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バックストリア編
52.不気味の夜
しおりを挟むザゴスやバックストリアの冒険者たちが、街を襲ったブキミノヨルと相対した時から遡ること半刻(※アドニス王国の時間単位は120分、この場合は60分)、「アンダサイの森」ではテオバルトらのパーティが「魔力だまり」の調査を行っていた。
既に太陽は西に大きく傾いていた。西日の差す森の中では、黒く渦巻く「魔力だまり」があちこちで見て取れた。まったく見かけなかった先ほどまでがウソのようだ。
「39個、と。こんだけの『魔力だまり』を俺らだけで調べたってなりゃ、報奨金もがっぽりだろうな」
ウルリスののん気な言葉にラインもうなずいた。
「ああ。入ってくる冒険者連中を追い出して正解だったぜ」
「今日はついてるな。まるで俺らのために『魔力だまり』が出てきてるように思えるぜ」
笑い合うウルリスとライン、それを遠巻きに眺めるテオバルトも、表情には出さないが機嫌がいいようだった。その中で、セロだけが表情が暗い。
「でも、ちょっと不気味じゃない?」
懸念を口にしたセロに「ああ?」とラインは眉をしかめる。
「こんな風に『魔力だまり』が急に発生するなんて、聞いたことないよ」
嫌な予感がするのか、威圧されてもセロは珍しく意見を曲げなかった。
「テオバルトはそう思わないかい?」
このパーティのリーダーであり、もう一人の魔道士でもあるテオバルトは、気分を害したようにぎろりとセロをにらんだ。
「お前、何か文句あるのか?」
酷薄な視線と、地の底から響くような低い声音に、セロはビクッと肩を震わせる。
「も、文句なんて……そうじゃなくて、その、こんな現象異常だし……それ、君も魔道士ならわかるだろ? こんな……!?」
言葉の途中で、ウルリスがセロの頬を殴った。テオバルトが目線で指示したのである。
「魔道士なら? 俺のことをバカにしてんのか、お前は」
テオバルトは、頬を押さえて地面に転がるセロを見下す。
「黙ってろよ、セロ。萎えることばっか言ってんじゃねぇよ」
殴ったウルリスはセロの胸ぐらをつかんで、乱暴に立たせた。
「セロが文句あるならよ、取り分はなしにしようぜ」
ニヤニヤ笑いのラインの言葉に、セロは「そ、そんな……!」と悲痛な声を上げる。
「『魔力だまり』は僕と君で見つけてるじゃないか……!」
「あー、どうだっけなぁ? お前が見つけた分があったっけ」
「君より僕の方が多く……!?」
抗弁するセロの腹に、ラインは膝蹴りを入れた。腹を押さえて咳き込むセロを見下ろし、ラインはいつものニヤニヤ笑いを消した。
「本当だな、テオバルト。こいつ、俺らのこと馬鹿にしてるわ」
「酷い話だな。大学を出て、どこのパーティにも入れてもらえなかったお前を、俺たちは優しく迎えてやったってのに」
テオバルトはセロの頭を掴むと、髪を引っ張って無理矢理に顔を上げさせた。
「その偉いおつむりがあっても、わからないのか? お前は、俺らに意見できるような立場じゃないんだよ!」
乱暴に腕を振ってセロを突き飛ばす。テオバルトの目には夜の闇よりも暗い色が宿っているようだった。
「そもそもお前なんぞが……!」
不意に口をつぐみ、テオバルトは周囲を見回した。
「どうした、テオバルト?」
時ならぬリーダーの様子に、ラインは眉をしかめた。
「お前、感じないのか? 背が冷えるような、おかしな気配がしてやがるのを……」
「いや、どうだろうな……?」
探索士の癖に役立たずが、とテオバルトはウルリスの方を向いた。輪をかけて鈍いこいつが、何か気付いているとは思えないが――
「ウルリス、後ろだ!」
「あ……?」
テオバルトが警告を発した時にはもう遅い、ウルリスの腹からは黒く鋭い切っ先が突き出ていた。
「な、何だこりゃ……」
背中を刺され、膝をついたウルリスの背後にいたのは、見慣れない一匹の魔獣であった。黒い人間の体に蝙蝠の翼、つるりとした顔と額に生えたねじくれた角。そして、ウルリスを貫いた槍のような武器。
「う、うわああぁああ!?」
セロが悲鳴を上げる。腰が抜けているようだ。こいつはやっぱり役立たずか。テオバルトは錬魔を行いながら、腕っ節は役に立たせろよ、とラインの方を見やる。
「や、ヤベェ!」
「待て、ライン!」
テオバルトの制止を振り切り、ラインは背を向けて逃げ出そうとする。あの馬鹿野郎が、と舌打ちするのと同時だった。ウルリスの背後にいた魔獣がラインの正面に回り込んだのは。
「うわっ、来るな、来る……な……!?」
「な」と言った時、ラインの首は真後ろを向いていた。
首をねじ切られ、どさりとラインが倒れた瞬間、テオバルトは魔法を放つ。
「石筍投槍!」
生成された無数の尖った石柱が突き刺さり、謎の魔獣は角を残して霧散した。
仕留めたか。だが、とテオバルトは警戒を続ける。冷たい気配は続いている。いや、むしろ強まっている。これは、取り囲まれている……?
その時、テオバルトは見た。周囲に発生した「魔力だまり」から、角を持つあの魔獣が水面から浮かび上がるように出現するところを。
黒く渦巻く「魔力だまり」は、今もその数を増やしている。それらの中から、次々と同じ魔獣が這い出てくる。
1匹が、血を流し膝をついたウルリスに襲い掛かる。
「クソァ!」
ウルリスは何とか剣を抜き放ち、血を滴らせながらも魔獣を一刀両断した。
「どうだ、コラ……あ?」
別の魔獣が投げた槍が直撃し、ウルリスは頭部の半分を失って倒れた。
「ッッ! 石筍投槍!」
ウルリスを殺した魔獣を始末し、テオバルトはパーティ最後の一人に呼びかける。
「セロ、セロ! 撤退する! 援護しろ! 聞いてんのか!」
「ウルリス、ウルリス、起きて、ウルリス……!」
セロは真っ青な顔で、頭の半分を失くした死体に呼びかけ、回復魔法をかけ続けている。外傷をたちどころに治す魔法でも、死人の魂を呼び戻すことはできない。
本当に役に立たない、とテオバルトは歯噛みした。これだから大学出のインテリはしょうもないんだ。そういう連中をアゴで使えるかと思ってわざわざ入れてやったが、これほど使えないとは思えなかった。
魔獣たちはテオバルトを手ごわいと見たのか、1匹では向かってこない。数匹の群れを作って間合いを測るようにじわじわと距離を詰めてくる。
こんなとこで死んでたまるか。テオバルトは囲いの隙間を探した。幸いにも、森の出口方向に薄いところがある。
「大地城塞!」
テオバルトの声に呼応するように、地面から十数枚の石壁が隆起し彼を取り囲んだ。7シャト(約2メートル)程の高さのそれに阻まれて、魔獣たちはテオバルトを見失う。
今だ。自分を守る壁の1枚に手を触れ、テオバルトは叫ぶ。
「城壁突破!」
石壁は強い勢いで飛び出し、魔獣たちを弾き飛ばす。その隙に、テオバルトは駆け出した。
「ハァ……ハァ……、草原走鳥!」
土属性の加速魔法を自分にかけ、テオバルトは必死に足を動かした。
遠くから聞こえるセロの悲鳴や、周囲の「魔力だまり」から立ち上がってくる魔獣どもから目を背けるように、テオバルトはただ森の出口を目指した。
※ ※ ※
夜空を覆い尽くすほどの数で現れたブキミノヨルは、槍を投げては屋根に穴を開け、体当たりで壁を薙ぎ払う。崩れる建物から避難しようと出てきた人々を、造魔獣は目ざとく見つけて追い回す。
「ギャッ!?」
民家から逃げようとした家族の内、父親がブキミノヨルの投げた槍に倒れる。悲鳴を上げ、立ちすくんだ母親は二人の子をその身に抱き寄せる。
ブキミノヨルは父親に刺さった槍を抜き、母親らに向けた。
それが放たれようとした、その時――
「オラァ!」
背後から斧を振りかぶって飛びかかった者がいた。
魔獣に負けないご面相の大男、ザゴスである。斧の強烈な一撃を受けて、ブキミノヨルは魔素へと分解される。
「大学の方に逃げろ!」
胴間声で怒鳴られ、母親は子供の手を引いて弾かれたように走り出す。
父親の死体のそば、石畳に落ちた角を見て、「やっぱりか……」とザゴスはつぶやく。この特徴、間違いなくあの「魔女の廃城」に出てきたやつだ。
ザゴスら冒険者は各自散開し、街中を駆けてブキミノヨルを退治して回っていた。同時に、町民たちを避難所である大学へと誘導する。
敵の数は100を優に超え、また自由に空を飛ぶ翼を持っている。槍の一撃にさえ気を付けていればそれほど手ごわい相手ではないとはいえ、さすがに骨が折れる。
「ザゴス!」
屋根から稲妻のごとき速さで、フィオが降り立った。
「そっちの状況は?」
「酷ぇもんだ。どうなってやがる、こんな……!」
「嘆くのは後にしろ!」
頭上から飛来した2匹のブキミノヨルを一瞬で両断し、フィオは続ける。
「ブキミノヨルは標的を冒険者に移しつつあるようだ」
「! 確かに……!」
更に襲い来た1匹にザゴスは斧で斬りつけた。
「こっちに向かってくる数が、多くなってきやがった!」
魔素に還った造魔獣の体から、角だけが音を立てて落ちる。
魔獣たちの動きに統一された意思があることに、ザゴスらは気付いていた。襲撃当初は一般の町民ばかりを狙っていたが、次第に真っ直ぐこちらへ向かってくるようになっている。先に自分たちを倒す力のあるものを数で押し潰し、残りはゆっくり片付けようとでも考えているのだろうか。
「エッタに策があるらしい。敵を迎撃しつつ、『碩学の蜻蛉』広場に向かうぞ」
おう、とザゴスはうなずき、フィオと共に街の北東にある広場へ向かった。
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