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ヤーマディス編
104.傷痕の森で
しおりを挟む翌日の夕刻、ザゴスら一行はスプライマンミ近郊の森の中にいた。
「懐かしい場所だ……」
携帯式魔導灯を提げ、先頭に立つフィオはそうため息をつく。夕日は既にほとんど沈み、森の中には夜がやってこようとしていた。
この森こそが、フィオの兄フレデリックがノロイカマイタチという魔獣に殺された場所だった。彼は、無鉄砲にこの森に出かけた幼いフィオを助け、かばって死んだのだ。そのことはフィオの顔に走る傷のように、深く心に痕を残している。
「フィオ、辛かったらお屋敷の方で休んでも……」
「気遣いは無用だ、エッタ。これはダンケルス家の問題だからな」
鋭い視線でフィオは森の奥をにらんだ。その背中は、いつもより小さく見えて、ザゴスは腰から提げた斧の柄を握る手に、力を込めた。
◆ ◇ ◆
前夜、一行を屋敷の中に通すと、フェルディナンドは早速呼び出した理由を語った。
「実はな、数日前我がダンケルス家先祖代々の墓地が墓荒らしに遭ったのだ――」
ダンケルス家の墓所はスプライマンミの邸宅から1マルン(※およそ1.5キロメートル)ほど離れた山道の途上にある。数日前、そこの墓守が慌てた様子で屋敷に駆け込んできた。
(墓が、墓がいつの間にかすべて掘り起こされて――!)
フェルディナンドが墓所に向かうと、並んでいたすべての墓石は破壊され、その下が掘り起こされていた。
「これがまた、奇妙な墓荒らしだったのだ……」
掘り起こされた墓をのぞいてみると、副葬品の類はほとんどが手つかずの状態であった。ただ、棺桶だけは例外なくすべて壊され、中の骨が持ち去られていたという。
「骨が、持ち去られた……?」
震える声のフィオに、フェルディナンドは重々しくうなずいた。
「そうだ。お前の祖父母のものも、母のものも、そしてフレデリックのものもだ……」
「一体、誰がそんなことを……!」
拳を握るフィオに、わからぬ、とフェルディナンドはかぶりを振った。
「墓守の話では、前夜に見回った時には異常はなく、翌朝起きてみると既に荒らされた状態だったという」
深夜の内に墓守に気づかれずにすべての墓石を破壊し、墓穴を掘り返したとなると尋常の業ではない。
「エッタ、骨って何か使えんのか?」
「何かとは曖昧な質問ですわね」
肩をすくめつつエッタは答える。
「そうですわね。現代では邪法とされるものの中に、『反魂の法』というのがありますわね」
海底にある死者の国を治める「海の神」の力を借り、死体を媒介に死者の魂を生者の世界に呼び戻す魔法だという。
「死者を、蘇らせるということか?」
フィオの問いに、エッタはうなずいた。
「バックストリアにいた頃、邪法についていろいろと調べていたんですが、その時にこの『反魂の法』についても読んだことがあります。それによれば膨大な魔力が必要らしく、誰も実現したことはない机上の空論、という感じでしたわね」
死者を生者の世界に呼び戻すのは「この世の原理原則に反する」と邪法の烙印を押されて以降、研究も封印されているはずだ、とエッタは付け加えた。
「だから目的としては怪しいですわね。嫌がらせ、と考えた方が腑に落ちます」
「嫌がらせか……。確かにそうかもしれんな」
「父上、心当たりがおありで?」
ない、とフェルディナンドは断言した。
「領民との関係も良好であるし、我らに敵愾心を持つ『戦の女神教団』のものが領内に入ったという情報もない」
田舎なので見慣れぬものがやってくるとすぐにわかるのだ、と何故かフェルディナンドは自慢げであった。
「だが、嫌がらせが目的であったと考えると、確かにエッタちゃんの言うように私も腑に落ちるところがあるのだ」
フェルディナンドはザゴスに目を向ける。
「ザコスくん、君は『骨を何に使うのか』と言ったな?」
「あ、はい……」
フェルディナンドは、名前は間違えて覚えたままだったが、ザゴスのことを受け入れた様子であった。訂正は特にせずにザゴスはうなずく。
「骨は何にも使われておらんのだ」
「父上、それはどういう意味です?」
「骨は魔獣になった。シリョウオオカミが裏の森を歩いておるのを、スプライマンミの住人が見たそうだ」
シリョウオオカミは人間の骨に魔素が付着して誕生する魔獣だ。死体が埋葬されずに転がる戦場跡などで見られる。骨に含まれる魔素を吸着する物質が生物の死後も残っており、骨が一所にたくさん集まることで、物質の吸着した魔素の量が魔獣発生の閾値を超えて発生する。
ただ、死体が埋葬されないと死者の魂は水底の死者の国にたどり着かないという迷信があるため、シリョウオオカミは埋葬されなかった死者の怨念だという俗説が根強くあった。
「このままでは、我が家の骨から生まれた魔獣が領民を襲いかねない。森には近づかないように言い含めているが、長引けば彼らの生活にも悪影響が及んでしまう」
本来ならば、魔獣討伐をイアクにある冒険者ギルドに依頼すべきところだが、「そうもいかない」とフェルディナンドは眉間にしわを寄せた。
「シリョウオオカミが出たとなれば、一体何の骨が原因だったのか詮索されてしまう。そうすると、我が家の墓所が墓荒らしに遭ったことが表沙汰になってしまう」
それは家の名誉のためにも避けたいことだ、とフェルディナンドは苦しげだった。
「なるほど、内々に処理するためボクを呼び出したのですね」
そうだ、とフェルディナンドはうなずいた。
「これはダンケルス家の問題だ……。エッタちゃんやザコスくんは、『没落貴族が何の名誉にこだわるのか』と疑問に思うかもしれん」
いつだったかフィオがザゴスに言ったような自虐をフェルディナンドは口にする。
「だが、没落しているからこそ、これ以上家名に泥を塗りたくないと、そういう誇りもあるのだ。二人には迷惑をかけるが……」
「迷惑だなんて、そんなことおっしゃらないでくださいな」
「そうですぜ! フィオの家の問題は、俺らの問題ッスよ!」
エッタはフェルディナンドに微笑みかけ、力強くザゴスは胸を叩く。
「すまない……。勝手な話だが、よろしく頼む……」
フェルディナンドはそう頭を下げた。
◆ ◇ ◆
シリョウオオカミは日が落ちてから活動を開始する夜行性の魔獣である。そのため、ザゴスたちは日が暮れるのを待って裏の森へ赴いた。
「最近、フィオの心をえぐるような話が多いですわね」
携帯式魔導灯に火を灯し、エッタはザゴスに囁いた。魔法の使えないザゴスは携帯式魔導灯が使えないため、明かりを持つフィオかエッタのどちらかと常に行動を共にせねばならない。
「この嫌がらせってよぉ、もしかして『オドネルの民』の仕業じゃねぇか?」
「どうでしょうね……。彼らがフィオを邪魔に思っているのは事実でしょうが、わざわざ嫌がらせのために墓を荒らすとは思えませんわ」
確かにそうか、とザゴスは納得する。マッコイでのことを考えれば、もっと直接的な危害を加えてくるだろう。
「……止まれ」
先頭を行くフィオが短く警告し、ザゴスとエッタは足を止め前方を警戒する。
携帯式魔導灯に照らされた木立の間にそれはいた。
靄のような体を持つ、10シャト(約3メートル)程の体高の巨体。靄の中には何百もの人間の骨が絡み合っており、それが獣の姿を作っている。間違いない、シリョウオオカミだ。
「では、手はず通りに」
フィオと位置を入れ替わるようにして、エッタがシリョウオオカミと差し向う。
魔獣は本物の狼さながらに、姿勢を低くしてうなる。エッタは携帯式魔導灯を持たない方の手を向けた。
「あなたにはこれで充分です。旋風塁壁!」
エッタとシリョウオオカミの間に、つむじ風が立ち上る。風属性中級魔法、相手の動きを制限する竜巻の風を作り出す魔法だ。
飛びかかろうとしていたシリョウオオカミであったが、旋風塁壁の発動によりそれを思いとどまった。両足に力を込め、風の壁を飛び越えようとする。
「ここ! 塁壁破砕!」
旋風塁壁として回転しながら留まっていた風の魔力が、跳躍したシリョウオオカミに突風となって直撃する。魔獣の体を構成する靄が揺らぎ、狼の形が保てなくなる。
今だ。ザゴスは腰の斧を抜き放った。
「オラァ!」
ごちゃごちゃした靄の塊と化したシリョウオオカミに、ザゴスは斧を振り下ろす。
剣聖討魔流奥義・斬魔の太刀――!
骨と骨を結ぶ魔力の乱れに、魔法を打ち消す刃が叩きつけられると、シリョウオオカミの体を形作る靄がかき消えた。
「風が効く靄でよかったですわ」
ばらばらと草むらに落ちる骨を見ながらエッタはホッとしたように微笑んだ。
「大体風で飛ばせるもんじゃねぇのかよ」
かつて「ボクスルート山地」で出くわしたカガミウツシのことを念頭に、ザゴスは問うた。
「相手の魔力の属性によりますわね。シリョウオオカミは土属性の魔素を帯びていたようなので風が効きましたが、例えば水辺に出るこの手の靄状霧状の魔獣の場合、火属性熱系統が有効だったりするので一概には言えないんですのよ」
はー、とザゴスは感心する。魔法が使えないザゴスなので、そういうことに意識を向けたことはなかった。イーフェスはそういうの気にして魔法使ってたんだろうな、とかつてパーティを組んでいた魔道士のことを思う。
「さて、戦闘は思った以上に楽勝でしたが、ここからが大仕事ですわよ」
「すまないな、みんな。視界が悪いが……」
「ヘッ、そこまでやって『クエスト』完了だろ、今回はよぉ」
言ってザゴスはしゃがみ込み、手近に落ちた大きめの骨を拾い上げると、持参した袋の中に入れた。
「地道に拾ってまいりましょう」
エッタも携帯式魔導灯を地面に置き、しゃがみ込んで骨を集め始めた。
すべての骨は入り混じってしまい、どれが誰のものかは最早判然としない。それでも、合祀という形で埋葬したい、というのがフィオとフェルディナンドの希望だった。
作業は深夜まで続いた。
袋いっぱいに集まった骨を担ぎ上げ、ザゴスはフィオを見やる。携帯式魔導灯の明かりに照らされたその表情は、疲れ以上に悲しげに映った。
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