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マッコイ編

94.反転攻勢

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 マッコイの港に面した地下水路の排水溝から、一艘の小舟が飛び出した。ザゴスらを乗せ、「戦の神殿」の地下から脱出してきた、あの小舟である。

 風の魔法で加速した舟は、その飛び出した勢いのまま着水し、大きく上下に揺れた。

「ぬおっ……!?」

 投げ出されそうになるのを、へりにつかまって堪え、ザゴスはエッタの方を見やる。

「もっとゆっくりやれよ! 病気のじいさんも乗ってんだぞ!」
「そんな悠長なことを言っている場合ではありませんことよ!」

 それはもっともだが、とザゴスは病人のじいさん――セシルの方を見やる。青い顔で、どうやら気を失っているようだった。

「見なさい、アレを! デジールの下半身ときたら、思った以上に大きくなっていますわ」

 中心街から離れた港からでも、フェートスの巨体はよく見えた。異形の芋虫のような不気味な頭部から、ぼうぼうと漏れる音すらも聞こえてくる。

「あんなデカいヤツが地下から出てきたんだったら、『戦の神殿』は……」

 言いかけて、ザゴスはふと口をつぐむ。

「ま、全壊してますでしょうね」
「お前なあ……」

 飲み込んだ言葉を無遠慮に口にしたエッタを、ザゴスはにらみつける。

「本当のことじゃないですか。それぐらいわかっているでしょう?」
「皆は無事だろうか……」

 目を伏せるクロエに、エッタは鼻を鳴らす。

「そもそも虫がよすぎるんですよ。わたくしを殺そうとした上に、フィオを拘束して甚振って……。そのくせいい子ぶってお仲間の心配ですか? なんなんですかあなた。他人の心配より、この場で重石をつけて海に放り込まれないことに感謝なさいな」
「その辺にしておけ、エッタ」

 鼻息の荒いエッタを、フィオはたしなめた。

「今のところ、彼女は味方だ。あのフェートスという巨大魔獣とやり合うにしても、戦力として期待できる。それに、ボクの無実を証言してもらわねばなるまい」

 フィオはあくまで冷静であった。そう言えば、エッタがまくしたてた中に自分の名前がなかったな、とザゴスは今更ながらに気付く。

「アレとやり合うにしてもよ、このじいさんどうすんだ?」

 そんな些事に構っている場合ではない、とザゴスは気持ちを切り替えてセシルの身を案じた。この枯れ木のような老人を、あの魔獣との戦いの場には連れていけまい。

「一旦、ギルドにでも預けてはどうです? 立ち寄っている時間は惜しいですが……」
「いや、その心配は無用のようだ」

 見ろ、とフィオは海に面した擁壁の上を指す。柵の向こう、石畳の道の上に武装した兵士に守られた見覚えのある男の顔があった。

「あれは、イェンデルさん?」
「おーい! イェンデル! こっちだ! 海の方!」

 ザゴスが声を張り上げると、若き十二番頭は驚いたように振り返った。そして、ザゴスらの姿を認めたのか、柵から身を乗り出すようにして大きく手を振る。

「気付いたようだな」
「あんなバカでかい声を出さなくとも、十分妖精囁ウィスパーの範囲内なんですけど」
「魔法使うより早ェだろ」

 やれやれ、と言わんばかりに露骨に肩をすくめて、エッタは錬魔を開始する。声を送る妖精囁ウィスパーではなく、舟を動かす竜翼飛翔ウィンド・フローだ。風の翼をまとった小舟は、滑るように護岸の下に横付けになる。

「ダンケルス卿にセシル聖!? 一体どうなってんだ!?」

 護岸の上から小舟の中を見下ろして、イェンデルは目を丸くする。

「しかも、あんたそんな下着姿で……痛ッ!」

 後ろに控えていた秘書らしき女にイェンデルは足を踏まれたようだ。

「話せば長くなる。とりあえず、陸へ引き上げてもらえないか?」
「わかりました。衛兵の皆さん、ハシゴをお願いできますか?」

 足を押さえてうずくまるイェンデルに代わり、秘書の女が周りの兵士に依頼する。

「衛兵?」

 動き回る兵士たちの鎧には、確かにアドニス王国の紋章が刻まれている。

「いてて……、ダイカムの街から呼んだんだよ」

 ダイカムはマッコイから程近い中規模程度の街だ。キャラバンの中継都市の一つであり、「ヤードリー商会」との繋がりも強い。十二番頭たちは、ゲンティアン殺害について改めて捜査するために、近場の街の衛兵隊に協力を要請していたそうだ。

武闘僧バトルモンク隊じゃ信用ならない、って十二番頭会議で意見が一致してな……おっと」

 イェンデルは慌てた様子で口元に手をやる。「戦の神殿」の大祭司とその娘がいることを気にしたのだ。

「いいえ、そう思われても仕方ありません」

 クロエは悲しげにかぶりを振り、うつむいて見せた。

 こいつ急にしおらしい態度を、とザゴスとエッタは顔を見合わせた。前日、二人の前で演じて見せた「清廉な神官」そのままに、クロエは続ける。

「彼らの行動にはわたしも父も、心を痛めておりまして……。今回も、ダンケルス家の恨みから暴走する彼らを止められずに、すみません……、わたしにもっと力があれば……」
「そんな、大祭司代理を責めようってわけじゃなくて……!」

 エッタが「何を見え透いたことを」と口を挟むよりも早く、イェンデルは恐縮したように弁解した。

「何だこの変わりようは……」
「そういう女らしいぜ、どうもな」

 「清廉な神官」を演じるクロエを初めて見たフィオは目を白黒させ、ザゴスは呆れたように首を横に振った。



 ダイカムの衛兵隊が投げ下ろした縄ばしごを伝い、ザゴスらはようやく陸に上がる。

「長い話になるので、かいつまんで話しておく」

 フィオは衛兵たちとイェンデルらに、「戦の神殿」の地下であったことを語った。

「なるほど、捕まってたところにその『オドネルの民』が来た、と……」
「ええ。彼らは恐ろしい計略を立て、わたし達『戦の神殿』とダンケルス卿を陥れようとしていたのです」

 ややこしいことになると判断したのだろう、フィオは自分が拷問に近い取り調べを受けた際に、クロエがそれに加担していたことを省いていた。そのため、クロエは「清廉な神官」の皮を今のところまだ被り続けている。

「ゲンティアン殺害も『オドネルの民』の策謀で、あのデカい魔獣もその置き土産、と……」

 イェンデルの秘書・ルイーズは、無表情にクロエの顔を見下ろす。

「他にも何か隠してらっしゃるのでは?」

 こいつ鋭いな、とザゴスは感心する。イェンデルの方は「清廉な」クロエにすっかり騙されている。ダイカムの衛兵隊隊長もそれは同じだ。

「ルイーズ殿、詳細は後で我々が聴取しますので」

 大祭司代理をいじめるな、と言わんばかりの様子で、立派な口ひげを蓄えたダイカムの衛兵隊長・ラディは両者の間に割って入る。

「そうだぞ、ルイーズ。今はあの巨大魔獣だ!」
「ラディ殿がそうおっしゃるなら……。出過ぎた真似をいたしました」
「俺は……?」

 主人のはずのイェンデルには触れず、ルイーズはそう言って引き下がった。

「ラディ殿、すまないがセシル聖を保護してくれないか。ご病気で弱っておられるのだ」
「あいわかった」

 二人の衛兵が進み出て、ザゴスの背中から即席の担架にセシル聖を載せ替えた。

「卿は戦いに出られるおつもりか?」
「ああ。装備は少し心許ないがな」

 フィオは下着姿の自分の体を見下して肩をすくめた。

「なら、近くにうちの傘下の防具屋がある。鎧ならそこで調達してくれ」

 当然全部タダでいい、とイェンデルは胸を叩いた。

「では卿よ、武器はこちらを」

 ラディが「おい」と声をかけると、また別の部下が細長い包みを持ってくる。

「これは……」

 開いてみると、フィオの双剣であった。ゲンティアン殺害現場に残されていた証拠品として、接収されていたはずの品である。

「再捜査のために、ギルドから借り受けたところだったのだ。既に卿の容疑は晴れている。返却しても問題あるまい。愛剣があれば、戦いも心強かろう」
「ラディ殿、心遣い痛み入る」

 なんのなんの、と口髭の衛兵隊長は大笑した。

「あの、ところで武闘僧バトルモンク隊は、どうなっていますか?」
「えーと、そいつは……」
「市内は混乱しています。ですので、正確な戦況は我々も含め誰もつかめておりません。ただ、あのフェートスという魔獣の迎撃に出ているのは、冒険者ばかりと聞いています」

 イェンデルに代わって、ルイーズがクロエの問いに答える。

「未確認ですが、武闘僧バトルモンク隊副隊長のパブロ以下4名の遺体が見つかったとの情報もあります」
「! そんな、パブロ兄まで……!」

 崩れるようにうずくまるクロエを見て、イェンデルはルイーズをにらむ。

「お前、それ言う必要あったかよ!」
「神官たちと武闘僧バトルモンクはひどく敵対していたと聞いていたので、ここまで動揺されるとは想定外でした」

 悪びれもせず、ルイーズは肩をすくめた。

「ともあれ、今はあのフェートスという巨大魔獣ですよ」

 街に被害が出る前に食い止めないと、とエッタが口を挟む。

「確かにその通りだ」

 ザゴス、とフィオは所在なさげに立ち尽くす大男の顔を見上げる。

「すまないが、先にエッタと一緒にフェートスの下へ向かってくれ」
「おう、いいけどよ……。先にって、フィオ、お前は?」
「ボクはクロエと一緒に行くところがある」
「どういうつもりです?」

 うずくまる女神官を振り返るフィオに、エッタは眉をしかめた。

「一つは防具の調達だ。イェンデル、貴殿も一緒に来てくれるな?」
「いえ、ダンケルス卿。わたしがお供します」

 ルイーズがイェンデルを押しのけるようにして、フィオに歩み寄ってきた。

「番頭は戦闘力がなく、屁っ放り腰のヘタレです」
「言い方ぁ……」
「わたしは探索士スカウトの心得もありますので、お役に立つかと」
「そうか、ならば頼む」

 嘆くイェンデルをさて置いて、エッタは「もう一つは?」と尋ねる。

「援軍を連れてくる。それには、クロエの力がいる」

 いいだろう? とフィオはあの豪奢な棍をしゃがみこんでしまったクロエに差し出す。

「……わたしでお役に立てるのなら」

 絞り出すようにそう言って、クロエは立ち上がると棍を受け取った。

「じゃあ、俺らは先に行くぜ」
「ルイーズさん、フィオをよろしくお願いします」

 言い置いて、ザゴスとエッタは「戦の神殿」へと向かった。その後姿を尻目に、ルイーズはイェンデルに向き直る。

「我々も行きます。ラディさんの言うことをよく聞いて、大人しくしているのですよ」
「子供か、俺は! ……気をつけてな」
「では、参りましょう。こちらです」

 フィオとクロエは、ルイーズに先導されマッコイの街の路地へ入っていった。
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