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バックストリア編
54.忍び寄る影
しおりを挟む夜の闇が戻った「碩学の蜻蛉広場」に、フィオはエッタを抱えて降り立った。
虹式が発動した時に準備を始め、神罰必杖覇が止んだ時には、地を蹴っていた。雷の補助魔法で加速し、壁を駆けあがって夜空へ飛び、空中でエッタを抱き止めた。
「すげぇ……。あんだけいたのに、全部倒しやがった!」
駆け寄ってきた冒険者たちの、先頭にいたリックが手を叩く。
「兄貴、もう増援はないみたい!」
尖塔の上からアイリの声が降ってくる。
「何とか、終わったようだな」
「はあ……よかった」
トレヴァーは大きく息を吐き、ユントは脱力したように座り込んだ。他の冒険者たちも、エッタとフィオを囲んで、安心したように語り合っている。
それを少し遠巻きに眺めながら、ザゴスも「やれやれ」と肩を回した。
しっかし、エッタのヤツめ。大勢を一気に倒すってことなら、あのクソガキよりも上かもしれねぇ。ザゴスはそう独り言ちた。
「や、やりましたわ……!」
肩で息をしながら、エッタは笑顔でフィオの顔を見上げる。
「ああ、さすがはエッタだ。すさまじい威力だった」
その言葉に、エッタは甘えるようにフィオの胸に顔をうずめる。普段なら突き放すところだが、今日はいいか、とフィオはするがままにさせておいた。
「みんな、安心するのはまだ早いぞ」
代わりに、というわけではないが、フィオはすっかり気を抜いている冒険者たちを見回す。
「街中に、まだ残党や逃げ遅れた人、動けない怪我人がいるかもしれん」
「……おっと、そうだな」
リックは頬を少しかいて周りを見回す。
「ただ、みんなそんな体力あるかな……?」
「もう戦闘はごめんだよ、ホント」
先ほど重傷を負い、治療魔法で復帰してきたユントがボヤくように言った。
「俺だって戦闘はもうきつい。だけどよ、怪我人は助けなきゃならんだろ」
それに、とリックは言い足す。
「よその冒険者にここまでやってもらったんだ。自分の街の人ぐらい、自分たちで助けなきゃ、俺たちの名が廃るってもんだ」
ああ、と周囲の冒険者たちからも賛同の声が上がる。
「しからば、『蜻蛉広場』を救護所にしよう。ここならば、『健康の神』の礼拝所も近く、その神官たちもいる。手当てには最適と思うが」
「頼む。他の治癒士たちにも声をかけてくれ」
あいわかった、とトレヴァーはうなずき、何人かの治癒士と共に、治療器具などを取りに、広場の奥にある礼拝所へ向かった。
「エッタ、君もここで休ませてもらえ」
フィオはゆっくりと彼女の体を広場のベンチの上に降ろした。
「ええ、そうさせてもらいます。もう戦いがないのならば……」
エッタがそう言った時、バックストリアの城門の方から大きな音が響いた。街全体を揺らすような轟音であった。
「な、何だ!?」
リックの叫びに答えるように、尖塔からアイリの声が降り注ぐ。
「大変! 城門の方に、大きな魔獣が……!」
それを聞いて、魔法の効果がまだ残っていたフィオは、瞬時に屋根の上へ飛び上がる。
「……ッ! アレは……!」
城門に現れた魔獣はブキミノヨルとよく似ていた。ただ、細身のブキミノヨルに対し、その魔獣は逞しかった。鎧のように筋肉が盛り上がり、腕も太い。背には翼の代わりに、もう一対の腕が生えている。
だが、特筆すべきはそこではない。
城門を崩そうと襲いかかる、20シャト(※約6メートル)はあろうかというその巨体、「ボクスルート山地」で戦った大猿の魔獣、カシラマシラもかくやという大きさであった。
「まだいやがんのかよ……。もう戦えねえぞ……」
「しかも、あんな大きさなんて……」
「もう無理だ……。これ以上は、剣も魔法も……」
歓喜から一転、広場の冒険者たちの間に悲痛な雰囲気が流れる。
「じょ、城門の近くだし、ギルドもある! だから、他の冒険者がやってくれるよ!」
広場に集まっていない3分の2に期待しよう、とそう言うユントの声は上ずっている。ここに集まったのがバックストリアの精鋭たち、残りの冒険者たちでは心もとないことは、よく理解していたから。
「どうやら、休んではいられないようですわね……」
ベンチに横たえていたその身を、エッタは震えながら起こそうとする。が、力が入らないのか、上手く立ち上がることすらできない。転げ落ちそうになったその身体を抱き留めた者がいた。
「おい、無理すんな」
いつの間にか近寄っていたザゴスは、ベンチにエッタの体を横たえてやった。
「ザゴス!」
フィオが屋根から降りてくる。「おう」と返事して、二人はうなずき合った。
「行くか」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
城門へ向かおうとする二人の背に、エッタが声をかける。
「わたくしも、一緒に……!」
「寝てろ。立てないヤツに来られても困るぜ」
ザゴスはにやりと笑って続ける。
「それとも何か? 魔獣を全滅させて、これ以上俺から見せ場を奪うってか?」
「そうだ。君は充分仕事をした。後はボクらに任せればいい」
フィオにそううなずきかけられて、エッタは「わかりました……」と渋々引き下がる。
「体力も魔力も限界だ……。悔しいが、今の俺らじゃ足手まといになるだけだ……」
「気にするな。すぐに片付けてくるさ」
肩を落とすリックの腕を、フィオは軽く叩いた。
「すまないが、エッタのことを頼む。それと、怪我人の救護も。もしものことがある、できるだけ人々を逃がせるように……」
わかった、とリックはうなずいた。それを見届け、ザゴスとフィオは城門へ走って行った。
「俺たちも、できる限りのことをするぞ!」
暗いムードを吹き飛ばそうと、リックは努めて明るい声を出した。
「アイリ! 探索士たちも降りてきてくれ! 怪我人の捜索に向かおう!」
リックたちもパーティごとに分かれ、広場を出て行った。
広場に残ったのはエッタと、ユントを初めとした先の戦闘で重傷を負った数名、そして「健康の神」の礼拝所から戻ってきたトレヴァーら治癒士であった。
「エッタ殿、簡易なものですまないが、救護所のベッドを使ってくれ」
ベンチに横たわるエッタに、トレヴァーが声をかけてくる。
「いえ、少し寝ていれば大丈夫なので。ベッドは怪我の方を優先してくださいまし」
ザゴスがこの場にいたら驚いたかもしれない、と思いながらエッタはそう応じる。
「いやいや、何をおっしゃる。貴殿のお陰で、あれだけの魔獣を倒せたのだ。その英雄をこんなベンチに寝かせるなど、我々の気が済まない」
「いいえ、お気になさらず。怪我の方はどんどん運ばれてくると思います。わたくしがベッドを使うわけには……」
これは押し問答になるかもしれない。疲れてるんだから寝かせておいてほしいのに、とエッタは少し苛立った。
と、そこへ思わぬ人物が姿を見せる。
「騒がしい夜だな……」
深い青のコーンハットを被り、同色のマントを身にまとった初老の男――サイラスであった。時ならぬ「先生」の登場に、エッタの顔が明るくなる。
「サイラス先生!」
「おや、お知り合いか」
これはこれは、とトレヴァーは道を開ける。
「虹を使ったのだな……。まったく、無茶をするものだ」
「これしかありませんでしたもの」
虹を使うと、さしものエッタも数時間魔法が使えなくなるほどに弱る。七つもの魔法を並行して錬魔するのは、それほどに負担がかかるのだ。
「仕留められると確信していましたし」
それ故に、虹の使用には慎重にならねばならない。万が一、敵を撃ち漏らして今のように脱力してしまったら、その隙は命取りとなるだろう。
「そこな治癒士」
サイラスはトレヴァーの方に首を向けた。
「トレヴァーと申します。御仁は?」
「私は『エクセライの研究塔』のサイラス・エクセライ。この子の養父でもある」
貴殿があの「研究塔」の、とトレヴァーは納得したようにうなずいた。
「七色の魔道士」ヘンリエッタが、「研究塔」の下で育てられたことは、魔道士や治癒士といった魔法を生業とする者の間では知られた話であったから。
「ヘンリエッタの身柄は私が預かる。この子のパーティメンバーのダンケルスと……ガマセ、だったか?」
いえザゴスです、と横からエッタに言われて「そうだった」とうなずく。
「ともかくその二人に、『研究塔』で寝かせていると伝えてくれ」
「承知いたしました、サイラス師」
トレヴァーが恭しく礼をするのを見、サイラスはエッタの体を抱え上げる。
「ちょっと、おと……じゃなくて、先生! これは、子供にするような抱っこじゃありませんこと!?」
「私にとっては、お前はいつまでも手のかかる子供だよ」
そう応じて、サイラスはゆっくりとした足取りで広場から「研究塔」の方へ歩いて行った。
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