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バックストリア編
56.氷の城
しおりを挟む状況は芳しくないようだ。
グレースは、家屋の屋根の上から地上の様子を見下ろす。
魔獣が襲撃して来た際、自分も迎撃に出るかどうか迷った。大学には対魔獣の備えがあり、中にいれば安心だという話を周りの職員や教授がしていた。
迷っているうちに、避難して来た街の人たちの誘導を命じられる。正門の近くで、押し寄せる民衆を誘導しながらも、グレースは上空の魔獣たちの様子を気に掛けていた。
すると、一時は逃げて来た人々を追って来ていた魔獣の群れが、いつの間にか向かって来なくなっていた。群れ全体が統率された動きをしていて、それらが「碩学の蜻蛉広場」へ移動していることがわかった。
あっちに何かあるのか? そう思っていた時、強烈な魔法の気配をその方向に感じたのだ。
上空に舞い上がり、矢継ぎ早に七つの魔法を繰り出す影――それが「七色の魔道士」であることはすぐにわかった。魔獣の群れを次々と薙ぎ払い、最後は極大魔法まで用いて全滅させたその手腕に、身が震える思いだった。
同時に、強い感情が自分の中に湧き上がっていることに気付いた。アドイックを出る時に、凍らせて海の底に沈めておいたはずの感情が、硬い氷を破って海面へ上ってくる。
魔獣の群れが全滅したのも束の間、次いで城門に現れた巨大な魔獣に、グレースはいてもたってもいられなくなる。
近くにいた別の職員に誘導を押し付け、グレースは未だ押し寄せる人の波とは逆方向へ駆けた。
「苦戦しているようね――」
「ああ、恥ずかしながらな」
フィオは巨大魔獣に向き直る。魔獣は新たに登場した魔道士を警戒するように、二本の腕を地につけてこちらの様子をうかがっている。
「こいつは体は脆いが、すぐ再生しやがるんだよ!」
キリがねぇんだ、とザゴスも魔獣へ斧を向けた。
「更に、斬り落とした腕から小さな魔獣が発生するんだ」
「なるほどね……」
魔獣の特徴を説明され、グレースは静かにうなずいた。
「なら、一気に倒した方がよさそうね。そういう方法はあるかしら?」
「俺らにはねぇ」
「だが、君はどうだろう?」
あるわ、と応じてグレースは大きく息を吐く。あちこちで火の手が上がっているせいか、バックストリアの街中は熱に包まれていたのだが――その吐く息は白かった。
「極大魔法、使ってもいいかしら?」
「もちろんだ、やってくれ!」
「へっ、素直じゃねぇ女だ!」
その時、巨大魔獣は大きく咆哮した。顔のない頭が真ん中で縦に裂け、身の毛もよだつような大音声が響き渡る。同時に、闇が肩の上から生えた二本の腕に集まり、巨大な槍の形となった。
「やっこさんも本気らしいな!」
「『攻防一体の陣』である程度は防げるけど、時間を稼いでくれると嬉しいわ」
「わかっている。行くぞ、ザゴス!」
おう、と応じてザゴスは両手で斧を構え直した。
あの槍のことは、よく知っている。何せ、ここまで何十匹とブキミノヨルを倒してきたのだから。
魔獣は巨体をしならせて、左の槍を投擲する。ザゴスは傍らの砕けた壁を蹴って飛び上がり、闇色の槍に刃を振り下ろした。
「オラァッッ!」
剣聖討魔流奥義・斬魔の太刀。斧の一撃を受けて、黒い槍は魔素に分解されて四散した。
「知ってんだよ、その槍が魔法だってことはなぁ!」
ザゴスに吠え返すように、巨大魔獣はもう一度大きな声を上げた。今度は4本の腕すべてに黒い槍が現れた。投擲ではなく、槍を構えてザゴスに向けて突き出してくる。
「ラァッッ!」
大きく鋭い槍の穂先を、ザゴスは斬魔の太刀で払い、消し去った。巨大魔獣は唸り声をあげながら、次々と槍を繰り出す。
(奥義の性質を、ボクらはもっと理解する必要がある)
ヤーマディスへの途上で、ザゴスはフィオと斬魔の太刀について検証を重ねた。フィオの撃つ魔法を無効化し、時に失敗して黒焦げになりながらも、わかったことがある。
斬魔の太刀を放った空間には、しばらく魔法を打ち消す力が滞留するのだ。その性質を利用し、斬魔の太刀を帯びた斧を振り回せば。
「オラオラオラオラオラオラァ!!」
剣聖討魔流奥義之改・消魔の盾――
嵐のような連撃を、ザゴスは斬魔の太刀を振り回して打ち消す。奥義の力がどんどん滞留し、突き出される槍を次々に消滅させていく。
「どうだ、オラァ!」
息を切らしながらも、ザゴスは勝ち誇る。空の4つの手を広げ、巨大魔獣は悔しがるように夜空に吠えた。
その背後に、フィオの身体が舞う。双剣の刀身を雷が覆い、鋭く幅広の刃となった。
「秘剣・雷獣咬合断!」
バツの字を描くように放たれた斬撃が、巨大魔獣の4本腕を一度に斬り落とし、雷で焼き尽くした。
魔獣は悲痛にも響く声を上げる。腕の再生が追いついていない。遂に魔力が尽きたのか? いや、まだだ。ザゴスは見た。魔獣の頭部、縦に裂けた穴にあの黒い槍以上の魔力が集まってきていることに。
「来やがるぞ!」
ザゴスは警告を発し、斧を構えようとするが持ち上がらない。斬魔の太刀の連発が、思った以上の疲労をザゴスにもたらしていた。
「フィオ! グレース!」
フィオも秘剣の反動か膝をついている。グレースも錬魔がまだ終わっていない。
魔獣の頭部に集まっている魔素は、黒い粒子のように形を成している。そこから放たれる闇色の強烈な光線をザゴスは連想した。
まずい。そう思った瞬間だった。
「うおおおぁあああ! 石塔螺旋!」
先端の尖った回転する石柱が、魔獣の背後から伸びてその頭を貫く。
誰だ、とザゴスが見やると、魔獣の背後にボロボロの格好をした、男の魔道士の姿があった。見覚えのある顔だ、こいつは確か昼間の……。
「テオバルトか!?」
「やっちまえ! 今しかねぇぞ!」
息も絶え絶えながら、テオバルトは叫ぶ。
「……わかってるわ」
錬魔を終えたグレースの周りを、冷気が渦巻く。それは彼女の右手に集まり、雪花に似た結晶を形作る。
行け。結晶はグレースの手の平から浮き上がり、一直線に巨大魔獣に突き刺さる。
「離れろ!」
フィオはザゴスに警告し、自力で動けない様子のテオバルトを抱えて飛び退いた。
「君臨せよ、白い魔女――」
グレースは両の口角を少し上げた。通り名の由来となった「氷の微笑」である。
「永久厳冬令」
手の平程の小さな結晶から、大きな獲物に飛びかかる狼の群れように氷が噛みついていき、たちどころに巨大魔獣の身体を凍りつかせる。
ピシリ、と高い音が夜空に響く。尖塔を持つ巨大な氷の城が、魔獣を封じ込めた。
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