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マッコイ編
95.広場の戦い
しおりを挟む「戦の神殿」前の広場には、異様な色の霧が立ち込めていた。
白く巨大な魔獣――フェートスが吐き出すこのガスは毒性を持ち、冒険者たちは近づけずにいた。
「……なるほどな。それで手ェ出せずにいるってわけか」
広場に駆けつけたザゴスは、近くにいたマッコイの戦士――スペンサーからあらましを聞いて、困ったようにうなじに手を当てる。
毒霧の漂って来ないギリギリの場所で、スペンサーをはじめとした冒険者たちは足踏みを強いられている。
「当初、無謀にも突撃を試みた連中がいてな、この有様だ」
スペンサーは路上に寝かされた冒険者たちの方にあごをしゃくる。皆紫がかった顔色で、荒い息を吐いている。
その間を、治療にあたっているのだろう治癒士が忙しく駆け回っている。冒険者たちに混じって、二重円の紋章の入ったカソックを着た神官の姿もあった。
「ありゃ、『戦の神殿』の……?」
「ああ。もともとマッコイは治癒士の需要が少なく、数がいないのだが……」
神殿の崩落から何とか逃げおおせた者たちが、手を貸しているようだ。
「エッタ、この霧は吹き飛ばせそうか?」
ダメですわ、とエッタはかぶりを振る。
「吹き飛ばしなどしたら、街中に毒霧が散ってしまいます」
「その通りです!」
そこで新たな声がかかる。口を挟んできたのは、二重円の紋章のついたカソックを着た、年配の神官だった。ウーゴと名乗った彼は、神経質そうな咳払いをして続ける。
「コホン、よろしいですかな? 我々『戦の神殿』の神官は、偉大なる女神様の加護を受け、風の魔法を得意としていることは周知のとおりです。で、あるにもかかわらず、この毒霧を吹き飛ばすという手段に出ないことに、疑問を持たなかったのですかな?」
「……つまり、どういうことだよ?」
あまりにも回りくどい言い草に、ザゴスはスペンサーに解釈を投げた。
「街への被害を避けるために、そういう力技は使わない。そういうことだろう」
アゴ髭を撫でてスペンサーはウーゴを振り返る。
「そうです。さすがは『将軍』とあだ名される名うての冒険者だ。そこらの山賊上がりのようなご面相の、どこの馬の骨ともわからぬ、品のない大男とは大違いです」
「このガイコツジジイが……!」
思わずザゴスの手が腰の斧に伸びる。
「ぼ、暴力に訴えるのですか!? これはひどい! 何という顔に違わぬチンピラか! まるで、神殿にいながらにして我ら神官に逆らう、あのゴロツキ共のようだ……!」
ほう、と一つうなずいて、エッタはザゴスを手で制す。
「ザゴス、ステイ!」
「何だそりゃ?」
「今は揉めている場合ではありませんことよ」
エッタはウーゴに向き直り問いかける。
「そのゴロツキ共、というのは武闘僧のことですか?」
「そう、そうなのですよ、お嬢さん! 新たな勇者を召喚しよう、などとあの強欲なる商人に誑かされ、我々神官を軽視し、クロエ大祭司代理の姉君であらせられるカタリナ様を愚弄する……! 更に、我々神官を守るのが第一義的な仕事であるはずなのに、今この場にもおらず……。ともかく、許されざる者たちなのですよ!」
クロエと武闘僧隊の隊長二人の関係を見るに、神官と武闘僧の対立は見せかけであるのだが、このウーゴという神官はそれを聞かされていないらしい。このガイコツジジイ、年食ってるくせに大して偉くねえんだな、とザゴスは若干憐れみを覚える。
「ああ、そもそもセシル聖やクロエ大祭司代理は無事なのでしょうか……。地下におられるはずなのですが……。お嬢さん、何か聞いていませんかな?」
「お二人ともご無事ですわ。詳しい事情は言えませんが、そこの大きな下僕がセシル聖を背負って逃げたので。今は『ヤードリー商会』に保護してもらっています」
「誰が下僕だ!」
エッタをにらむザゴスを尻目に、ウーゴは「何と言うことだ!」と感嘆の声を上げる。
「道理でその辺のゴロツキとは違った、品のある雰囲気をまとっていると思っておりました。ええ、最初から思っておりましたよ!」
手の平返しの速さに怒る気にもなれず、ザゴスは苦笑する。
「そういう訳ですので、神官の皆さんも協力してもらえますか?」
「勿論ですよ、お嬢さん。我ら『戦の神殿』の神官一同、粉骨砕身誠心誠意、あの憎き魔獣を撃ち滅ぼすのに力を貸しましょうぞ!」
力強くウーゴは断言するが、彼の指示のもとに動く神官がどれほどいるだろうか。未知数ですわね、とエッタは小さくつぶやいた。
「あの巨大魔獣はフェートスというそうです」
スペンサー以下マッコイの冒険者の主だったものたちと、ウーゴ以下「戦の神殿」の神官たちを集め、エッタは作戦会議を始めた。エッタが、バックストリアの街の襲撃を解決した「七色の魔道士」だと知ると、冒険者たちは諸手を挙げて、神官たちはダンケルス家に繋がりのある彼女を渋々、作戦立案のリーダーに据えた。
前提として、「巨大魔獣は『戦の神殿』を狙った『オドネルの民』という秘密結社がけしかけてきたもの」という情報だけは共有している。
「わたくしの養父は魔獣の研究をしておりましてね、昔のことですが、彼からその名を聞いた覚えがありますの」
エッタの養父であり魔法の師でもあったサイラス・エクセライは、折に触れて彼女に魔獣について語って聞かせていた。
その中に、100年前の魔女ヒルダの生み出した、これまでこの世界には存在しなかった魔獣についての話があったという。
「魔女ヒルダの魔獣ですか……。確かに、強力な毒霧を吹き出す芋虫とも赤子ともつかない容姿の魔獣がいた、という話は私も耳に挟んだことがあります」
ウーゴが相槌を打つ。
「ただ、その魔獣はあのような巨大なものではなかったのでは? 森に潜む2シャト(※約60センチ)ほどの大きさのものだったと記憶しているのですが……」
「ええ、その通りです。ヒルダが棲家とした旧コーガナ城址に人が近づかないように、毒を吐き続ける門番のような役目を担っていた。そう養父も言っていました」
それがそのまま大きくなったのが、今目の前にいる巨大なフェートスだとエッタは言う。だとするならば、さしずめあれは毒霧を吐き出す巨大な柱であろうか。動きは鈍いようだが、「嫌がらせの塊のような魔獣だな」とザゴスは内心毒づく。
「俺も聞いたことがある。その毒は非常に強力で、防ぐことも解毒することもできなかった。だから当時の騎士団は、森ごと焼き払うことでその魔獣に対した、と」
スペンサーの言葉に、エッタはうなずいた。
「ただ、時間をかければ解毒できないというワケではなさそうですがね。我々の方が当時の騎士団の治癒士よりも優秀なのでしょう」
ウーゴは薄い胸を張るが、背後の若い神官たちは皆一様に首をかしげている。
「大きさだけでなく、まったく同じというわけではない、か……」
スペンサーがぽつりとこぼした言葉に、エッタは「なるほど!」と膝を打つ。
「作戦が決まりましたわ!」
車座になった一同を見渡して、エッタは立ち上がった。
「まず、冒険者さんチームは戦士と魔道士にわかれて陣形を組んでください。戦士が先頭、魔道士が後方です。神官さんチームは、更にその後ろに入ってください。わたくしもそこで奥の手の準備をいたします。そして、ザゴスは一人で毒霧に突っ込んでください」
「ざけんな!」
毒霧に一人で突っ込め、とは「死ね」と言っているのと同義である。
こんな時までテメェ、と詰め寄るザゴスに、エッタはそっと耳打ちした。
「剣聖討魔流で、毒霧に斬りかかってください」
「何!?」
ザゴスは意味を掴みかねて太い眉を寄せる。
「霧を斧で斬れってか?」
「そうです」
無茶に無茶を重ねんなよ、と目を剥くザゴスに、悪びれもせずエッタは応じて続ける。
「いいですか、あのフェートスは魔女ヒルダの『ゴッコーズ』を『模倣した魔法』で創り出されたものです」
100年前に創られたフェートスの、解毒も防御もできない毒は「ゴッコーズ」ではないか、とエッタは推測している。ならば今、「戦の神殿」の跡地にいるフェートスの毒霧は、その「ゴッコーズ」の性質を「邪」属性魔法で模倣したものではないか。
「つまり、この毒霧は魔法で造った紛い物だから、斬魔の太刀で斬れるってことか!」
地下でデジールの使った「模造・星光聖剣」を、斬り裂いたように。
「そう、つまりは無効化できるということです、なので……」
「ッシャァ! 任せろやァ!」
言うが早いか、ザゴスは立ち上がるとザゴスは斧を抜き放つ。
「な、何ですか!?」
急な大男の動きに車座になった面々がざわついた。
「行くぜオラァ!」
そう雄たけびを上げ、ザゴスは毒霧立ち込める広場へ突進していく。
「おい、よせ! 危ないぞ!」
スペンサーが叫ぶのと、ザゴスが斧を振り上げて毒霧に斬りかかるのは同時であった。
剣聖討魔流・斬魔の太刀――。
ザゴスの眼前に広がる禍々しい毒霧が、10シャト(※約3メートル)ほどであったが霧散する。
おお、という歓喜の混じった驚きが背後から響く。いけそうだ、とザゴスは再び斬魔の太刀を繰り出した。ザゴスが歩みを進めるほどに霧が晴れていく。
「なんと、これは奇跡でしょうか……!?」
「何だっていい、これならばやれる! マッコイの冒険者たちよ、陣を組みあの男に続け! 後れを取るなよ!」
スペンサーは得物の槍を振り上げ、冒険者たちに号令をかけた。「将軍」とあだ名されるギルドのリーダー格の言葉に呼応して、まず戦士が、次いで魔道士たちが広場へと向かって行く。
「し、神官諸兄! 我々も行きますぞ! 行って、その……」
ウーゴはちらりとエッタの方を振り返る。
「防御の魔法をお願いします。あの毒霧は魔法です。一旦払っても、フェートスは繰り返し吐いてきますから……」
「ならば、今こそ見せる時です! 『戦の女神』より賜りし我らの魔法、そしてそれを織り合わせし結界の秘技を!」
神官たちはうなずき合い、準備を始めた。エッタも大きく息を吐き、虹の錬魔を開始した。
気分のいいもんだな。
感嘆と歓声を背負い、刃を振り回しながらザゴスは思う。
あのガキも、こんな気分だったのかもな。ザゴスの脳裏にふとタクト・ジンノのことがよぎった。
どうしようもなかったことを打開できる力を、自分だけが持っている。そして周りはそれを無条件に肯定し、歓心と畏怖をもって接してくる。その高揚感といったらない。あんなガキだ、それに呑まれて周囲の忠告が耳に入らなくなっても不思議ではない。
忠告か。次いでザゴスの心に甦るのは、カタリナのことだった。
思えば、霧に覆われた今の状況は、あの「ボクスルート山地」で偶然彼女と出会った時と似ている。
あの時は、魔獣カガミウツシの霧に対してどうしようもなかったザゴスだが、今は違う。使っていいのだ、使うべきなのだ。身につけた力を、誰にも恥じず使うことができる。
広場の中央付近まで進んだ時、ザゴスは正面からくる殺気に気づく。反射的に身をかわすと、白い何かがザゴスの体をかすめるように飛んできた。
「! こいつは……!」
「大丈夫か!」
ザゴスのかわした白いそれを、後ろから追いついてきたスペンサーが槍の一突きで貫いた。
「む、この魔獣は……」
穂先に突き刺さるそれを見て、スペンサーは目を剥いた。
「どうやら奴さん、子持ちだったらしいぜ……。しかも見ろ、子沢山だ」
「異な事だ。芋虫とは幼き蝶だろうに……」
応じてスペンサーは槍を構え直す。ザゴスと、冒険者たちの眼前には、あの巨大魔獣フェートスの落とし子とも呼ぶべき、小さな芋虫状の魔獣が無数に這い回っていた。
未だ濃い毒霧の向こうにフェートスの威容がそびえる。縦に裂けた口から「ぼお」と声が漏れたかと思うと、その奥から毒霧と共に、白い芋虫が何十匹と這い出てくる。
「ああやって増やしてやがったのか!」
地上に姿を現してから動かなかったのは、鈍いためだけではなかった。毒霧で身を守りながら、尖兵となる小さな魔獣を産み出すためだったのだ。
「ザコ共は我らが排除する。貴殿は霧の方を頼む」
「任せろや!」
斬魔の太刀の連発は、体に強い疲労感をもたらしている。それを無視し、ザゴスは斧を振り上げた。
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