、あまつさえ戸惑い怯える賢者に改めて自分を王だと呼ばせて見せる始末だった。

「ええ……。あの時はついわたしも感情的になってしまって……」

 あまりの態度にユーワンは激高し、「不敬である」と怒鳴りつけてしまった。するとアマヌスも売り言葉に買い言葉で腰の曲刀に手を掛け、警備の神兵隊士も色めき立つ。その場は一触即発の気配に包まれた。

「師は意外に激情家だからな……」
「そんなことはありませんわ。あの時はただ、あまりにアマヌスが……、ね?」
「う、うむ……」

 念押しされ、釈然としないながらもトモテはうなずいた。

「あの時はシナオサ聖が止めてくれなければ、血の雨が降ったかもしれんな」

 緊張の高まった部屋でその場を収めたのは、オイスタム神殿の長・シナオサの一喝であった。衝突は避けられたものの、会談は成果を上げられず、首都と王都のにらみ合いが今日まで続く結果となった。

「そのシナオサ聖が説得に当たったと聞いておりますわ」
「流石はシナオサ聖か……」

 神殿嫌いで有名であったトモテの父・ギラッカも生前、「オイスタムで信用に足るのはシナオサ聖のみ」と評価していた人物だ。改めてその存在の大きさをトモテは感じる。

「ええ。時間はかかりましたが、大神官の面目躍如と言ったところです」

 ということは、とトモテは手元の書類に目を落とす。ユーワンが来るまで取り組んでいたそれは、キウセイの街の新たな防衛体制についてまとめられた資料だ。

「やはり、ヘンリエッタ師はキウセイで命を落としたか……」
「ええ。神都の急進派の暴発……。思えばこの頃から潮目が変わったのでしょう」

 リオットをったヘンリエッタがキウセイに到着した夜に起きた神都側の攻撃•••••は、街と駐留していた王立騎士団に多大な損害を与えた。

 騎士団を指揮していた百人隊長は亡くなり、ヘンリエッタも行方がわからない。ユーワンの付けた監視も、キウセイでの戦闘に巻き込まれ命を落としている。

 黒装束の一団に取り囲まれていた、というのが最後の目撃情報だ。死体は見つかっていないが、状況からして既に命はないだろうと騎士団からの報告にはある。

「アドニス王国に何と言えばいいのやら……」
「冒険者ギルドを通して通告いたしましょう。勲章持ちとは言え、彼女は『クエスト』でこの国を訪れています。冒険者が『クエスト』中に命を落とすのは、よくあることですから」

 ユーワンがそう言った時、再び執務室の戸が叩かれた。トモテが誰何すいかすると、「ガオイでございます」と返事が聞こえる。

「ガオイ軍務卿か……。どうされた?」

 顔を仰ぐと、ユーワンはトモテにうなずき返した。「入ってくれ」と声を掛けると、口ひげをたくわえた小柄な壮年の男が戸を開けた。

「殿下……、ユーワン師もおられたか」
「はい、ガオイ卿。わたしのことはお気になさらず」

 少し目を伏せた後、ガオイはトモテに告げる。

「オイスタムから密書が届きました。アマヌスが、賢者を受け渡すためにリオットへやってくるつもりだ、と」
「そうか……、叔父上は決断なされたか」

 ユーワンが肩をすくめたのが横目で見えた。トモテは「既に聞いていた」ことを押し隠し、感心したように装った。

「あまり驚かれていないようで」
「いや、驚いたさ。ただ、アマヌス叔父もバカではない。これだけ対立が長引き、民に影響が出ていること、心を痛めていたのであろう」
「アマヌスも、引っ込みがつかなくなっていただけでしょうから」

 取り繕ったトモテの言葉に、更に布をあてるかのようにユーワンが重ねた。

「それに、シナオサ聖も説得に当たってくれていただろうからな」
「ええ。密書によれば、加えてヘンリエッタ・レーゲンボーゲン師の言葉も効いたとか……」

 何だと、と思わずトモテは身を乗り出した。

「ヘンリエッタ師は、生きているのか……!?」
「ええ、ええ、私も仰天しました。あの状況で生き延びるとは……」

 そう応じて、ガオイは「おや?」と眉間にしわを寄せた。

「アマヌスの件よりも、こちらの方が驚かれているようですが」

 小首をかしげるガオイに、「それはそうだ」とトモテは座り直した。

「死んだと聞かされていたからな。アドニス王国にどう説明しようかと頭を悩ませていた」
「ええ。確かそれは、騎士団からの報告でしたわね」

 騎士団は軍務卿たるガオイの管轄だ。皮肉を言われ、ユーワンをじろりとにらむ。

「して、ガオイ卿。アマヌス叔父はいつごろ来られると?」

 ユーワンとガオイの間の不穏な空気に、トモテは努めて明るい声を出した。

「この手紙が届いてから7日のち、と書かれておりました」

 手渡された密書を一読し、「わかった」とトモテは大きく息を吐いた。

「ようやく終わるな……。この不毛な対立が」
「ええ。先王陛下が亡くなられてから向こう、本当に長う感じました」

 深く、ガオイはうなずいた。

「賢者様が来られるなら、準備をしませんと。異世界の知識や『ゴッコーズ』、それがあればこのモウジ神国はより大きく発展いたしましょう」
「準備、か……。師の地下研究所とやらに受け入れる準備かな?」

 口調は穏やかであるが、ガオイの視線は射抜くように鋭い。それをユーワンは「ええ」と笑顔でいなした。

「賢者様が来られれば、その異世界の知識によって、我が研究所もより一層発展するでしょう。卿に関係するところで言えば、新たな武器などいかがです? 賢者様はそちらの方面に詳しいようですし、キウセイではご自慢の騎士団も悲惨なことになりましたからね。そういった悲劇も防ぐ意味でも」

 ふん、とガオイは不機嫌そうに顔を背けた。

「ともかく7日後だな。私も準備をしておこう。二人とも、ご苦労であった。下がってよいぞ」

 言い争いの気配を感じ、トモテは先んじて話をまとめる。ユーワンとガオイは頭を下げ、先にガオイが退出して行った。

「ユーワン師、あまりガオイ卿とにらみ合わないでくれ」

 残ったユーワンに、トモテは呆れたように注意した。

 モウジ神国の軍務卿は、この国の軍事面を一手に統括する最高責任者だ。騎士団以外にもいわゆる諜報機関を持ち、その人員を各街に忍ばせ情報を探っている。

 一方、ユーワンもまた諜報員を抱えていた。こちらは王立の組織ではなく、あくまで彼女の私兵であるが、ユーワンが大きな権力を持つにしたがってその影響力を伸ばしている。

 当然、ガオイにしてみればそれは面白くない。「王になろうというものが胡乱な輩を使うべきではない」と直接トモテに讒言してきたこともある。

 このこともあって、ユーワンとガオイは犬猿の仲であった。トモテがガオイの持ってきた密書の中身を知らないふりをしたのは、両者の間に余計な波風を立てないためであり、彼の矜持プライドを傷つけないためでもあった。

「殿下の御前で失礼いたしました」

 けれど、とユーワンは続ける。

「ガオイ卿、怪しいところがあるように思いませんか?」
「どういうことだ?」

 流石に聞き捨てならない、とトモテは眉を寄せる。

「キウセイの件、本当に神都の急進派の暴発なのでしょうか?」
「何!?」

 トモテは目を見開く。それ以外の可能性など、考えたこともなかった。

「神都の急進派の攻撃だとしたのも、ヘンリエッタ師が死んだという報告をしたのも、ガオイ卿配下の騎士団の者たちです。ですが、後者はここで覆りました」
「そっちも事実誤認の可能性がある、ということか……」
「もっと踏み込んで申しますれば、嘘とも……」

 バカな、とトモテは額を押さえた。ガオイ軍務卿はモウジ神国譜代の臣、代々軍務に携わる家柄で、その関係は300年にもなる。そんな彼が王室に仇名すようなことを考えるだろうか。

「例えば、内戦が起こったとして、それを鎮圧すれば軍務卿の手柄となりましょう」
「確かにそうだが……」

 いずれにせよ、とユーワンは少し微笑んだ。

「7日後の会談も警戒するに越したことはないでしょう。何が起きてもおかしくはありません」
「……そうだな」
「会場は騎士団が警備することになりましょうが、我が手勢も潜ませておきましょう」
「ああ、頼んだぞ、ユーワン師」

 もちろんです、とユーワンは優雅に一礼した。
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