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幕間
その時のアドイックの冒険者たち(下)
しおりを挟むアドイックの冒険者一行が「ボクスルート温泉郷」に着いたのは、日が西に大きく傾いた頃だった。温泉郷の創始者である勇者ヒロキ・ヤマダの像が、茜に染まった日差しによって長い影をロータリーに落としていた。
温泉郷随一の旅館である「銀の狐亭」の前で馬車で降りたグレースたちは、一路「ボクスルート山地」の奥へと歩みを進める。
途中の山道で山地現生の魔獣カガミウツシに襲われる事態はあったものの、一行は首尾よく山頂付近のサル型魔獣の縄張りへと足を踏み入れた。
「炎招来!」
魔法剣を用い、バジルが先陣を切ると、残る冒険者たちも雪崩を打って攻撃を仕掛ける。
サル共の数はひと月前よりも多いようだった。センシマシラもマドウマシラも、それぞれ100近い数がいるだろうか。
だが、物の数ではない。こちらも手練れの冒険者が揃っているのだ。バジルの双眸は、雑兵共の奥に待ち構えるカシラマシラを捕えていた。
「グレース! 魔法で道を開いてくれ!」
言われるまでもない、とグレースは錬魔していた上級魔法を撃ちこんだ。
「雪花貪狼」
吹雪が狼の形をなし、バジルたちを追い越してセンシマシラに襲い掛かる。氷の牙がサルを噛み砕き、敵陣を大きく崩していく。
「今だ、攻め込め!」
センシマシラの肉壁はことごとく攻撃魔法に打ち払われ、マドウマシラも魔法を使う暇も与えられず斬り伏せられていく。
カシラマシラまで到達したバジルは、浮足立つボスザルの四本腕をことごとく叩き落とした。
「終わりだ! 烈火大斬!」
燃え盛る刀身がカシラマシラの首を落とし、勝敗は決した。
「数は多かったけど、簡単だったわね」
既に日は西に落ち、代わりに月が辺りを照らしていた。駆け寄ってきたグレースに、バジルは「うむ」と応じた。勝利したというのに、その顔はどこかうかない。
「どうしたの?」
「先ほどクサンくんに聞いたのだが、先に出現したカシラマシラは20シャト(※約6メートル)はあろうかという巨体だったそうだ」
その言葉に、グレースは首を落とされ魔素へと分解されていくカシラマシラを見やる。なるほど、確かにこの個体は大きく見積もっても18シャト(※約5.4メートル)ほどしかなさそうだ。
「それが不満だっていうこと?」
「いや、違う……。この規模の群れのボスとしては小さいように思うのだ」
そう言えば、とグレースは整った眉をしかめる。魔獣の大きさは含有している魔素の量で決まる。当然、体に蓄えた魔素の量が多いほどその魔獣は強力になる。
「もしかすると、まだ他に……」
バジルがそう言いかけた時、クサンがこちらへ駆けてきた。戦闘には参加せず、周囲の索敵と警戒を行っていたようだ。
「おい、マズいぞ!」
その顔に緊張を見て取り、グレースもさすがに身構える。
「やられた、こいつらは囮だ……!」
見ろ、とクサンは眼下に広がる森を指差す。月明かりの下、木々がなぎ倒され大きな何かが通った跡が見えた。ふもとに向かって真っすぐ続いており、その先頭には土煙が上がっている。
「アレって……!」
「この群れには、カシラマシラが二匹いやがったんだ。今バジルが倒したヤツよりもデカいのが、温泉郷の方に向かったんだ……!」
恐らくは、冒険者が近づく気配を感じてのことだろう。
先にクサンが言ったように、魔獣は魔素のある方に向かう。ふもとの人間を狙っているのだ。冒険者の方が鍛えられていて魔素は多いが、捕食するには魔獣側も危険を伴う。冒険者を殺すよりも、一般人を殺した方が容易に魔素が手に入る。
「ボスが魔素を得るために、群れを犠牲にしたってこと?」
ふもとに下りたカシラマシラは知能が高いようだ。ということは、かなり強力な魔獣であろう。グレースは背筋が寒くなるのを感じた。
「下には用心棒連中がいるが、多分敵わねえな……」
おい、とクサンは近くにいた冒険者に声をかける。
「ふもとにカシラマシラが逃げたぞ!」
「はあ? 今バジルが倒しただろ……」
もう1匹いたんだよ、と焦れたようにクサンは言って森の方を指差した。木々の倒れた様子を見て、その冒険者もようやく事態を理解する。
「うちのパーティで何とかしてくる。お前らもすぐに来てくれよ、ここにいたのよりも強そうだからよ!」
ああ、とその冒険者は泡を食った様子で他の者たちにその旨を伝えに走った。
「帰還を使う! バジル、グレースちゃん、掴まってくれ!」
「クサンくん、そんな用意をしていたのか!」
帰還は、帰還地点と呼ばれる魔力杭を打ち込んだ場所に一瞬で戻る、探索士の魔法であった。
非常に便利に見えるが、帰還地点の維持に常に魔力を割かねばならない他、有効範囲が狭く転移できる人数も三~四人が限度と効果的に使うのは難しい。
「もしもの備えだよ。と言っても、5合目辺りまでしか戻れねぇがな……」
カガミウツシに襲われた際に、帰還地点を設置していたようだ。
うなずいてバジルはクサンの手を取った。そのバジルの手をグレースが握る。
一瞬寂しそうな顔をした後、クサンは帰還を用い、5合目へと飛んだ。
◆ ◇ ◆
息苦しい。
男がまず覚えた感覚がそれだった。
呼吸をしようとすると、何やら温かいものが入ってくる。
これは……湯だ!
がばり、と顔を上げると大きな水しぶきが立った。
男はげほげほと湯を吐き出し、たくましい胸を押さえた。
裸だ。
何も着ていないことに心細さを覚えたが、寒さはない。湯の中にいるせいか……。
そこでようやく、彼は周囲を見渡した。
何だここは?
そこは非常に広い浴槽、まるで銭湯であった。
いや、温泉か。硫黄の臭いが鼻をつく。石造りの大きな浴槽もそれを主張している。だが、客の一人の姿もなく、たくさんの椅子と風呂桶が端に積まれていた。
彼は訝しんで首をかしげた。
おかしい。俺は自宅で風呂に入っていたはずだ。疲れから寝てしまったと思ったが……。
周囲を見回して、異様なものに気が付いた。
温泉の湯を吐き出す彫像、大抵はライオンとかそういうもののはずなのだが、ここでは人の顔だった。
それも、この顔は……。
彼がそこに近付こうとした時、轟音と共に温泉が揺れた。湯が波打ち、男は均衡を崩しそうになるも、何とか踏みとどまった。
地震か……?
ともかく、湯船の中にいては危険、と男は温泉から上がった。
再び大きな揺れが温泉を、いや温泉の入った建物を襲う。屋根が崩れ落ち、その向こうから異様な顔がのぞく。
深緑色の体毛に覆われた、赤い目をした巨大なサルの顔だった。
デカい。
男は異様なそれを見上げても冷静であった。すぐにその大きさを推定する。頭からして、その背丈は優に6メートルを越すだろう。
ああ、そうか。
男は素早く動き、桶や椅子の並べられた壁面へ移動する。そして、そこに立てかけられていた床掃除用のデッキブラシを手にした。
俺は戻ってきたんだな。
ブラシの先を外し、柄を剣のように正眼に構えた。
四本腕の巨大なサル――カシラマシラは、自分の目の前のちっぽけな人間が持っているのが、ただの棒であることを悟っていた。
この個体は非常に賢かった。自分が生き残るためならば、総勢200はくだらない数に膨れ上がった群れを手放すことも惜しまない。強力な人間を殺すよりも、簡単に殺せる弱い人間を狙った方がいいことも知っていた。
この人間は簡単だ。壁を壊し浴場に足を踏み入れながら、カシラマシラは思う。手に持ってるのは「斬れるもの」じゃないし、魔法も使ってこないようだ。
ならば、食らおう。そして、他の人間も食い荒らすのだ。
「……なんてことを、考えてるんだろうけどよ」
男は大ザルにそう語りかける。元より、答えが返ってくるとは思っていない。
「そう簡単にはいかないぜ」
何せ、この俺は――。
男の柄を持つ手に力がこもる。木製のブラシの柄がほのかに輝いた。
◆ ◇ ◆
月明かりに枝を伸ばす木々をざわめかせて、クサンは駆けた。人間が通れない道を強引に高速で移動する探索士特有の魔法、縮地法である。
障害物に含まれる魔素に干渉し、それをすり抜けるようにして移動するこの魔法を使い、クサンは5合目から一目散に登山口まで下りてきていた。
縮地法ですり抜けられるようになった障害物は、魔法の使用者が通過した後も少しの間その効果が残る。グレースはバジルに手を引かれるようにして、クサンの開けた道を走る。
「……ッハァ、ハァッ!」
長い森のトンネルを抜け、ようやく山を下りるとクサンが荒い息を吐いて二人を待っていた。帰還に縮地法と連続で高等な魔法を使ったことが疲労を招いているのだろう。
「クサンくん、よくやってくれた」
「ちょっと見直したわ」
さすがにグレースもそう声をかける。
「後でたくさん褒めてくれよ」
ニヤリと笑みを浮かべると、すぐにクサンは険しい表情に戻る。そして、登山口から最も近い「銀の狐亭」の四階建ての建物を指差した。
「見ろ、デカブツ野郎に追いついたぜ……!」
そちらでは、今正に巨大なサルの魔獣が建物の裏手にある大浴場の屋根に手をかけようというところだった。
宿の支配人の話では、山に最も近いこの宿だけは、サル型魔獣の件が片付くまでは客を泊めていないらしい。ならば大浴場も無人であろう。先の魔獣の発生の際に続いて壊されるのは忍びないが、それでも被害者が出るよりはよほどマシだ。
「さあ、クサンくん。もうひと頑張りだ」
「ああ……、行くぜ」
うなずき合う男二人に続いて、グレースも足を急がせる。
「銀の狐亭」の前では、丸顔の支配人が右往左往していた。グレースらが駆け寄ると、救いを求めるような目で近づいてくる。
「ああ、よく来てくれました……!」
「すみません、一体取り逃がしまして」
「説明は後、急ぎなさい!」
律儀に頭を下げるバジルを引っ張ってグレースは建物の中に入る。
奥の大浴場へは、フロント横の廊下を真っ直ぐに進めば辿り着く。日帰り客を見越した構造であった。絨毯の敷かれた廊下を走り抜け、先頭のクサンが「男」と染め抜かれた青い暖簾をくぐる。
やはり湯治客はいないようだ。脱衣場の備え付けの棚には下着の一枚も見当たらなかった。
筵のような床を走り抜け、ガラス戸を勢いよく引いた時だった。
湯煙の向こうから大きな音が響いたのは。
「な……!」
先頭のクサンを押しのけるようにして浴場に入ったバジルが絶句した。
目の前に広がっていたのは信じられない光景だった。
天井に開いた大きな穴、破壊された奥の壁、その破壊を引き起こしたのであろう巨大なカシラマシラが、今正に真っ二つになり崩れ落ちていく。
倒したのは――最後尾にいたグレースにも、その姿が見えた。
そこにいたのは6シャト(※180センチ)ほどの背丈の、全裸の青年であった。細身だが、引き締まった体をしており、黒髪を短く刈り込んでいる。
手には、カシラマシラを倒した時に用いたと思しき得物が握られているのだが――。
「ふぅーっ……」
長い息を青年は吐くと、その得物――デッキブラシの柄を剣を鞘に戻すように腰の側面に当てる。そして、剣ではなかったことを思い出したかのように少し苦笑した。
「剣聖討魔流・剛、斬鉄の太刀……。まだできるもんだな」
しみじみと青年がそう独り言ちたのが、グレースにも聞こえた。
「君……!」
バジルの呼びかけで、ようやく青年は大浴場に入ってきた三人に気付いたようだった。魔素へと分解されていく巨大魔獣を背後に、グレースらの方へ顔を向けた。
「……ああ、どうも」
青年は少し小首をかしげる。
「君が倒したのか?」
背後の消えゆく大ザルを指したバジルに、青年はうなずいた。
「君は誰だ? 宿泊客、というわけではなさそうだが……」
宿の用心棒だろうか、という問いに青年は後ろ頭をかいた。
「え? あ、ああ……何て言ったらいいか……」
困惑した様子の青年とバジルの問答を尻目に、クサンが「ん……?」とつぶやいて、浴場の奥へと歩いて行く。
そして、湯船の奥を指して「あーっ!」と叫んで振り向いた。
「クサンくん?」
「ん? 何スか?」
クサンに指差された青年は、何度も目を瞬かせる。
「どうしたのよ?」
「見ろ、これ……」
クサンは青年を指した指をぐるりと湯船の奥に向ける。そこには、湯を吐き出す彫像があった。彫像は人の顔の形をしており、その題材となったのはこの「ボクスルート温泉郷」の創設者、ひいては300年前のアドニス王国に入浴文化を広めた人物であった。
「なっ!?」
「えっ!?」
グレースとバジルも、クサンの言わんとしていることに気付いた。二人の視線は自然と、青年の方に向く。青年も、目の前の背の低い赤毛の男の言わんとすることを悟ったのだろう、溜息をつくときまり悪そうにその彫像の隣に並んだ。
「こういうのってさ、俺どうかと思うんだよな……。よりにもよってさ、人の顔だなんて」
青年はやれやれと首を横に振って続ける。
「これも言っとかなきゃならなかったのかねぇ……。俺の像とか建てるなよ、とは言ってあったンスよ? やらかしたのが、ドルネロのおっさんなのかグリムなのかは知らないけどさぁ……」
湯を吐き出す彫像の顔と青年の顔はそっくりであった。彫像の題材となったのはもちろん、300年前の大英雄、ここの創設にかかわった関係上、「ボクスルート温泉郷」には数々の像が立っているあの男――。
「君は、まさか……?」
青年は少し肩をすくめてから、こう自己紹介した。
「俺は、山田裕樹。このアドニス王国風に言えば、ヒロキ・ヤマダ。魔王を倒して、スワイデルの街とこの温泉郷を拓いたのは俺さ。もっとも、道半ばで元の世界に帰ることになったけどね……」
困惑顔の三人を見回して、青年は「で、こっちからも聞いていいッスかね?」と言葉を続ける。
「今ってアドニア歴何年? もしかして、また魔王とか暴れてる?」
月明かりの下、裸身を晒す伝説の勇者は少し赤面して付け加えた。
「あと、何か着る物とかない?」
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