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バックストリア編
64.悪魔の子
しおりを挟む魚の魔獣を撃退した後、ハンナは集落の片隅に設けられた小さな檻に入れられた。そこは集落を見下す崖の下に空いた横穴で、万が一罪を犯した者が出た時に使用される場所だった。
「海の神」の神官がどこからか調達してきた殺魔石の手枷をつけられ、日に2度の食事の時間を除けば、檻に近付くものはいなかった。産みの両親や、兄弟たちも訪ねてこなかった。
(『悪魔の子』め――)
集落の長は、ハンナをこの檻に閉じ込める時にそう言った。
魔獣が跋扈するこの世界で「悪魔」とは、邪神の使いのことであった。その悪魔の王たる魔王が300年前に討たれてからは、おとぎ話の中の存在となっていたが、信心深い集落の人々の目にハンナはそう映ったのであろう。
何せ伝承に語られる「悪魔」は、人間の中に紛れ、人知を超えた力で人々を惑わしたというのだから。
(お前を討ち果たせるものを呼んでくる。それまでこの檻で震えていることだ)
これが、「出る杭は打たれる」というものか。ハンナは恵理の記憶の中にあった、彼女の世界の言い回しを、身をもって体験した気分だった。
元々、立つのも言葉も早かった娘を、両親は不気味に感じていたのかもしれない。子供離れした問いを神官に投げかけたのも、よくなかったのだろう。
神官が見せた魔道式を、属性を問わず再現したのもよくなかった。何せ、職業魔道士ならともかく、普通の人間が二属性や三属性を使うのは異常なのだ。それが年端もいかない幼女が六属性を操ったともなれば、賞賛を通り越して恐怖を抱かれても致し方ない。
集落の人たちの信心深さは、よくわかっているはずだったのに。ハンナは唇を噛んだ。
もしかして、わたしやり過ぎちゃいました?
などと言って笑ってはいられない現実が、そこにあった。
長の言った「『悪魔』を倒せるもの」は、なかなか見つからなかったらしい。洞窟の檻で、ハンナは一月以上を過ごした。恵理の世界と1年の日数は同じであったが、ここでは1年は13か月あって、1か月は28日、最後の月だけが29日あった。
ハンナは洞窟の壁に「正」の字の傷をつけて日にちを数えた。恵理の記憶の中にある、追い立てられるような感覚に比べれば、こうして閉じ込められている方が余程気が楽だった。
「正」の字が6つ並んだ頃、エッタは檻に掛けられた分厚い布越しに、複数の人間が近づいてくる気配を感じた。
(……の中ですが、本当によろしいので?)
長の戸惑ったような声が聞こえる。
(構わない。『悪魔』かどうか、見定めようではないか)
聞き覚えのない落ち着いた声がそれに応じた。集落の人間のものとは違う、知性と気品の感じられる声音、都市部の人間だろうかとハンナは推測した。
ばさりと音を立てて、正面の布がめくられた。眩しい光に、ハンナは目を細める。これほど大きく開けられたのは、閉じ込められてから今日まではじめてだった。食事はいつも、ほんの小さな隙間から差し入れられていたから。
(君が『悪魔の子』か……)
光の中、そう言った男の顔は定かではなかった。しかし、青い三角形の帽子と身にまとったローブ、そして蓄えた髭のシルエットは、恵理の記憶の中にあった「魔法使い」の姿であった。
(さあ、おいで)
「魔法使い」はハンナを軽々と抱きかかえると、殺魔石の手枷を外してくれた。それを見て、遠巻きに眺めていた集落の人々からどよめきが上がる。危険だ、という声を無視して、「魔法使い」は続ける。
(私はサイラス・エクセライ――)
君を迎えに来た。そう、サイラスは告げたのだった。
サイラスが後に話したことによれば、3歳にして複数属性の魔法を使い、魔獣の群れを撃退した者がいた、という噂を聞き及び、あの日集落を訪ねたそうだ。
(『悪魔の子』などと言われて、処刑されてしまいかねないとも聞いたのでな。大急ぎで向かったのだ。無論、お前を引き取り、魔道士として鍛えるためだ)
バックストリアは「エクセライの研究塔」に連れ帰られたハンナは、そこで6歳までサイラスの指導を受ける。その折に、魚の魔獣を倒した時には使わなかった七種目の属性、「癒」属性をも使えることがわかった。
(お前は人の使える七属性すべてを、既に手にしているのだな)
七つか、とハンナは自分の手を見つめる。虹の色と同じだ。恵理のいた世界で彼女が暮らしていた国では、虹の色は七つだった。このアドニス王国ではどうかはわからないが。
(多くの属性を扱えるのであれば、修行の方針は一つだ。錬魔の力を鍛えるのだ)
精度と素早さを両立した錬魔。それが、複数属性を扱う魔道士の生命線だとサイラスは語った。そして、3歳の幼児には過酷とも言える修行を課した。それだけ期待が大きかったのであろう。
七属性の使い手は、アドニス王国の歴史上でもわずか12人だという。その逸材を目の前にして、サイラスも興奮していたに違いない。ハンナは、そんな養父の期待によく応えた。
修行を続けたハンナは、7歳になる年にバックストリアの魔道士養成所に入学した。この際、サイラスは彼女に告げる。
(自分の名をお前は嫌っているだろう。何、言わずともわかるさ)
呼んでも反応が薄いからな、と言われてハンナは下を向いた。確かに今の自分の名は嫌いだが、上手く返事できないのは、前世である田辺恵理の記憶と自覚があったためだった。
(養成所に入るには姓が必要になる。新たな姓のついでに、名も改めてはどうだ?)
名目上、ハンナはサイラスの養女となっていた。しかし、サイラスの家系であるエクセライ家は、養子がエクセライ姓を名乗ることを良しとしない。
ならば、とハンナは自分でそれを考えることにした。
まず、自分の操る七つの属性と関連付けて、姓はレーゲンボーゲンとした。これは恵理の世界のある国の言葉で「虹」を意味する。加えて、「レインボー」や「アルコバレーノ」といった言葉と比して、アドニス王国において「ありえそうな」音に聞こえるために、これを選んだ。
次いで名前であるが、こちらは単純に「エリ」と名乗ろうかとも考えた。しかし、「エリ」という名はある神の真名だとされているため、人への名付けには使えないとサイラスに言われた。
(八柱の神は、『旅の神』『かまどの女神』など職能で呼ばれているが、本来はそれぞれに個別の名前があるのだ)
神の名を知ることは、その神を穢すことだと信じられている。ましてや、人がそれを名乗るなど許されざる行為である。そのため、どれがどの神の名前かは伏せられ、且つ神の名ではない「囮名」が混ぜられた上で、「禁じ名」として布告されている。
(そこで神の名を選ぶとはな。偶然であろうが……)
ならば、とフルネームの「田辺恵理」をもじることにした。「田辺」の「辺」は「ヘン」とも読める。それに残る「タ」と「エ」「リ」を組み合わせた。
新たな名を聞き、サイラスは満足げにうなずいた。
(ならば今日から、ヘンリエッタ・レーゲンボーゲンを名乗るがよい)
魔道士養成所の6年コースに、ハンナ改めヘンリエッタは入学した。これは、冒険者も含めた職業魔道士を目指す者が、魔道の基礎からみっちり学ぶための部門であった。
養成所に入学可能な最小の年齢は7歳と決められていたが、7歳から6年コースに入学するのは異例のことである。入学試験も最も難しく、またついていけなくなり途中で脱落していく者も多い。
その6年コースを、エッタは主席で卒業した。6年コースの主席は、自動的に上部団体であるバックストリア大学への推薦を得られる。エッタはそれを利用し、12歳で大学に入学することになった。ちなみに、これは200年の伝統を誇るバックストリア大学の歴史上、最年少記録である。
大学では、恵理の記憶にある知識とこれまで培ってきた魔法知識を融合させ、新たな魔法の開発に取り組んだ。転送魔法を「邪法」と知らずに手を出して、厳重注意を受けたのもこの時だ。
16歳で大学を卒業した後は、約1年半の間大学内の研究室で魔法開発を続けていたが、研究室の教授との意見対立が激しくなり、研究職を辞すことになる。
養成所、大学、研究室を経て、エッタは思いを強くしたことがある。
この世界では、自分はどうやら魔法の天才らしい。
自分より年上の生徒達が、どれほど努力を重ねようとも、エッタに追いつくことはできなかった。七種の属性を扱えるだけではない。幼いころからサイラスに課された修行によって、エッタは高い錬魔の力を身に付けていた。そして、それを磨き上げる努力を惜しまない。
まるでわたしは悪役のようだ。
貼り出された成績表の前で、自分に負けて悔しがる魔法の名家の子女を見て、エッタはふと思った。
正当な血統に生を受け、正当な努力を積んできた彼らなのに、ポッと出の亜流の天才にかなわない。それはエッタの側から見ても理不尽に映った。
最初はそれを申し訳なく思った。過剰な謙譲や自粛が、恵理のいた世界では美徳とされていたから、そういう態度を取っていた時期もあった。しかし、それはかえって彼らを傷つけてしまう。
ならば「悪魔の子」として、悪役として生きた方がいい。そうすれば、彼らも溜飲を下げやすいだろう。あいつは悪い奴だ、ガンドールの血筋に連ならない亜流の魔道士だ、何か狡いことをしているに違いない。故に、正しい我々が競うような相手じゃない、と。
研究室を辞めた後、エッタは冒険者登録をした。密かに磨き続けてきた連鎖魔法を、実戦で試してみようと考えたのである。
活動拠点は、冒険者の数が多いヤーマディスと決めていた。長らく過ごしたバックストリアの街と「研究塔」、そしてサイラスの下から離れるのは寂しかったが、この世界の他の街も見てみたい、という好奇心もあった。
ヤーマディスに経つ前日、エッタはサイラスと「白の賢人亭」で食事をした。もっと高級な店でもいい、とサイラスは言ったが、思い出深いこの店を選んだ。
食事の後、エッタはサイラスにすべてを話した。即ち、自分がどうやら異世界で死んでここへやってきた、ということを。
アドニス王国には「転生」や「生まれ変わり」という考え方はない。死者の魂はすべて海底にある死者の国へ行くとされていた。そのため説明には苦労したが、サイラスは忍耐強く耳を傾けてくれた。
(そうだったか……)
サイラスはどこか納得したようにアゴ髭を撫でた。
その様子に、エッタは「自分の魔法の才は『ゴッコーズ』なのか」と半ば確認するつもりで尋ねた。エッタも300年前の勇者ヒロキ・ヤマダのことは知っている。恐らく彼は恵理と同じ世界から来たのであろう、とも推測していた。
しかし、サイラスの返答は否であった。
(七属性を使えた魔道士は、記録に残っている限り、お前で13人目だ。他国も含めればもっと数はいるだろう。珍しい才能ではあるが、前例がないわけではない。故に、『ゴッコーズ』とは考えにくい)
「ゴッコーズ」とは唯一無二のものだ、とサイラスは言い足した。もし『神』の属性をも含めた八属性ならば、「ゴッコーズ」だと考えただろう、とも。
(お前の魂が異世界から来たものであったとしても、お前は私の大事な弟子で、娘だ――)
血の繋がりのない父と娘は、この時確かに心で繋がっていたのである。
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